第38話ほしい(2)

 心からどっと溢れたそれは口から外へと言葉になって出ていった。言ってしまえばそれはもう止まらなくて、言ったってどうしようもない事ばかりが言葉になった。

 梨紗が誰に相談しても、誰を好きになっても、それは梨紗の選択で私が出る幕なんてない。そんな分かりきった結論を上塗りするような我儘に思わず自嘲した。


 それでも梨紗はまだ隣にいてくれるらしい。私のそんな幼稚な我儘を受け止めて、出来る限りの誠意で応えようとしてくれる。それがとても嬉しくて、同時に少しだけ苦しい。


 ————ずっと隣にいてよ。


 そんな一番深くにあった本心は、臆病さで喉が上手く開かなかった。あーあ、どうしてこんなに情けないかな。立ち上がって、お茶とコーヒーを一つずつ自販機で買う。嬉しさと苦しさがぐちゃぐちゃに混ざってしまったみたいで、もはや知らない感情が胸を圧迫している。


 もっと気軽にいかなきゃ、そっちの方が結局上手く回っていくじゃん。楽しい上澄みだけさ、お得に味わえたらそれでいいじゃん。


 こうやって気軽に触れておどけてみせれば、いつもどおりの私でしょ。だから、そうやって眉を顰めながら、視線を逸らして頬を赤くなんか染めないでよ。前みたく呆れたようにため息をついてよ。そうやって、私の心をくすぐるのはやめてほしい。


 欲しくなるから。


 もう一度触れたくなって少しだけ屈んだ時に、ポケットの中のスマホが音を鳴らす。確認すれば、湊からそろそろスタンバイの時間という連絡だった。本当に、こいつは私を振り回すのが好きらしい。


「すぐ戻る」


 それだけ送ってスマホを仕舞う。


「そろそろスタンバイだってさ」

「そっか……」

「梨紗のおかげで頑張れそう」


 そう言って笑えば、梨紗の顔が安心するように解けていく。その顔を見てると、本当に頑張れそうな気がしてくる。だって、今は私を見てくれているって実感できるから。


 音楽に対するモチベーションにまで浸食してくる存在なんて、初めてだな。

 それくらい、特別になってしまった厄介な人。


***


 控室に戻ればすぐにはるちゃんが駆け寄ってきて、大丈夫なのか心配してくれた。最近調子が良くないのなんてはるちゃんには筒抜けだし、ずっと気にかけてくれている。でも、今日は大丈夫。


 本番のライブで失敗なんてありえない。最悪な気分は梨紗のおかげで少しは良くなった。最良とは言い難いけれど、大丈夫だとは言える。


「梨紗」


 私が呼べば、彼女が振り返る。湊が見せつけてくるなら、私だって見せつけてやる。


「見ててね、私の事」

「っ…………うん」


 丸くなった瞳が、動揺に揺れてからじわりと溶けるように柔くほそまる。まだ言葉には出来なくても、私はもう手放し難いと思っている。考えないようにしても、他の何かに思考を満たしても、いらないと嘘をついても、心はずっとほしいって言っている。


 私はいつも、それを失ってから自覚してばかりだったな。

 はるちゃんのことも、あの子の事も。もしそうだったら、なんて考えたって仕方ないのはきっと本当のことだ。でも、これからどうしたら、は、考えなきゃいけないことなんだ。


「……まさかあんなに堂々とやり返すとはね」


 薄暗い舞台袖で出番を待っていれば、湊が不意に先ほどのことを掘り返してきた。壁の向こうから盛り上がった歓声が言葉をかき消そうと覆いかぶさってくる。

 今ここで聞こえないふりをしてもいい。それは湊のこれからくるであろう挑発にのる時間が無駄だとか、音楽に今は集中すべきだとか、浮かんでくるいかにもそれっぽい理由のせいじゃない。とても単純に、また心を乱されるのが、怖いから。


 見せつけてやるとか言ったって、欲しいと思ったって、湊が全部持っていくんじゃないかって懸念は消えないし、実質そうなる未来の方が簡単に想像できてしまう。経験からも、一般論からもその答えにたどり着くから。

 手を伸ばして、それでも掴めなかったら?そう考えると体が竦む。


 でも、そうしたってどこにも進めない。手を伸ばさなきゃ何も掴めない。だからもうそれっぽい言い訳並べて逃げるのは止めよう。上澄みだけじゃ、私はもう嫌なんだ。


「簡単には渡さないし」

「なーんで、最後には取られる前提」

「……渡さないし」

「……俺はその言葉が聞きたかったんだ」

「は?」

「……俺はこう言ったと思うんだけど……“いらない”ならもらうって」


 何か含みを持たせるかのように湊は強調する。それはまるで、ちゃんと理解してもらうために言っているみたいで、私はその言葉を何度か反芻する。


「………は、お前まさか」

「ちゃんと向き合わなきゃだめだよ奏」


 その言葉で私の疑いが確定的になって、私は思わずその場にしゃがみ込んだ。どうやら全部湊の手のひらで踊らされていたらしい。その事実に蹲りながら頭を抱える。お節介にもほどがある、いやもはやお節介とかいうレベルじゃない。こんなの立派な詐欺師になれるレベルでしょ。混乱が徐々に沸々と怒りのような感情に置換されていく。

 一言で言えば、最悪だった。


「なんなの、マジで」

「ごめん。 やりすぎなことは分かってる。 でも、見てられなかった」


 一発殴ってやろうか、そんなことが頭を擡げるけれど立ち上がる気力もない。はるちゃんごめん、今日のライブだけはボロボロかもしれない。

 隣に湊がしゃがみ込むから思いっきりその肩を一発殴る。飛んで火にいる夏の虫とかいうやつだ。


「最悪すぎ」

「……ごめん。 でも奏のわけわかんない思考のせいで梨紗ちゃんが辛そうにしてるのは耐えらんなかったんだよね」

「こっちにだって、色々あるって……湊なら分かるでしょ」

「……それでも、梨紗ちゃんだけじゃなくて奏も辛そうにしてたから」

「……お節介すぎ」

「あはは。 お節介で許してくれんの」


 許すかバカ。勝手に人と人の関係を操作していいやつなんているはずない。それが善意であっても、例えば家族とかだったとしても、そんなのは過干渉ってやつでしょ。ムカつく、最悪。確かにそう思っているのに、怒り切れない自分もいるんだ。


「泣きそうな顔で諦めたようなこと言ってた奏が、どんどんなんでもないって顔するようになったのとか、その反面で自分のこと粗雑にするのとか、俺はずっと嫌いだった。 例え恋愛じゃなくなっても、奏はなんていうか少し不思議な存在でさ、やっぱり幸せでいてほしいなって思うんだよ」


 そうやって笑われたら怒りきれない。そしてこいつはそこまで知っていて今こんな反則な言葉を私にぶつけてくるんだ。許したくなんかないのに、絆される。


 今日一番の歓声が響き渡る。鳴り響く楽器の音と拍手と歓声。ああ、こんなタイミングで種明かししたのまで、もしかしたら湊の計算なのかもしれない。そんな風に疑うには十分な前科が、こいつにはある。


「やっぱりさ、ライブ終わったら一発顔殴らせて」

「あはは……まあ、平手で頼むよ」


 先に立ち上がった湊が私へと手を差し伸べる。演奏を終えた人たちが舞台袖へと戻ってくる中、私はその手を思いっきり叩いてやった。

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