第37話ほしい
日時と、場所と、時間。
それが端的に書かれた連絡の後に続く吹き出しは三つだけ。
余程忙しいのか、以前のように奏から連絡が来ることがなくなった。頑張ってねと送った私の連絡は、もう二週間も前だ。そんなことさえ前は普通だったのに、今ではそれだけで気分が沈むのだからどうしようもない。
あの日家の近くまで来た奏が何処か少し疲れているように思えて、何も来ないその連絡画面に何度か連絡をしようともした。けれど、結局それは送信迄には至らず、吹き出しが数を増やすことは無かった。
今日はそのライブ当日。奏の様子を見れば、少しはこの心も落ち着くのかもしれない。高槻くんと話が出来たおかげで、この感情の扱い方にも少しは慣れた気がする。
いつの間にかライブハウスの扉をくぐることには慣れていた。
中に入ってしばらくすると、高槻くんから連絡がきた。会場に着いたかの確認と控室に顔を出さないかという誘いの連絡。それは今までだったら奏からくれていた連絡だった。避けられている、とは、思いたくないのだけれど。
「会場着いたよ。 控室、私が行っても大丈夫かな」
「もちろん。 陽菜さんもオッケーだって」
奏は、とここでわざわざ聞くのはおかしいだろうか。喧嘩でもしているのかと心配させるのもあれだし、とにかく奏の顔を直接見れば何か分かるかもしれない。
相談するのは、その後でもいいだろう。
スタッフ専用の扉の近くにいると、事情を聞いたスタッフさんが案内してくれて中に入る。先月と同じ薄暗い廊下を抜けると、控室にたどり着く。いつもだったら必ず奏は迎えてくれていた気がする。そんなことを思いながらドアをノックした。
返事が聞こえて、ドアを開ける。中には奏と、そして新美さんがいた。
「梨紗」
「あ……えっと、ごめん、いきなり」
「なんで? 梨紗ならいつでも来ていいよ」
穏やかな笑顔に肩の力が抜ける。良かった、いつも通りに見える。それと同時に二人でいた事実に胸の端がピリッと痛む。嫉妬も、いい加減慣れてきてしまいそうだ。
「湊くんと千羽さんは?」
「……飲み物買いに行ったよ。 何、会いたい?」
「ううん、そうじゃなくて……」
なんで二人しかいないんだろうって、思ってしまっただけ。そんな嫉妬の言葉を向けた所で意味は無いだろう。少しだけ居心地の悪い空気が流れるのを感じるけれど、上手く話題を変える話術も持ち合わせてはいない。
「あの、ライブ、頑張ってね」
「あはは……ん、もちろん」
少しだけ違和感を感じて奏を見上げる。いつも通りに見えるのに、なぜだろう言葉に元気がないような、そんな気がするのだ。公園で会った時にも言っていたように、少し疲れているのだろうか。
それとも何かにまた悩んでいるのだろうか。
「あれー、梨紗ちゃんだ!」
「わっ」
いきなり声がして振りかえればそこには千羽さんと高槻くんがいた。丁度前回のライブ以来で、あの日突然帰ってしまったことを謝罪すれば千羽さんはもう全然気にしていないらしかった。
「ま、湊が本気みたいだしな」
「本気?」
「気にしないでいいよ梨紗ちゃん」
「私もやっぱり飲み物買ってくる」
私たちの横をすり抜けて奏が控室を出ていく。先ほど奏に感じた違和感はなんだったのだろうか。気になるけれど、今ここで奏についていくのも変だろうか。
「なんかなー、最近ピリピリしてんのあいつ」
「え……奏?」
「そうそう。 湊とも最近喧嘩しててさー」
「そうなの?」
「晃は余計なこと言うなよ」
全然知らなかった。なんでそんなことになっているのだろうか。今までお節介だとか小言を良く言っていたのは知っているけれど、喧嘩をするようには少なくとも見えなかった。むしろなんだか理解しあっているような気さえしていたのに。
もしかしてさっき元気がないように見えたのは、そのせいなのだろうか。
「ちょっと私奏ちゃんの様子見てくるね」
そう言って徐に新美さんが立ち上がる。
私が戸惑っていることを、この人はいとも簡単にしてしまおうとする。私はまた外野で何かあったのかと考えることしか出来ないのだろうか。
さっき変に考えすぎず奏に聞けばよかった。そうしたら、今奏の隣を歩いていたかもしれないのに。
連絡も自分からは取れなくて、様子を見ても何も聞けなくて、それで勝手に新美さんに嫉妬して焦っているなんてあまりにも滑稽すぎる。
「陽菜さん、梨紗ちゃんに様子見に行ってもらった方がいいですよ」
「え?」
高槻くんはまるでそれが普通かのようにその言葉を発した。新美さんが隣で立ち止まって、私をじっと見つめる。これは多分高槻くんからのパスで、私はここで胸を張ってその役を買って出るべきで。ついさっき、何もしないことを後悔したばかりで。
「……私、時間あるし見てきます」
「じゃあ、お願いしてもいい?」
「あ、はい」
怖気づいて固くなる体をなんとか動かして控室を出る。廊下の突き当り奥に自販機があるからと高槻くんが言っていた。本当に、高槻くんには助けてもらってばかりいる。
どうして高槻くんと喧嘩しているのだろう。それが原因で元気がないのだろうか。私が奏の何か力になれるのだろうか。新美さんならきっと力になってしまえるんだろうな。
私は、いつだって私に自信なんかない。
それでも、そうだ。私は一度手を伸ばしたことがある。悩みをどうにか出来たかは結局分からなかったけれど、でも手を伸ばしたこと自体に確かに意味はあったあの夜を知っている。
私でもきっと、力になれる部分はあるはずだ。
「奏」
「っ……びっくりしたぁ」
「え……ごめん」
「んーん、梨紗も飲み物?」
角を曲がれば自販機と、小さな椅子が壁に沿って三つ置かれていた。その一つに座っている奏はまだ何も買ってはいなくて、ただただ椅子に座ってじっとしていたらしかった。それはつまり、あの控室を出たのは飲み物を買うためではないということで、今発した奏の言葉にも嘘があるということ。
奏は見せないようにしている。そこに触れていいのだろうか。そう不安に思うのはもう性分だから、この思考が消えることはないのだろう。
それでも私はここに来たかった。奏に手を伸ばすなら私が良い。
「奏は? 買わないの?」
「あー……もしかしてそれで来てくれた?」
「……ちょっと元気なさそうに見えたから」
私を見つめる奏の顔が綻ぶ。そんなこと一つで私の心臓は落ち着かなくなるし、隣に座るよう言われて座るだけで久々の距離に体は脈打つし、肩にかかる奏の重みや香水の香りにじんわりと汗が滲むのだ。
カラカラと外れた歯車のように思考が空回りを繰り返す。もっと自然に、奏から言葉を引き出せてあげられればいいのに、ただじっと奏の温度を受け止めることしか出来ない。
「……大丈夫?」
「……梨紗はいつから湊くんって呼ぶようになったの?」
「え? えっと、この前のライブで一緒に帰った時だけど」
「大事な話した時?」
「まあ……うん。 えっと……?」
話の根幹が見えてこない。この話をして何になるのだろうか。高槻くんと喧嘩したことに関連があるのだろうか。いや、余りにも糸口が見えない。
「……あーあ。 大事な話とか、悩みとかあるなら私に言ってくれたらよかったのに」
「え?」
「私が悩んでた時梨紗は私の隣にいてくれたじゃん。 だから、私も梨紗が何か悩んでるんだったら力になりたかったなって。 湊じゃなくて、私に言ってほしかった」
独白のような、吐露のような声色だった。その少しだけ寂しそうな不安そうな声色は、私の心をゆっくりと締め付ける。
独占欲のような、そんな感情のように感じるのが身勝手にも嬉しい。けれどそうやって期待を膨らませれば、それが破裂した時の衝撃は恐ろしいものになるだろう。それは、怖い。
もし、私が奏のことを好きだと言えば、奏は一体どうするのだろう。
「今度何かあったら奏に相談するから」
「本当かなー……どうせ湊の方が的確に解決しちゃうしさ」
「……んー」
「嘘でもいいから否定してよ」
肩越しに彼女が笑う振動が伝わってくる。どうやら少しは元気になってくれたらしい。結局奏がなんで高槻くんと喧嘩をしているのかも知らないし、どうして元気がないのかも分からないし、この会話にもピンときてはいないのだけれど、少しでも力になれたならいい。
「……奏も、何かあったら……私に出来ることがあるなら言ってくれていいから」
「……じゃあ」
—————。
続く言葉がなくて、私は奏の方に視線を向ける。奏の頭が肩から離れて、背伸びをするように両腕を伸ばした。不自然に会話が途切れた気がするのだけれど、何か聞き逃したのだろうか。
「もうホット出てるんだね、自販機」
「え? あぁ、そうなんだ」
奏が立ち上がって、自販機に近づく。明確な会話の区切り。
隣で話す奏の顔はやっぱりいつものように明るく見える。さっきのお礼だと言って奏が缶コーヒーを買ってくれて、手渡されるのと同時に頬に唇が触れた。
「これもお礼」
「……バカなの?」
「ふははっ」
猫のような細い目。無邪気な笑い声。それはいつもの奏で、だからきっと、一先ずは大丈夫なんだとそう思うしかなかった。
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