第36話いらないならもらうけど(3)

 わざわざ奏の前で梨紗ちゃんと帰ったのも、こうやってわざとらしく梨紗ちゃんの話題をだしているのも、全部わざとなのにな。

 なんでもないような顔でギターの弦を弾いて、忠実に正確に歌詞を歌い上げるから面白くないよね。



 女の人が好きって言われた時は、じゃあ俺じゃダメなんだなって思った。もっと俺が頑張ればとかそんなifを考えた夜もあったけれど、その言葉を吐き出す奏の泣きそうな顔を思い出す度、無理なんだって思わされた。


 男に告白されている度に密かに嫉妬して、クラスの女の子と楽しそうにしてても落ち着かなくて、奏のその秘密を知ってるのが俺だけなことに優越感を感じて。クラスも部活も同じだからそんな日々から抜け出すこともできなかった。


 だから、大学に入って適度な距離になれて、ようやく俺はそこから抜け出すことが出来た。奏が俺の知らないところで何かをしていることに、意識を引っ張られなくなった。


 でも、奏と離れて俺が変わったように、奏もまた変わっていった。

 偶に知らない香水の匂いがするようになった。ふらりと夜街に消える姿を見るようになった。


 同性同士、ましてや女の子同士なんて男の俺には分からない。だから奏に、湊には分からないと言われれば何も言えなかった。


 でも俺にもわかることはあるよ。

 今までの奏と、梨紗ちゃんに対しての奏は違うってこと。今まで誰のことも、奏は話題になんて出したことはなかった。最初は梨紗ちゃんが俺と同じ大学で、ひょんなことからバンドのみんなと仲良くなったから話題に出るだけだって思っていた。


 でも、そうじゃない。

 それが確信に変わったのはライブの打ち上げ後に梨紗ちゃんと奏が二人で帰ってからだ。奏が梨紗ちゃんの話をする時に、柔らかく笑うようになった。誕生日に何をするか考えている時だって表情は明るくて、それは高校の頃から見てきた奏の表情の中で初めて見る顔だった。


 梨紗ちゃんは、きっと奏にとって特別な女の子。そしてそれは、梨紗ちゃんにとっても同じなんだ。

 それなのに、奏はその感情に蓋をしている。


「はぁ〜〜〜〜、毎回のライブでセットリスト変わりすぎだろ」


 スタジオを出れば、晃が肩を揉みながら泣き言を言う。技術を磨く、期間内に一定のレベルをクリアする、観客に飽きさせないためのセトリを用意する。どれも妥当な判断だと思う。

 

「ま、頑張りどきだよな」

「そりゃそうだけどさー。 お前はいいよな、梨紗ちゃんとも順調みたいで」


 その言葉を決して否定はしない。勘違いさせるためにわざわざそうしてるんだから。梨紗ちゃんには本当に悪いとは思うんだけど、最終的に還元できる算段だから許して欲しい。


 女同士は難しいと諦めたように言う奏に、何か事情があるのは察している。でも、だからといって梨紗ちゃんの気持ちを無視していいとは思わない。そんな勝手な事情で勝手に壁を作って、俺と同じように苦しくて辛い時間を梨紗ちゃんに与えるなんてさせない。

 逃げるんだったら、俺が無理やり引き摺り出してやる。


「次のライブも楽しみにしてるって言ってたから」

「うわ、遂に隠さなくなったか」

「あはは」


 後ろを静かに歩く奏に視線を送れば、バッチリ視線が合う。奏もバカじゃないし、人の機微にはかなり敏感な方だから。その視線だけで察したのか奏の視線が鋭くなる。

 

「こんな大事な時に浮ついてる場合じゃないでしょ」


 楽しみにしてるって言葉を誰よりも嬉しく思っていたのは奏だろうからね。今のは結構揺らせたみたい。特別じゃないなんていつまで余裕なフリしてるんだろうか。


「別に奏がどう思ってようがいいけどさ……いらないならもらうけど?」

「……は?」


 低い声。釣り上がった眉。飄々とした顔が、仮面が剥がれた。お節介なのかもしれないとも思うよ。でも、そんな仮面壊れてしまえ。


「梨紗は物じゃない」

「本題を逸らすなよ。 言葉遊びする気分じゃない」


 自慢じゃないけど、奏を見てた期間は結構長いから。これが奏にとって貴重な出来事だって知っている。逆に、どうして踏み出さないかの理由は俺は知らない。だったら俺は俺の知る世界の中で、正解だって信じたものを選ぶしかできない。


 難しい、なんて諦めたように笑っていた顔を覚えている。女の子が好きだって泣きそうな顔で言った奏を覚えている。

 諦めたくないものを必死に諦めるのって、辛くてしんどいよな、奏。


 だからさ、踏み出せるなら、頑張って踏み出して欲しいんだ。


「え、なにケンカしてんのお前ら」

「別に、勝手に僻んでるだけなんじゃない?」

「湊にはどうせ分かんないよ。 こっちの難しさなんか」

「……だからさぁ、そうやって勝手に諦めるくせにこっちには文句言うの、僻んでるって言うんじゃないの?」

「諦めたくて諦めるやつなんかいない」

「っ、……そんなの、俺だってそうだったよ」


 そう言えば、奏は途端に怯えた表情をした。今のは少し、感情で先走ったかもしれない。肩に入った力を抜くように息を吐く。大丈夫、うまくやれるはず。奏の性格を理解して、言葉を選ぶんだ。


「私は……」

「俺は奏に言った事を後悔してないよ」

「っ」

「確かに、難しさは俺にはわからないかもしれない。 でも、だからって手を伸ばしちゃいけないなんて、そんなことはないって……それくらいは分かる」

「その気持ちは別にどんな理由があっても諦めなくていいだろ」

「……私は、」

「なぁおい、今日はそれくらいにしとこうぜ」


 俺と奏の間に晃が割り込む。とにかく今日は解散した方がいいと背中を押されて、晃と奏は逆方向に歩き出す。引き止めようと声をかければ、晃が強引に奏を連れて行ってしまう。人混みに紛れて、二人の姿が見えなくなるのは一瞬だった。


 あと少しで引き出せた奏の言葉は何だったんだろう。最近じゃうまく繕うようになって、あんなふうに視線を下げる奏はあまり見なくなってしまった。

 あいつ本当は、臆病なのにな。


 それでも俺は、ただ勝手に祈ることしができない。俺の知らない何かに、奏が負けないでほしいって。

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