第35話いらないならもらうけど(2)

 九月に入ってすぐ、次のライブが決定したとはるちゃんから連絡が来た。ついでに十月のライブも押さえたときて、その仕事の速さに感心すると同時に小さく息を吐いた。


 楽譜を見てギターを弾くのも、ノートを広げて歌詞を考えるのも作業が進まない。ペンをテーブルに放り出して天井を眺めても、クーラーの音が静かに聞こえてくるだけだ。


 はるちゃんの言葉を使うなら、音楽活動は順調だった。SNSのフォロワーは順調に増えているし、ライブハウスや路上ライブでの映像も拡散されて評判らしい。

 それなのに、どうしてこんなに気分が上がらないのか。


「どうして、は白々しいか」


 浮かぶのは二人の後姿。居酒屋での会話。原因は分かっている。でも考えたって仕方がないことを考えるのは嫌いだ。優先事項は明白で、自分がどうするのかももうすでに選択したのに、それでは割り切れていない自分にふつふつと苛立ちが湧いて、それを体から逃がすようにまたため息を吐く。


 散歩でもしようか、それかどこかカフェに行くのでもいい。このまま無為に時間を過ごしてしまうよりはマシだろう。

 開きっぱなしのノートとペンを鞄に仕舞って背中に背負う。冷房と電気を消して玄関を出れば、羊雲が空高くに広がっている。気持ちのいい天気、悩み事をするにはもったいない。


 住宅街を抜けていつもの大通りに出れば、あの日梨紗と来たカフェが見えてくる。今日もここで作業をしようかと考えて、しばらくして駅の方へと道を曲がる。どこか遠くで時期を間違えたらしい蝉が一匹で鳴いている。


 次のライブまでまだ期間が空いている。それまでこんな風に過ごすのは御免だ。だったらもう、目の前のこれをなんとかしてしまった方が早いんじゃないかなんて、真っ青な空と白い羊雲を見ていたらそんな気分になった。家でうだうだやってるより、直接聞いてしまった方が早い。


『ねえ梨紗、この後時間ある?』


 そう送って、私は梨紗の住所を地図アプリに入力した。


***


 最寄り駅に着いても梨紗からの連絡は無かった。それはいつものことだと思う自分と、流石に急すぎたのではと思う自分がいる。頭の中では一向に話題が散らかっていて、歩けどもそれは消えてくれない。

 考えること自体に意味がない。何を話したのか気になる。もし本当に二人が特別な関係になったら。そうしたところで私には関係ない。いくつもの言葉が頭の中に響いて、酷く煩かった。


 私は、何か間違えているのだろうか。


 その時、ポケットの中のスマホが震えた。開けば『どうかしたの?』という一文だけ。私はそのまま通話ボタンをタップする。

 私にも分かんないよ。どうしたのかなんて。


「もしもし、奏?」

「ごめんね、急に。 今大丈夫?」

「大丈夫だよ」

「あー……実はさ、今家の近く来てて」

「え?」


 そりゃ驚くよね。なんか、自分で言っててストーカーみたいだななんて思ってしまった。咄嗟に近くで用事があったなんて嘘までついて、本当にどうしちゃったんだろうね。


 近くの公園を待ち合わせ場所に言われて、大人しくそこに移動する。それでも、これでモヤモヤとしたものが無くなるならそれでいい。これに、いつまでも振り回されるのは嫌だ。


「奏」


 声がして顔を上げれば、急いで来たのか梨紗が息を切らしながら公園にやってきた。公園にあった自販機で買っておいた缶コーヒーを梨紗に渡して、隣のベンチに座るよう促す。

 プルタブを引く音、その後にコーヒーを飲み込む喉元を見ていると、「どうかしたの」と梨紗が私を見つめる。


「……んー、最近忙しくて会えなかったから」

「……にしても、急すぎる」

「ふはは」


 本当にね。

 Tシャツとロングスカートのシンプルな格好は、今日は特に用事がないのかもしれない。そんな事を考えながら、どう本題を切り出すべきか思考する。


「就活は? 大変?」

「あ……実は、先日内定貰って」

「え、そうなんだ。 おめでとう」

「ん、ありがとう」

「……もしかして打ち上げキャンセルして湊と帰ったの、その話とか?」

「え?」


 梨紗の声が上擦る。視線が手元の缶コーヒーに落ちて、どこか歯切れ悪く就活とは関係がないと梨紗は言う。その声色も、視線の揺れも、歯切れの悪さも、不安を煽るには十分だった。

 言いづらいことなのかな。私に言いづらい、二人の会話って何。ずっと漂っていた苛立ちが首をもたげて重くのしかかってくる。


「秘密の話題?」

「いや……えっと」

「何、色恋沙汰?」

「え?」


 驚いたような声と表情は、あるで言い当てられた時のリアクションで、やかりやすいなって思うのと同時に、それ以上の衝撃が頭を殴る。湊に限ってそんなことないって、なんで勝手に思ってたんだろう。

 就活だ大学だなんてそんなことじゃなくて、晃やはるちゃんの言うことの方が正しかったんだ。その事実に、咄嗟の言葉を見失う。


「いや……別にそんな大層な話じゃないから」

「あー…あはは、まあそういう話題なら私が聞けることでもないか」

「えっと……説明が難しいけど……とにかく気にしないで」


 気にしないで、か。出来るかな私。ただでさえ気になってばっかりだったからな。

でも、これ以上私がでしゃばることでもないし。

 私はただの梨紗のセフレだしね。結局本当の恋には私はお呼びじゃないんだよね。なんて卑屈な事を思っても仕方ない。


 だから私には、音楽だけがあればいいんだ。


「ま、応援してるからさ。 じゃあ久々に会えたし帰ろうかな」

「え、もう帰るの?」

「今月と来月のライブもはるちゃんが準備してくれたから、やらなきゃいけないこと山積みなんだよね」

「忙しいって言ってたもんね……。 応援、してるから」


 なんで寂しそうにするかな。どうしてそんな、そういう素振り見せるのかな。まだちょっとは私の方に気持ちがあるのかもしれない。でもそれも、いつしか消えて青春の一ページくらいになってるんだろうけどさ。


 優しくすれば、結構簡単に手に入る。でもそれは結局、全部一時的なものでしかない。


「また場所とか時間とか細かく決まったら連絡するからさ、見に来てよ」

「もちろん。 絶対行く」

「ふはは。 湊もいるしね」


 あ、今のは口が滑った。何か突っ込まれる前に立ち上がる。考えることが少なくなったのなら、ここに来たことにも意味があったと思うことにしよう。

 誰かに取られるのなんて、慣れてるじゃないか。


「じゃあ、突然ごめんね」

「あ、全然……練習頑張ってね」

「ふはは。 うん、ありがと」


 来た道を戻る。来た時よりも最悪な気持ちで。こういう経験も、いつか音楽の糧になるのならそれでいいのかもしれない。そうじゃなきゃ、やってられない。

 次のスタジオ連いつだったかな。嫌だな、湊の顔見るの。


 本当、最悪。

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