第34話いらないならもらうけど


 千羽さんが声を低くしたのも、高槻くんには大したことではないらしかった。高槻くんは半ば強引に別れを切り出して駅へと歩き出す。私はその二人を交互に見た後、皆んなに挨拶をして高槻くんについて行くことにした。


 奏は、肯定も批判もしなかった。


「大丈夫?」

「晃は明日には元に戻ってるから」

「……そっか」


 私が話を持ちかけてしまったせいで二人が喧嘩なんてことになると困ってしまうから、高槻くんの言葉通りだと安心なのだけれど。そんな拭いきれない心配を察したのか、高槻くんがおススメの場所があるのだといつものように朗らかに笑う。私はそれに頷いて、賑やかな街を一緒に歩く。

 心配したところで、もう一緒に付いてきてしまったのだ。今回は存分に甘えてしまおう。


「両角さんは花火とか海に泳ぎにとか夏らしいことした?」

「え? 全然、就活しかしてないよ」

「あはは、まあ忙しいよねお互い」


 そう言って高槻くんは一つのお店を指さす。ドアや看板ではどんなお店なのかいまいちイメージが湧かないそのお店は、中に入ると小さな居酒屋のような場所だった。


「人は少ないんだけどさ、料理もおいしいし個室もあって好きなんだよね」


 案内された個室で、一先ず料理とビールを頼む。料理が来る間は他愛のない話が進んでいく。きっと、高槻くんなりの優しさなのだろう。だって私が今からする話は、軽々しく人に話せるような話題ではないから。


 出汁巻きに枝豆、高槻くんおすすめの牛すじ煮込みにとん平焼き。頼んだ料理が並んで、二人で小さく乾杯をする。

 ビールを一気に限界まで飲み込む。冷たい液体が食道を流れていくのを感じながら、高槻くんに目を合わせる。こういうのは、後に回す程言いづらくなる。自分の性格のことは良く知っているのだ。

 

「あのね、高槻くん」


 時間は高槻くんがくれた。ゆっくりと歩いてくれた時間も、雑談をしてくれている時間も、きっと私のためだから。だから、言うべき言葉は整理できている。


「私……奏が好き」

「……うん」

「……ごめんね、高槻くんに散々助言もらってたのにこんな不甲斐ない結果になっちゃって」

「不甲斐ないなんてことはないよ。 そもそもそういう感情を誰かに持てるって、本当はすごく難しくて、すごく凄い事じゃない?」


 ただの優しさだとしても、その言葉にはとても身に覚えがあって重たく響く。そもそも誰かをこんな風に好きになる日が来るなんて思いもしなかった。そう思えば、そんな今があるだけ進歩しているのかもしれない。


「俺は、なんていうか……昔から少し好意の向けられ方が独特だったからさ。 アイドルみたいにチヤホヤされるじゃないけど、そういう感じが多かったから。 だからちゃんとその人を知って、それで惹かれて好きになるって、俺は凄い事だなって思うんだよね」

「だから、その気持ちはちゃんと大事にしてほしいかな」

「……」


 大事にする。

 そういえば、私はずっと目を背けてきたかもしれない。認めない様に見ないふりをして、逃げて、ようやく認めてからだって大事にしようだなんて思ったことは無かった気がする。


 そうか、この気持ちは、持っていていいのか。


「うん……そうする」

「良かった。 それで、その上でね、前にも言ったように辛いとか苦しいって思うことがあるかもしれない。 そういう時は俺が助けられるなら助けるから」

「……今だって十分に助けられていると思う」

「あはは、一人で抱えこむよりずっといいでしょ? だから、これからも話したいこととかあるなら聞くし、酒飲みたかったら飲み行こうよ」


 そう言って彼は眩しい笑顔を私に向ける。この人がどんな人生を歩んできて、どんな経験をしてきたのかなんて知らない。知らないけれど、でも今の高槻くんを見ていれば、すごく誠実に生きてきたことくらいは分かる。

 

 この人になら、相談していいのかもしれない。こんな風に聞いてもらえるのなら助かると思う。


「ありがとう、高槻くん」

「まあ、同じ穴のムジナってやつでもあるからさ」

「……えっと」

「それでさ、今度から梨紗ちゃんって呼んでもいい?」

「え?」


 突然のデリケートな切り替えしにどう返すのが適切か考えているうちにあからさまに話題を変えられてしまった。流すにはかなり気がかりな話題だったけれど、この人と話術で戦える気はしなくて、私は何とも困惑した表情で肯定の言葉を返す。


 でも、やっぱり高槻くんも私と同じ、ってことで、いいんだよね?


 空になったグラスの代わりにもう一杯ビールを注文する。先ほどと変わらない目の前の柔和な笑みは、けれど以前よりもずっと親身に感じられる。

 私も、もし高槻くんが私と同じように苦しかったりすることがあるのなら、力になれたらいいのだけれど。


 どこまで話題を深堀していいのか、私には難しすぎる。


「あの、高槻くん」

「湊でいいよ」

「えっ」

「俺だけ梨紗ちゃんなのは寂しいなって」

「……じゃあ、湊くん」


 笑みの使い分けが上手いな。そんなことを考えて少しだけ釣られるように笑う。もういいか、今更遠慮や配慮なんて。


「私にも何か出来ることがあれば、言ってくれていいから」

「……梨紗ちゃんのそういうところ、優しいよね」


 それを優しいと言うなら、高槻くんの方が何倍も優しいということになるけれど。そう言えば高槻くんは今度こそ声を出して笑い始める。


「俺はそうしようって決めた人にしかしないからなぁ」

「私だって誰にでもこんなじゃない」

「これずっといたちごっこなやつだ」


 確かに。顔を見合わせてクスクスと笑いあう。

 大学の高槻くんは私とは違うカーストの人種だと勝手に境界線を引いて苦手意識を持っていたけれど、もし何かきっかけがあってもっと早く仲良くなれてたら、一緒に大学を楽しめたのかもしれない。


「もしもの話していい?」

「……うん」

「大事な気持ちだけど、辛くて苦しくて、手放せるなら手放したいなって思う時があったらさ、俺と付き合ってくれない?」

「……、え?」


 余りの衝撃に脳が急停止する。

 聞こえてきた言葉をもう一度脳内で再生しても、なんともピンとこないのだ。もしもの話、だとて、なんて言われた?


「いつかとか、いずれとかそういう次元じゃなくてあくまでももしもの話だよ? いい加減次に進まなきゃなって思う時があって、次の恋に行けたらいいのにって思う時があって、そういう時にもし梨紗ちゃんが有りだと思えるなら、俺に手を貸してほしいなって話」

「……えっと」

「あっはは、今日する提案じゃなかったかもね。 まあなんか頭の片隅になんか言われたな位の記憶として入れてくれてたらそれでいいよ」


 必死に言葉をかみ砕く間も何故だか楽しげに高槻くんは笑っている。もしかしてからかわれているのだろうか。そんな風に考えて、この人がそういう事を冗談では言わないだろうと棄却する。

 

 えっと、つまり、次に進みたいと思った時に、次として候補にしてもいいか、ということだろうか。いや、でも私と奏ではあまりにも違いすぎる。候補にならないだろう。


「熟考するなー」

「……言っていること自体はなんとなく理解できた気がするけど、その思考回路自体が分からない……私じゃなくても湊くんならもっと良い人いっぱいいるだろうし、そもそも奏と私じゃタイプが……あ」


 奏って言ってしまった。

 そんな思考が顔に出てしまっていたのか高槻くんはまた楽しそうに笑っている。この人はなんでも笑うのだろうか。それに否定もしない。

 やっぱり高槻くんも奏のこと、好き、なんだよね。


「良い人って、見た目が良くて、俺の事特に知らないけど凄く好意寄せてきてくれる子のこと?」

「あ……」

「そんな子より梨紗ちゃんの方がいいよ。 奏に似てるとか、そういうことじゃなくて、こうやって壁なく自分らしくいられる居心地がいい人は、いいなって思うよ」

「……なるほど……?」

「まあ未来のことなんてどうなるか分からないけどね」


 そう言って高槻くんは冷えた出汁巻き卵を口に放り込む。そうだこれはあくまでもしもの話だ。もしかしたら高槻くんには素敵な人に出会えるかもしれないし、次に行かずとも気持ちを切り替えられるかもしれない。


 けれど、もしもの時に寄りかかれる場所があるというのは、確かに安心できるのかもしれない。どうするかなんて答えようも無いけれど、頭の片隅にくらいは置いておこう。


「もしかしたら、奏と梨紗ちゃんが恋人になってるかもしれないし」

「……んー……」


 それは、随分とイメージしづらい世界だ。

 

「あはは。 まあ、それも今後次第」

「でも、奏は特別を作らないんでしょ?」

「……どうかな」


 そう言って高槻くんはビールをあおる。空になってグラスをテーブルに置いて、未来は思っている以上に予想がつかないのだと笑う。確かにそういう面は多分にあるけれど、私と奏の未来にそんな可能性はとても想像しがたい。

 私はただ曖昧に笑みを浮かべて、残り少なくなったビールを流し込んだ。

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