第33話すべきこと、やりたいこと(3)
目の前にビールジョッキが置かれて、衝撃で溢れた泡がグラスを伝った。
「やっぱマジなんじゃね? 湊」
「奏ちゃんのお友達かと思えば、そういうことなの?」
「……二人して私に聞いたって知らないよ」
乾杯をする前に思わずビールを煽る。ライブ後の疲労もあってすぐに半分ほど飲み下して、無遠慮にテーブルに叩きつける。
「奏に情報はなしかー。 でもなんていうかそういうの湊ちゃっかりやってそうだもんな」
晃の頭の中ではもうその仮定がすっかりと現実のものになっているらしい。そんな晃の言葉にウーロン茶を飲みながらはるちゃんは困ったなぁなんて全然困ってなさそうに言う。
湊と梨紗が大事な用事があると帰っていったのはまだ三十分程前の話だ。
二人並んで歩く背中はあまりにもまだ鮮明に記憶に残っていて、私は残りのビールを一気に飲み干す。あれだけ練習して成功させたライブの打ち上げをキャンセルする大事な理由って何なんだろう。
「まあでも湊には梨紗ちゃんみたいな子が合うのかもなー。 大人な恋愛っていうか、落ち着いてるもんな」
「スミマセーン! レモンサワー一つ!!」
店員にも負けない声で注文する。晃のくだらない妄想話がこれ以上聞こえてこないように。
キャンセルするまでの大事な理由なんて、晃が言っていること以外でもたくさんある。就活とか、大学卒業の事とか、後他にもちゃんと考えればいっぱいあるでしょ。
だから、そんな訳わかんない話しないでほしい。
「ねえ奏ちゃん」
「なに?」
「もしかして嫉妬してるの?」
「嫉妬じゃないけど、皆で頑張ってそれで打ち上げってなってるのに帰るのが白けるなって思ってはいる」
「はー? それお前が言う?」
前に座る晃が焼き鳥の棒で私を指す。前に全く同じことをしただろうという言葉に、あれはこのバンドの為にはるちゃんと話す必要があったのだと説明しても晃の表情は変わらない。
「どんな理由でも何も言わずに来ないのは白けるだろ」
そう言って晃は串入れに串を入れて砂肝に手を伸ばした。晃の言葉に返す言葉が見つからないまま沈黙が続く。確かにそうだと、納得してしまった。
例えば湊と梨紗が就活の話をしているのだとしたら、私はこんなに憤っているだろうか。
例えば大学のことだったら?
私は一体何にこんなに感情を揺らされているんだ。
「レモンサワーお待ち!」
「……」
「あ、私貰いますね」
はるちゃんに渡されたレモンサワーを一気に飲んで、その酸味に盛大に咽る。喉がぎゅっと締まるみたいで苦しい。はるちゃんが背中を擦ってくれるのを感じながら生理的に出た涙を拭う。汚れた服もお手拭きで拭いながらその染みを眺める。
別に今更湊が私の事を好きだなんて思っていない。それはもう随分と昔の事で、今じゃ口うるさい父親みたいな顔までしてるんだ。だから、梨紗との間で色々とお節介してるんだって、そう思っていた。
逆に梨紗は、私の事を少し特別に見てくれているように思う。キスをすれば顔を赤くさせるし、あの夜だってそうなんじゃないかって思ってしまうような瞬間はところどころであった。
「ごめんはるちゃん、もう大丈夫」
「良かった」
でももし、本当に晃やはるちゃんが言うようにそういうことだったとしたら。
そう考えるだけでさっきの得体のしれぬモヤが心にかかる。だって、湊がめちゃくちゃいい男なことくらい知っている。あいつが本気出して落とせない女なんていないんじゃないかって、私は仕方がない理由があったけれどそうじゃなきゃ断る理由なんてどこにもないって。
例え今梨紗が一瞬私のことを特別に思っていたって、そんなの一瞬のことだ。もっと優しくていい男が出てきたら、梨紗だって結局そっちに行くんだ。
あぁ嫌だ。自分が何に腹を立てているのか、理解するのが嫌だ。
二人が就活や大学のことで帰ったのだったら私は今こんな苛立ちを覚えてなんかいない。だって私は、二人が打ち上げをキャンセルして帰ったことに怒っている訳じゃない。
本当は、はるちゃんの言う通り嫉妬してるんだ。
「おえー」
「吐くならトイレで吐けよ」
「吐かんわ」
「喉は大事にしてね」
隣ではるちゃんが笑う。この笑顔みたいに、どうしようもなく視線が引っ張られてしまうなんてことは一度もなかったと思う。それでも、私は随分と梨紗を気に入っていたらしい。
誰かに取られるのが嫌な位には。
「……人付き合いには十分注意してってはるちゃん言ってたけどさ、あの二人が仮にそうだったとして良いわけ?」
感情の正体が明確になれば、自ずと取るべき行動も見えてくる。嫌ならそれを無くすように動くか、離れるか、我慢するか、取れる行動はそんなに多くはない。
「そうだなぁ。 それがすごく真剣なら止められるものじゃないでしょう? 遊びでは止めてねって言うけど……だから今回は止めないかな」
「くそ、あいつほんとこういうの得だよなー」
「計算高いからな湊は」
枝豆を取って豆を押し出して口に含む。大丈夫、普通に会話出来ている。
動いたって私と梨紗は女同士で友達だから徒労に終わることだろう。例え一瞬付き合えたとして、その先にはきっとあの子と同じ結末だ。キスしたって、例えあの子ともセックスまでしてたとしてもきっと結果は変わらなかった。
思いが通じ合うなんて、体を重ねることより何百倍も難しい。そんな事に割く時間は私にはないじゃないか。
「まあもういいや。 それより今日の出来とかさ、有意義な話しようよ」
「確かになー。 てかなんか音がめっちゃ良く聞こえたくね?」
「そうね。 楽器の音が一つ一つちゃんと聞こえてたと思う。 練習の成果がちゃんと出てたんじゃないかな」
やりたいことをまっすぐやり続けるのって、どんなことにおいても難しい。だったら合理的にすべきことをやったほうが良い。そう思う位には私はもう色々と経験してしまった。
梨紗は自分が思っていた以上に特別な存在らしい。そうだとして、それを手にしようなんて思わない。そもそも手には入らない。でもちゃんと友達だとも思っているし、私が力になれることがあるなら力になりたいと思う。
だから、何も変えない。
何も変わらない。変わらず私は、音楽に熱を注ぐだけだ。
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