第32話すべきこと、やりたいこと(2)

 路上ライブ後に見たあの人だと、すぐに分かった。


「なんだ、本当に友達なのね」

「だからー、そう言ったじゃん」


 新美陽菜さん。奏の幼馴染みで、大手の音楽制作会社に勤めている。奏たちのバンドをメジャーデビューさせるためにこれから色々な面で協力する。そんな説明を私はただ二人の笑顔を見つめながら聞いていた。


「ごめんね、いきなり紹介されても戸惑うよね」

「え、あ……いえ」


 優しそうな笑顔はとても上品だ。でも奏に向ける笑顔は違くて、少しだけ幼くて無遠慮になる。奏もまたその笑顔を受け取って屈託なく笑っている。その光景はまだ私の心には毒で、その毒に侵されてどうして今日来てしまったんだろうなんて後悔を抱く。


「奏ー、そろそろ待機しろってさ」

「了解。 なんかバタバタでごめんね。 ただでさえ就活中だろうしあんまり時間取るのもなって思って」

「ううん、私は全然」

「……なんか、ちょっと疲れてる?」

「え?」

「元気ない顔してる」


 顔色を窺うように奏が顔を覗き込んでくる。確かに最近は考えなきゃいけないことがや考えたくなくても考えてしまうことが多くて、決して元気とは言い難い。けれどその原因の一つは、紛れもない目の前のこの人なのだ。

 純粋に心配に色を灯す瞳を見上げて、そして視線を落とす。


 幼馴染みと聞いてほっとしている自分がいるのは確かだ。けれどそれ以上に、二人の関係性に不安になる自分がいる。だって、私には奏の夢を手助けするなんて出来ないのだ。ただ応援するしかなくて、けれど彼女は協力することができる、助けることができる。


 それは、ただの幼馴染みでは終わらない特別な関係性ではないか。


「ちょっと忙しいのかも」

「……そっか。 それなのに来てくれてありがとう。 でも無理はしてほしくないからさ、やっぱりしんどいなってなったら途中で抜けて良いからね」

「……うん、ありがとう」

「おーい、奏ー!」


 千羽さんの声に奏が応えて、その後に彼女はステージ袖へと走っていった。新美さんと話すのも正直気が重いから私ももう会場に入ってしまおうか。


「すみません、私もそろそろ行きますね」

「あ、じゃあ私も行きます。 ライブ映像撮らなきゃいけないので」


 そうか、この人はそんな仕事もあるのか。

 路上ライブ終わり、慣れた手つきで片付けを手伝っていたのを思い出す。私は一度も、手伝おうだなんて考えたことなどなかった。そんな、考えても詮無い事を頭は思考する。


「あ、両角さん」

「……あれ、高槻くん」

「良かったー、まだいた」


 奏が走っていった方から高槻くんがやってきて、何か急な用事があるのだと言う。新美さんに軽く挨拶をした高槻くんは私の腕を取って歩き出す。普段ならしないであろうその強引さに戸惑いながらも大人しくついていけば、角を曲がったところで高槻くんが振り向いた。


「大丈夫?」

「え?」

「奏が陽菜さんと両角さん二人にして置いてきたって言うからさ」


 大丈夫、の意図が分かって、同時にこの人の視野の広さに感嘆する。どこまでも優しく笑う表情に、私はなんだか可笑しくなってきてしまった。


「フフフ」

「えー……もしかして余計なお世話だった?」


 言葉とは裏腹に、声色は穏やかで優しい。

 そういえば、まだミイラ取りがミイラになったことを伝えていなかった。そんな心配をしてくれている時点で高槻くんにはバレてしまっているのだろうけれど、それでもこんなに優しい人には自ら言うのが礼儀ではないだろうか。


「ありがとう、高槻くん」

「どういたしまして」

「……あの」

「ん?」

「ライブ終わりに時間あったりしない?」

「……大事な人からそう言われちゃ打ち上げもキャンセルしなきゃかな」


 そう言ってクスクスと笑う。

 いつかの日そうやってドタキャンした奏のことをきっと高槻くんも思い出しているのだろう。あの日はもしかしたら新美さんだったのかもしれない。奏からは何も言ってはくれなかったから真実を知る術はないけれど、なんとなくそんな気がする。


「そこまでしてもらわなくてもいいよ。 どこか大学の講義終わりでもいいし」

「今日がいいな。 きっとそれが一番良いから」


 眩しい笑顔。

 その笑顔が天然じゃないことを知っている。色々な思考を混ぜて意志をもってそうしているのだと知っている。だからこそ、やっぱり眩しいのだと思う。


「……そういう強引なところ、奏に似てるってずっと思ってた」

「えっ」


 本当に嫌そうに眉を顰めるから思わず吹き出して笑ってしまった。そんな嫌そうな表情も出来るんだ、なんて言えばまた怪訝な顔をするだろうか。


 我慢できず笑っていれば、その声に釣られたのか高槻くんを呼び戻しに来たのか奏がこちらにやってきた。奏は不思議そうに首を傾げるけれど、高槻くんが秘密だという視線を寄こすから静かに頷く。


「じゃ、続きは後で」

「うん、ありがとう」


 何か言いたげに見つめてくる奏は、けれど千羽さんの怒気を含んだ声に押されて何も言わずに戻ってしまった。皆のライブの時間が随分と近づいている。

 私も急いでスタッフ用のドアから出て会場に入る。扉を開けた瞬間に体に響くような音圧を感じる。


「最後の曲です! 皆盛り上がってけよー!」


 邪魔にならないように後ろの隅に隠れる。盛り上がりを見せる会場を眺めながら、胸元にそっと手を当てる。日々平凡に生きていたはずなのに、このたったの数十分で感情はジェットコースターのように浮き沈みしている。

 恋をするって大変なのかもしれない。


 一人だったらきっとどこかで挫けていただろう。初めて恋をする相手としては奏はきっとハードすぎるだろうから。それでもこうやってなんとかいられるのは、高槻くんの助けが大きいのかもしれない。


 曲終わり、様々な音が混ざり合う。楽器だけじゃなくて、歓声や拍手も混ざって、会場は熱気に包まれる。

 メンバーが舞台からはけて、照明が暗くなる。人の出入りがあってその間にメンバーが楽器を色々な機器に繋いでいく。


 大丈夫、ちゃんと楽しめると思う。

 

 ドラムのカウントの後、曲が始まった瞬間に照明が舞台を照らす。そこにはやっぱり誰よりもまっすぐに立つ奏の姿がある。

 それを見れば私の視線は引き寄せられて、視界はただそれだけになる。耳に入る音が彼女の歌声だけになる。恋をするって本当に大変だ。


 力強く響く歌声、楽しそうな表情、音楽を楽しんでいるのが伝わってくるみたい。それを見ているだけで心が揺れる。私が奏を見つけたのは、この歌声がきっかけだった。


 この歌声を、奏の声を、もっと多くの人に知ってもらえる。そんな手助けが出来る彼女の事を、やっぱり羨ましいと思ってしまった。

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