第31話すべきこと、やりたいこと

「お疲れ様、皆順調だね」


 はるちゃんから受け取ったお茶のペットボトルのキャップを開けて水分補給をする。スタジオ練習もここまで詰め込んでやると楽しさ以上に疲労が体に蓄積する気がする。

 乾いた喉を潤して息を吐けば、隣ではるちゃんが可笑しそうに笑う。


「疲れた?」

「そりゃーね、どっかの誰かさんがスパルタなんで」


 私のそんな言葉にもはるちゃんは可笑しそうに笑うだけだった。


 穏やかで上品な笑みとは裏腹に、おちゃめで、でも理性的で、譲らない部分は頑固で。今のはるちゃんのことを少しずつ分かってきた気がする。それと同時に昔とどう違うとか、昔と変わらないとか、そういうことを考えることも減った。


 今のはるちゃんに馴染んできたみたいな、自分の中のはるちゃんと目の前のはるちゃんのズレが無くなってきたんだと思う。


「でもそのおかげで皆すごく良くなったと思うなぁ」


 それで、今のはるちゃんは初恋とか関係なく普通にずるい。そういうの晃とかにはしないでほしいな、あいつすぐに調子乗るだろうから。


「来週のライブでどのバンドよりもいい演奏するから見ててよ」

「もちろん。 動画も撮れるよう手配したからちゃんと撮るよ」

「流石抜かりない」


 最近じゃ私と同じ位湊と話しているのも、向こうの方が話が合うんだと思う。

 計略?っていうのかな、算段みたいな、SNSの運用方法なんて私は考えるのも億劫だから早々に二人に任せてしまったし、ライブハウス側への色々とかも上手くやってくれているから任せている。


 梨紗だったら、もっとシンプルに楽しみにしてるって言ってくれるのかな。


「ねえ、一人ライブに誘いたい人いるんだけど」

「え? んー、チケットはソールドアウトしたんじゃなかったかな」

「そうなんだけど、やっぱり誘いたいなーって」


 はるちゃんが店長さんと懇意にしているらしいから、なんとか出来ないかな。そういうのはるちゃんはやってくれなさそうだな。

 小さめの箱で、他のバンドも出るからかなんとか出演をねじ込んだ頃にはもうチケットは売り切れていた。


 毎月あるなら一回位って見てもらえなくてもって思う。思うんだけど、まあ言うだけタダだし見てもらえるなら嬉しいし。望みは薄いけど強請るようにじっとはるちゃんを見つめる。


「仕方ないなぁ」

「え、ほんと? やったー!」

「その代わり」


 私の視線と交差する彼女の視線が、穏やかに優しく変わる。それを見た瞬間に私は即座に彼女の意図を理解する。これは単純なお願いじゃ終わらなくて、取引をしようということらしい。その視線の優しさにようやく騙されなくなってきた。


「私にもその人紹介してくれる?」

「え? 紹介?」

「うん。 お姉さん気になるなって」


 少しの間はるちゃんの意図を推測していれば、すんなりと答えは出てきた。


「別に彼氏とかじゃないよ?」

「でもそこまでして呼びたい人ならきっと大事な人なんでしょう?」


 大事、か。

 はるちゃんの前じゃ音楽話ばかりで、梨紗の話ってしたことがなかった気がする。はるちゃんの言う大事が何を指すのかはよく分かんないけれど、どうせどこかで会うことにはなるよね。チケットを貰えるならお釣りがくる位の条件だと思って頷けば、目の前のはるちゃんは無邪気に喜ぶ。


 お茶目さと狡猾さって共存するんだなぁ。


「フフフ、来週のライブ楽しみだなー」

「はいはい」

「でもその前に、次は日曜日だったかな」

「うん、路上ライブだね」

「ちゃんと見に行くから、頑張ってね」


 地下鉄の改札を抜けてこちらに手をふる彼女に手を振り返す。こんなに頻繁に会うようになるなんて、ふと冷静になると不思議だなって思う。もうそれも随分と馴染んでしまったけれど。


 さて無事見送りも終わったことだし、梨紗にライブ来れないか連絡してみよう。


「……あっつ」


 突っ立っていると忘れていた夏の蒸し暑さが途端に体にまとわりつくみたいだ。髪もっと短くしちゃおうかな。そんなことを考えながら梨紗との連絡画面を開く。

 梨紗の就活に加えてこっちまで忙しくなっちゃったからあれ以来会えていない。連絡は気ままに続いているけれど、ライブに来てくれるならあの日以来ってことになる。


 ライブももちろんだけれど、なんか普通に会いたいな。


「……疲れてんだなーやっぱ」


 就活で忙しいのに何を甘えようとしているのか。一先ず邪な気持ちは隠してライブの事だけを梨紗に伝える。既読がついて返信がくるまでに少しかかるから、その間に駅に向かってしまおう。


 地下道を少し歩いて、階段を上がればJRの改札に着く。見慣れた駅の見慣れた乗り場に着いて、ペットボトルのお茶を飲み干す。

 スマホを確認すれば、まだ梨紗からの返信は来ない。代わりに少し久しぶりな女の子から連絡が来ている。


「……分かってるけどさ、きついなー」


 当たり障りのない感じで、忙しいのだと断りの連絡を入れる。今になって女の子不足なんて言っていた晃の気持ちが少し分かるような気がする。一度そういう思考になると、我慢というストレスが体にかかるんだ。


 これが売れるまで続くんだろうか。

 そんな思考が頭をかすめるのが一番いやだ。やりたいくせになりたいくせに、遠くの未来は憧れるくせして目の前のことは億劫になる。人間の究極に情けないところだと思う。


 そんな思考を虫を追い払うように頭を振って追い払う。まだ始まってばかりなんだ。頑張ろうって始めたのは私なんだ。ここで頑張れないなら音楽なんてやる資格ない。


 ホームのアナウンスが鳴って電車が到着する。中に入ればくたびれたかのようなサラリーマンと疲れて船を漕ぐ女性の姿。疲労が充満した電車内で、扉が閉まる。

 情報を遮断するようにイヤホンを付けてスマホに視線を落とす。こういう時は思考しないに限る。帰ったら食って寝よう。


 しばらくおススメに上がってくる動画を適当に流しているとスマホの画面上に通知が表示されて、それを開けば梨紗からだった。端的な文章は、それでも私の期待を裏切ることはなくて、それを見るだけで頬が緩む。

 

『ライブ少し久しぶりだね、楽しみにしてる』


 そんな文章一つで頭のテンションは一気にひっくり返る。暑さとか疲労とか、そんなものばかり目に付いていたはずなのにな。人間って本当に単純に出来ている。そんな現金な自分に嫌気もさすけれど、さっきの鬱々とした気分よりは今の方がマシかな。


『ありがとう、楽しみにしてて』



 自分の音楽を純粋に楽しみにしてもらえている。私も、もっとシンプルに音楽と向き合わなきゃな。それで今度のライブで、梨紗に良かったって言ってほしいな。

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