第28話好き(2)

 好きだと認めてしまえば、心はあるべきところにすとんと収まったような感覚があった。


「ケーキ買ってきたからさ、一緒に食べない?」

「……ありがと」

「っていってもコンビニのやつだけどね。 四個買ってきた」

「多すぎない?」

「ご家族と一緒に住んでるって聞いたから……あと種類もどれが好きか分かんなかったし」


 ショートケーキ、チョコレートケーキ、チーズケーキ、モンブラン。

 コンビニの袋は二種類あって、色々と回ってくれたことが分かる。認めてしまったせいで、そんな優しさが余計に心に響く。嬉しい理由も愛しい理由も、私はもう認めてしまった。


「とりあえず上がって」

「……そういえばさ、ご家族と一緒ならこんな時間に上がって大丈夫?」

「今更?」

「滅茶苦茶今更気づいた」


 しまったって顔に書いてある。そんな抜けたところまで可愛いなんて思わなくてもいいだろうに、恋は盲目とはよく言ったものだ。私は苦笑しながらスリッパを差し出す。


「まだお母さん帰ってきてないから」

「え、今一人?」

「うん、明日出張から帰ってくるんじゃないかな」

「……あー、えっと……じゃあ、お邪魔します」


 なんだか不思議な感覚だ。リビングに通してテレビのリモコンを渡す。コーヒーを二つ準備して、せっかくだからお皿を準備してリビングに運べば、テレビのチャンネルを変えていた奏が私に笑う。お皿を二つ並べて、一先ずショートケーキを選んだ。


「じゃあせっかくだから」


 奏が体をこちらに向けて、バースデーソングを歌ってくれる。力強い歌声も好きだけれど、優しく柔らかな声も好き。今までだって何度も歌われた歌なのに、梨紗、と奏が呼んで歌ってくれる歌だけが私の心をこんな風にくすぐる。


「ハッピバースデー、トューユー」


 そう歌って普通だったらろうそくの火を消すところだけれど、今日はないから変な感じだねって奏が笑う。それでも十分に嬉しいからありがとうと返せば、奏の顔が嬉しそうに綻ぶ。

 相手の為に、自分が良いと思うことがごく自然に出来る人。クリスマスの時からそれは変わらない。


 あれから、気づけば半年以上の月日が経っている。


「食べよ、そんで明日も食べてよ。 いっぱいあるからさ」

「うん、そうする」

「あー……もし多かったら私持って帰るから」

「……」


 さっきから時折歯切れが悪くなるのは、なんとなく察しているけれど言及しづらいからだろうか。いつもなら聞いてくるだろうけれど、確かに聞きづらいだろうなというのも理解できる。


「有華に聞いた? 住所」

「うん。 どうせならサプライズしよっかなって思って」

「家族で住んでることも有華から聞いたんだよね。 片親なのは聞いてなかったんでしょう?」

「あー……ごめんやっぱ変だったよね私の反応」

「普通触れ辛いよね。 離婚したのも随分前だから私は気にしてないよ」


 ケーキをたくさん準備してくれた優しさを申し訳ないなんて気持ちで終わらせるわけにはいかない。私は目の前のショートケーキを食べ進めていく。隣でチョコケーキを食べる奏が少しだけ笑う。


「明日も遅いの? 梨紗のお母さん」

「明日は早く帰ってくるんじゃないかな。 ケーキ持ってね」

「今のは確信犯だ」

「フフフ、そんなに心配しなくてもちゃんと親と仲良くしてますよって言いたかっただけ」

「どうせ調子に乗ってケーキ買いすぎましたよ」

「ごめん。 ちゃんと奏の優しさ分かってるから、ありがとう」


 だからちゃんと受け取らせてほしい。最後の一口をスプーンで救って口に含む。幸い甘いものは苦手じゃない。太りやすい体質でもないし、もう一個くらいなら問題ない。袋の中からチーズケーキを取り出す。無理しないでよっていう奏に無理じゃないのだと言えば、奏が苦笑する。


「ありがと、梨紗」

「奏が感謝するのおかしい」

「全然。 梨紗のそういう優しいとこ、私好きだよ」

「っ、ごほ」


 チーズケーキが喉の変なところに詰まる。何度か咳をしていると奏に背中を擦られる。熱いコーヒーを少しずつ飲んで落ち着いた頃にクスクスと奏の笑い声が聞こえてきた。


「ちょっと」

「ごめんごめん。 なんていうかさ、例えば誰かが傷ついていると知った時に寄り添ってくれたり、誰かの優しさを受け止めようって頑張ってくれたりさ、そういうことが出来る人は素敵じゃない?」


 そう言って奏が私の顔を覗き込む。

 言い直して再度褒めろとは言っていない。私は恥ずかしさを誤魔化すようにコーヒーに口を付ける。じゃなきゃ、頬が緩んでしまいそうだから。心臓が破裂してしまいそうだから。


 そういうことをまっすぐに人に伝えられる所も奏の長所だとは思うのだけれど、そういう部分でまんまと自分が落ちたのだと思うと釈然としないものもある。

 そんなことを言うから、特別だなんて己惚れてしまうのだ。


 後で痛い目を見るのに、浅はかな私は心を弾ませてしまうから、だからどうかもうこれ以上与えないでほしい。期待してしまう。期待なんてしちゃいけないのに。


「片親だって、言いづらい事言ってくれたのも梨紗なりの気遣いでしょ」

「いい、一つ一つ取り出さないで」

「ふはは。 だから、そんな梨紗を計画とは違ったけどお祝いできて良かったなーって、それだけ」


 目の前で奏が笑う。惹かれてはいけないと分かっていても惹かれるてしまう理由がこの人にはあるじゃないか、そう思ってしまう。もっと独りよがりで我儘で、鈍感で、どうしようもない人だったらこんなことにはなっていない。


 甘い痛みが胸を刺激する。好きになってしまったことに対する納得と、諦めと、これからの期待と不安。全部がこんがらがって胸がいっぱいになる。


「あ、お誕生日おめでと、梨紗」

「え?」


 目の前に差し出された腕時計は、0時00分を表示していた。日付が変わって、私の誕生日。目の前で、奏が優しく笑う。

 色々な感情が未だにずっとごちゃごちゃとしている。それでも、奏が好きという気持ちだけは、とても純粋なものとして心に在るような気がする。


 優しさが好き、少しだけ強引なところだってその根底に優しさがあるから結局好きで、笑った顔が好きで、歌声が好きで、ずるいとこだって、好き。


「ありがと、奏」

「良かった、今ここでお祝い出来て」


 一年に一度の特別な日。ケーキを食べて、プレゼントをもらう日。

 欲しいものはと聞かれて、たくさんのものを考えた挙句なんでもいいと答えていた思い出。そんなものを思い出しながら目の前の顔を見上げる。


「奏」

「ん?」


 これにそんな特別な意味なんてないのなら、奏からもらうプレゼントとしては丁度いいだろう。そんな言い訳を羅列しながら、その唇にそっと触れる。自分から触れるのは、初めてだった気がする。

 

「……ありがとう……その、いつも」


 今はただ、奏の優しさを素直に受け取りたい。

 またいつか答えは変わるかもしれない。後悔するかもしれない。そのいつかは明日かもしれない。そんな不安や恐怖は今もまだあり続ける。それでも今日はすごく嬉しくて、奏の優しさはいつだって不安になってしまいそうなくらい暖かい。


 だから、これはそのお礼と、一年に一度だけの私の我儘。



  

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