第25話落ちていく(2)
スマホを確認すれば、梨紗から返信が来ていた。バイトが終わったから少しだけ見に行く、と書かれた文面の下に急いで走るカワウソのスタンプ。返信時間は丁度ライブが始まった頃だったから返事が出来なかったけれど、梨紗は何処かで見てくれていたのだろうか。
『間に合ってたらいいんだけど』
『ライブどうだった?』
「上々だったね」
まるでLINEの返事みたいな言葉が隣から聞こえて顔を上げる。言葉の通りご機嫌に笑う顔はやっぱり凄い好みの顔をしている。目がぱっちりとしていて、顎がしゅっとしていて、女優というよりはアイドルのような可愛い顔。その顔に微笑まれると気分が一段階上がるような心地になる。
「平日の一番人通りが多い時間帯のおかげかな、今までで一番人がいたと思う」
「有名曲中心のセトリも良かった気がするなぁ」
「はるちゃんが次の路上ライブで百人魅了しろとか言うからね」
「フフフ、でもちゃんとやり方を理解して多くの人を止められたのは上出来よ」
その可愛い顔ですごく現実的な話をされると中々参る。昔はもっと控えめで、周りを優先するような優しい人だったと思うんだけれど、随分と遠慮なく物事を言うようになった。まああれから十年位経っているしそれだけあれば人なんて変わっちゃうよね。
「ねぇ、SNSにやっぱり顔出さない? 売れると思うんだけどなビジュアル凄い良いし」
「……売れればなんでもさせようとする汚い大人なはるちゃんなんて見たくなかったなー」
「汚い、なんて言われると私も悲しいなぁ。 今の時代はもうゆっくり育てるんじゃなくて如何に初動の走りを期待できるかが重要になってきちゃってるから、ある程度その期待が出来る人材じゃないとレーベルも動いてくれないの」
「それはまぁ、なんとなく理解はできるけどさぁ」
「奏ちゃんの歌、私すごく好きよ。 だからデビューしてほしくて、こうやって色々とやってみてほしい事お願いしてるの、ね?」
丸い瞳がまっすぐに私を見つめる。あ、いつの間にかこの人は自分の武器をこんなに理解しているらしい。昔はもっと不器用で、お兄ちゃんに釣り合うのかなんて不安を私に吐いていたのに。私はそんな不安げな顔にいつもどうしてこんなに可愛いのに自信ないんだろうって思っていたのに。
自信がつくような経験が私の知らないところでいっぱいあったのかな。あったんだろうなー、知りたくないし考えたくないけれど。
「私は私の音楽を大事にしたいよ」
「それは絶対保証する。 最初は、やっぱり商売だからある程度それでも大丈夫って判断が出来るまでは色々とあるかもしれないけど、でも私も絶対そうなれるようにするから」
あの時は、ライブ直後はまったくそんな気になれなかったけれど、今は少しだけ揺れてしまう。だって全部、間違ったことを言われている訳でも見当はずれな事を言われている訳でもないと、ちゃんと分かっているから。
私だってだから今こうやって人脈を利用しているとも言える。やりたいことだけをして夢を叶えるのは理想だけれど、現実はそんなに甘くない。何かを選び取るためには、何かを捨てなければいけないことは多い。湊が就職してしまうのも困るし、大学卒業の年齢になれば親からの仕送りも止まる。
何かを選ぶために、何かを捨てなければいけない地点に私は立っている。
「……一回メンバーに相談してみようかな」
「そうだね。 バンドメンバーの仲は本当に良いみたいだし、そこは大事にしてくれると私も嬉しいな」
「方向性の違いから解散、みたいな?」
「笑い事じゃなくて、未だに結構多いのよ?」
頭を抱えながら笑うはるちゃんには、きっと思い当たる節がたくさんあるんだろうな。就職してもう四年?どんなふうに働いてきたのかは知らないけれど、四年でこう言う位には多いのだから、メンバーのこと大事にはしていかなきゃかな?
スマホの通知音が鳴って、その音が私のスマホだと分かるとはるちゃんは目配せをしてくれた。私はスマホをポケットから取り出して内容を確認する。
『少しだけ見れたよ。お客さんたくさんいたね』
『ライブも凄く良かった』
そっか、来てくれてたんだ。そうと分かると不思議と気分が高揚する。ずごく純粋な嬉しさが湧き上がってくるような、そんな気持ちだ。混じりけなく嬉しいとか良かったなって思えることが、今この瞬間にはとても有難い。
見つけられたら良かったな、そしたら声をかけられたのに。でもはるちゃんがいたから難しかったかな。声が聞けたらいいのにな、損得とか将来とかそんなものに縛られずにいられる梨紗の隣は心地いい。
ただ純粋に私と梨紗だけでいられる場所が、今はすごく特別に感じている。
「……もしかして彼氏?」
「はい?」
「なんだか奏ちゃん、すっごく優しい顔してたから。 そうなのかな?って」
「まさか。 恋人に割く時間なんてないよ」
「そうなんだ、それはちょっと安心だなーお姉さん」
そう言えば、よくこうやってお姉さん面してたな。懐かしくて思わず笑えば、彼女も釣られたように笑う。笑った顔は昔にそっくりで、否が応でも胸が弾んでしまう。もう全然違うなって思うのに、これが初恋っていうものなのかな。やっぱりずっと、少しだけ特別、みたいな。
本当は女の人が好きだと言えば、今の私ならはるちゃんは私を見てくれたりするのかな。なんて、別に引きずっているつもりなんて微塵もないのにそんなことが頭を過ったりする。
「色恋沙汰で解散、これも本当に多いから注意してね?」
「ふはは、じゃあ見張っておいてよ、未来のマネージャーさん?」
そう言えば、また楽しそうに彼女が笑う。まあでも、本当に前向きに考えていくならしばらくそういうお友達と会うのはやめておこうかな。一応音楽とは関わりのない場所でやってはいるけれど、本格的にやっていくなら念には念を入れておくに越したことはないよね。そんな事を考えて、ふとたどり着く一人の人物。
梨紗は、ちょっと要相談。他の人はまあいいかとも思うけれど、梨紗は少し離れがたい。それ位には梨紗は好きだ。音楽の支障になるリスクだって今のところは考えられないし、むしろ本当に色々と助けられている気さえする。
だから、彼女だけは見逃してほしいな。
「でもね、ビジュアルも推していくことになるなら極力変なことはしないでほしいかな。 これは奏ちゃんだけじゃなくてメンバー全員に言えることだから、そういうことも踏まえて良かったら一度メンバーの皆に相談してみてくれる? もちろんこれは確約じゃなくて、まだ私の個人的な提案レベルね?」
デビューが決まったわけじゃない。ただ前向きに話が進むとして、企画の時点で却下されればそれまでの、まだ僅かな希望なのは分かっている。私の音楽が、どこまで妥協という形で歪められてしまうかも分からない。それでも、手放すには惜しいチャンスなのは事実だ。
「うん、皆に一回相談してみるよ、それで、もし前向きに進むことになったらメンバーにはるちゃんの事も紹介するね」
「それは嬉しいな。 私も皆から私の知らない奏ちゃんの話聞きたいし」
「それは違くない?」
「だってしばらく見ないうちにすっごく変わってるんだもん。 顔とかすごくしゅっとして綺麗になったし、中身もなんていうんだろう、堂々としてるっていうか、イケメン?になったよね」
イケメン。
私もはるちゃん変わったなって思うのと同じように、はるちゃんも私にそんな風に思ってたんだ。でも確かに、この十年ってすごく大きくて変わるのもおかしいことじゃないよね。
「一番話してたの小学校高学年くらいだったもんね。 お兄ちゃんと別れてから全然遊びに来なくなったし」
「こらこら」
咎めるように頭を数度叩くというには弱い力でポンポンとされる。そう言えば昔よくされていた気がする。変わっている部分もあれば、変わらない部分もある。流石に今は私の方が大きいからやめてほしいけどね?
「じゃあ私は地下鉄だから」
「えー、ご飯行こうよ」
「明日も仕事なんですー。 じゃあメンバーの皆にも宜しくね?」
「むー。 人に路上ライブ強行させといてさー」
「フフフ、じゃあまた今度ね?」
「ほんと? やった」
「なんだか本当に甘え方までお兄さんそっくり」
甘やかすみたいに、目尻が細まる。あー、この表情好きだったな。こんな風に周りの事を甘やかしたり気を遣ってる姿の方がやっぱり印象に強い気がするし、そういうところをいいなって思っていた気がする。すごく昔の話だけれど。
手を振って、改札の向こうへと消えていく後姿を見送る。
どうなるかなんてまだ分からないけれど、全部が良い感じに進んでくれればいいな。と同時に、自分が今いる位置や自分がどこまで妥協できるのか、どこまで以上は折れたくないのか、ちゃんと整理しておこう。
「あ」
まずい、既読だけつけて返していなかった。
私はスマホを開いて、一先ず返事をしていなかった梨紗に返事を書くことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます