第24話落ちていく
あれから奏は、よく連絡をくれるようになった。
何か意味のある事じゃなくても、奏は気まぐれに連絡をくれることが増えた。例えば梅雨に入ったとニュースキャスターが言っていたとか、地震が来れば揺れたねとか、そんな私にじゃなくてもいいものも送ってくるようになった。
私は少しは奏の何かを取り除くことができたのだろうか。
あの日は結局、奏が何に傷つき何を抱えていたのか知ることはできなかった。聞いても教えてはもらえなかったし、私もうまく言葉を引き出す話術を持ち合わせていなかった。
それでも、私に触れる手が優しくなったのは分かった。奏の表情や声が和らいだのも感じ取れた。
奏から何かを取り除くことが出来たのかは分からないけれど、あの時間は無駄ではなかったように思う。そしてあの日から私と奏の関係は少し変わったような気がして、その一つの変化がこれなのかもしれない。
バイト終わりに奏に返信をして電車に乗り込む。今日は許可を取った場所で路上ライブをするのだと言っていた。今から向かえば少しくらいは聞けるかもしれない。スーツを着た人々で溢れる電車になんとか乗り込んで、電車に揺られること二十分程。奏の行っていた駅に着いて吐き出されるように電車から降りる。
スマホアプリで地図を確認しながら三十二番出口の階段を登れば少し湿っぽい空気の匂いがする。
少し歩けば、遠くから音楽が聴こえてくる。男の人の歌声と人だかり、その人々を通り過ぎて少し歩けば、また違う人が歌っていて、その人を通り過ぎたときに奏の声が聞こえた。
スーツの人々が足早に通り過ぎていく中、人だかりの中心に奏はいた。また髪はすっきりとショートに戻っている。仕事帰りの人が多いからか、選曲は少し古めだったけれど、変わらず綺麗な歌声。観客の中には奏をスマホで撮っている人もいるし、スーツ姿の人もいる。
「ありがとうございます。 普段は三人で音楽活動をしてるんですけど、今日はソロで歌いに来ました。 仕事帰りの人も聞いてくれてありがとうございます。 しばらく祝日もないし雨ばっかだし気分上がらないですよね。 だからそんな日々にテンションあげれたらなってことで、次の曲いきます」
力強い歌声が、殴りかかるように歌いあげる。人と人の隙間から聴く奏の歌もやっぱり私は好きだと思う。でも、また聴きたいと言えば隣で歌ってくれるのだろうか。そんなことを考えるのは強欲だろうか。
「ありがとうございました。 前のお兄さんが頭揺らしながら聞いてくれててめっちゃ嬉しいです。 あはは、じゃあもっと仕事なんか吹き飛ばす感じで、もう一曲盛り上がってください」
アップテンポな曲が続く。いつのまにか私の後ろにも人が増えていて、たくさんの人が輪を作って奏の歌を聴いている。別に私の手柄でもなんでもないのに、それが嬉しいのは何故だろう。
楽しそうに歌う彼女をみていれば嬉しくて、バイト終わりに連絡が来ていないか気になって、彼女の不安は取り除けているのか気に掛かって、七月二九日がくるのを待っている自分がいるのは。
何度も何度も言い聞かせている。全ては勘違いで、私たちの関係にゴールはなくて、期待するだけ無駄だということを。高槻くんの言葉だって何度も反芻している。
それなのに、最近自分の制御が難しくなっている気がする。思考を止めようとしても止まらず、些細なことに期待して、私だけは例外なんじゃないかと都合よく捉えようとする自分がいる。
「私を元々知ってる人も今日初めて聴いてくれた人もありがとうございます。 本当はもっともっとこの時間を楽しみたいんですけど、なんか雨が降るらしいので、皆さんが無事に家に着けるよう次が最後にしたいと思います」
ギターの弦を奏が調整して、最後の曲のタイトルを告げる。それはこの前出たCDの1番最初の曲だった。あの日のライブで一番最後に歌っていた曲。あのライブよりも、更に上手くなっているような気がする。環境も機材も違うから本当のところなんてわからないけれど、私にはそう感じた。
「ありがとうございました。 言の輪ってバンドの方もどうぞよろしくお願いします」
拍手が起こって人だかりから人が去っていく。その中の何人かはスタンドにかかってあるチラシのQRコードを読み込んだりチラシを持って帰っていった。人がまばらになった頃に、一人の女性が奏に近づく。ファンの子だろうか。
「お疲れ、奏ちゃん」
「はるちゃん」
奏が振り返って、そしてその女性の名前を呼んだ。その声が少し驚くくらいに無邪気に跳ねていて、私は思わず足を止める。無邪気な声と同じく、無邪気な笑顔が女性に向けられている。
はるちゃんと呼ばれる女性が笑えば、奏の目がいとも簡単に弧を描く。私は数歩下がって、近くの看板に身を潜ませる。
ポニーテールに結んだ女性の横顔はとても綺麗な輪郭をしている。スタイルもすらりと高く、ヒールもあって奏と同じ目線の高さだ。距離を取ったせいで、会話は聞こえない。
奏が機材とギターを片付けていると、女性がそれを手伝い始めた。まるで知っているかのような慣れた手つきは、とてもこれが初めてとは思えない。彼女は最後にスタンドを畳んで、奏のキャリーカートにそれを仕舞う。
二人は最後まで楽しそうに笑ったまま、駅とは逆の方へと歩き出す。私はそれが人混みに紛れるまで見つめていた。
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