第21話違和感(3)
彼女の登場に一番に声を上げたのは千羽さんだった。ビールをもう何杯だか分からないくらい飲み干した千羽さんは、奏が姿を表すと店内に響く声で名前を呼んで、襲い掛かるかのような勢いで奏へと近づく。
「お前今頃来てもおせーよ‼︎」
「ぐえ」
千羽さんの腕が奏の首を絞めている、ように見える。止めた方がいいのかと思う不穏な様子だけれど、高槻くんはそれを平然と見ているから多分大丈夫なのだろう。そんな予想通り、何度かやり取りをした後に腕は外れ、千羽さんは連行するように奏を引っ張ってきた。
「なんで湊がそっちに座ってんの」
「晃がうるさいから」
「ちげーよ、こいつナイトの振りして梨紗ちゃんの隣横取りしてさー」
奏は二人のやり取りに笑いながらお皿に残った冷えたフライドポテトを食べる。私はそんな奏の様子を伺いながら先ほどラストオーダーで頼んだウーロン茶を飲む。頭で整理しきれていないことが多すぎて、どんなテンションで奏と向き合えばいいのか定まらない。そもそもあの連絡の返信も、私はまだしていない。
「さっきドリンクラストオーダーだったからさ、次の店行こうぜ」
「いやもう十一時だし帰る」
「は? じゃあお前なんでここ来たわけ?」
「梨紗誘ったの私だし送らなきゃなーって」
そう言えば千羽さんの腕がまた奏の首に回って、目の前でプロレスが始まる。私は奏の言葉にもその光景にも苦笑しながら、ただウーロン茶を飲むことしか出来そうにない。
だったらなんで、向こうに行ったのだ。
その言葉が出てこないように、ウーロン茶を飲み込む。
「バカだよね」
隣で高槻くんが呟く。私にだけ聞こえる声は果たして独り言なのか、それとも私に対して投げかけた言葉なのか。私は曖昧に首を傾けて返事とする。バカ、は誰に向けられているのだろう。そんなの、怖くて聞けないけれど。
「また明日でもいつでも埋め合わせするからさ、ごめんって」
不貞腐れてしまった千羽さんの肩を奏が擦っていると、店員さんがお会計の催促にやってきた。気づけばお店も閉まる時間に近いのか、周りは随分と空席が増えている。
「じゃあ梨紗ちゃんの分は奏から徴収しまーす」
「え?」
「オッケー今日のライブ売り上げで懐はホカホカだから」
「え、でも奏全然食べてないし」
「ごめんって意味も込めて、ね?」
この場所で初めて奏と目が合った気がする。そうして初めて私の方が奏と合わそうとしなかったのだと気づく。私は奏に怒っているのだろうか、奏はそれに対して謝っているのだろうか。私はまた曖昧な返事をして、鞄に財布を仕舞う。
上着を羽織ってお店の外に出れば思わず肩を竦めてしまう位に寒い。お会計が終わるギリギリまで店内で待っていれば良かった。
なんだかさっきからずっと気持ちが浮かない。心に溜まる靄が一向に晴れない。
「梨紗」
声と同時に、肩に何かが触れた。視線を向ければそこには見慣れない紺色のカーディガンがかけられていて、それは奏が今日着ていたものだと理解する。見上げれば、奏が伺うようにこちらを見ている。そんな顔しないでほしい。だったら最初から行かなければ良かったのになんて思ってしまうから。
そんな欲なんて抱きたくないのに。
「寒」
「……これ自分で着なよ」
「全然余裕」
「風邪ひいてもしらないからね」
「ライブも一段落したし風邪位いいよ」
そう言って笑う奏の顔を見つめる。どうして戻ってきたんだろう。ただ本当に送るためだけなのか、それともこれから誘われるのか。後者だったら私は笑えばいいのだろうか。そんな事を考えて、気持ちが逆立っていることを自覚する。私たちはそういう関係なのだから、苛立つのは私がはみ出しているだけなのに。
「梨紗はライブどうだった?」
「ライブは……凄く良かったと思う」
「……売れそうだなって思った?」
「え?」
瞳が隠れるように、瞼が伏す。売れそうと判断する基準が私の中にそもそもなくて、その問いに対する答えを見いだせない。主観でいいのであれば先ほど言ったようにとても良いライブだったと思うけれど、奏が求めているものとは違うから今この質問をされている。何をどう伝えれば、奏の求める答えになるのだろう。
「ごめん、変な質問した」
「いや、違うの。 バンドが売れる基準が、私にはそもそも分からなくて……」
「……ふはは、なるほどね。 でも、うん、ごめんやっぱり変なこと言ったね」
「……奏?」
「ごめんね、今日誘っといて私がキャンセルとかして。 連絡も気にしないで」
あれ、と思った。
何かが、何処かが違う気がするのだ。ライブ前に感じた髪の毛の長さなどではない、目に見えるものではないけれど確かにある違和感。
私はまだ全然奏のことなんて知らないし、この違和感だってただの勘違いかもしれない。人は誰だって気分によって多少は変わる。偶には普段着ないような服に目が留まることもあるし、普段見ないジャンルの映画を見たくなる時だってある。これはそんな気分だったでも済まされるほどの違和感。
それでも。
奏が自身の言葉や感情を隠すことがあっただろうか。私が怒っているように感じたから?だとしても、それならもっとシンプルにまっすぐ謝るのではないか。奏がこんな風に歯切れ悪くなることがあるのだろうか。いや、そんな風に思う程私は奏のことを知らない……知らない、けれど。
「あの、かな「うわ寒」
言葉が千羽さんの声にかき消される。振り返れば会計を終えた二人がお店から出てきて、千羽さんが盛大なくしゃみをする。それを奏は笑いながら見ていて、その横顔に先ほどの陰りは全く見えない。私は伝えきれなかった言葉を再び伝えるべきか迷う。
「じゃー湊二次会行こうぜー」
「……うん、いいよ」
高槻くんが一瞬こちらを見て、それから千羽さんへと視線を戻す。もう私の足を、思考を、引き留めてくれる人はいないのだ。
「駅あっちだっけ、私たちも行こ」
「……うん」
ゴールデンウィーク中の街はこの時間でもそれなりに人がいて、あちこちから色々な音が聞こえてくる。足音、車のエンジン音、どこかのお店で流れる有線の音、すれ違う人の会話。奏といるときに、奏の言葉以外の音を聞いている。
奏と一緒に並んでいるときにこんなに無言だったことはきっとない。周りの景色や音に気が向いたことはなくて、それだけいつも奏が色々と話題を振ってくれていたのだ。
奏の横顔はただ真っすぐに前を見ているけれど、何を考えているのだろう。一体どうしたのだろう。そういうことを、私が聞いてもいいのだろうか。私と奏の関係は、どこまでなら許されるのだろう。
「……」
考えれば考えるほど言葉が煮詰まっていく。思考の先に沈黙や回避を選んでばかりいた自覚もある。踏み込むことは難しく、沈黙は易いからだ。
奏はいつもそんな私の言葉を聞こうとしてくれていた。何を考えているのか知ろうとしてくれた。だったら私もそこまではしていいのだろうか。そこまでは許されるのだろうか。
「奏」
「ん?」
「……」
回避ばかりしていたつけか肝心な言葉が喉に引っかかる。どう言うべきなのか、どこから聞けばいいのか。様々な言葉がボトルネックのように喉で詰まる。
「何、なんでも言ってよ」
「……どう言えばいいか分からなくて」
「大丈夫。 伝わったら伝わったって言うし、分からないところは都度聞くから。 百文字で足りないなら一万字で伝えてくれたらいい」
事もなげに奏はそう言う。そういうものなのだろうか。それはとても遠回りで、面倒くさくはないだろうか。そう思うのに、そう思うから今まで沈黙や回避を選んでいたのに。
息を吸い込む。まっすぐにこちらを見つめる目に、私は言葉を投げかける。
「何かあった?」
「え?」
「……少し元気がないように思う。 気のせいならそれでいいし、言いたくなければそれでもいいんだけど。 何考えてるのかなって、その、気になって」
何とも保守的な言い回しになってしまった気がする。それでも奏は私の言葉を受け取って、そして少しだけ頬を緩めた。駅が横断歩道の向こうに見えてきて、青になったそこを渡りながら彼女は言葉を紡ぐ。
「今から滅茶苦茶身勝手なこと言うけど、怒らないでくれる?」
「…………怒らない……」
「ふはは。 やっぱりダメだったら怒っていいよ」
奏の視線が、縋るようにこちらを向く。その瞬間に、私はきっと何を言われても怒れないのだろうと悟る。
「今日一緒にいてくれない?」
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