第20話違和感(2)


「ドタキャンで打ち上げ来ないってやばくね?」


 そう言って、千羽さんは持っていたビールジョッキを乱暴にテーブルに置いた。勢い余って溢れたビールを高槻くんがお手拭きで拭いていく。私はテーブル越しに繰り広げられる光景を見ながら苦笑する。


「梨紗ちゃん誘っておいて何してんのあいつ」

「なんか大事な人から連絡が来たらしいよ」


 高槻くんはなんでもないかのようにそう言う。千羽さんは苦虫を嚙み潰したような顔をした後、お店全体に響くような声でビールを注文した。


 ライブ直後に奏から打ち上げに来ないかという連絡をもらったから、その時までは奏も参加するつもりだったのだろう。だとすれば、その大事な人からの連絡は本当に急なことだったことは想像に易い。あんなに気合のはいったライブの打ち上げをキャンセルするくらいの大事な人。高槻くんはその相手を知っているのだろうか。


「今日のライブ今までで一番良かったって思ったのは俺だけ?」

「俺もそう思ったよ」

「梨紗ちゃんもさ、今日良かったっしょ?」

「え? うん……会場の熱気、凄かったよね」


 心からの言葉だった。今日はなんていうか、ありきたりな言葉だけれど本当に凄かった。ライブハウスもこういうライブも初心者だけれど、初心者でも分かるくらいに盛り上がっていたように思う。全員がこのバンドのファンで、このバンドの音楽を楽しんでいる、それが私にまで分かるようなそんなライブだった。


「あいつ音楽にはマジだと思ってたのに、結局クズなんじゃん」

「晃、両角さんの前で言いすぎだぞ」

「湊はまーたその父親ポジション……大学でもこのキャラなん?」

「大学だと……爽やか好青年?」


 千羽さんは高槻くんから距離を取るようにのけ反る。感情表現が豊かな人だな。爽やかというよりねちっこくて、好青年は見た目だけ、なんて散々な言われようだけれど、高槻くんはそれも全部受け止めて静かにビールに口を付ける。

 やっぱり、どこか少しだけぎこちない空気を感じる。そりゃそうだよね、奏がいないし、私はいるし。せめて私がいなければもっと伸び伸びと話を出来たかもしれない。

 なんで、誘いになんかのってしまったんだろう。


「まあいいや、あいつなんか忘れてせっかく梨紗ちゃんいるんだし仲良くなろっと」

 

 千羽さんは徐に立ち上がると、テーブルを回って隣に座った。こうして近くに来られると、誰よりも大きい。ドラムをやっているのが関係あるかなんてわからないけれど腕一つでも太さが全然違くて、思わず好奇の眼差しをむけてしまう。


「酒の席で両角さんに絡むのやめろって」

「交流の機会と呼べ」


 すぐ隣で聞こえる声は低くて力強くて、まっすぐに響く。耳朶には四つピアスが並んでいて、軟骨の方にも開いている。何も知らずに路上で出会えばまず言葉なんて交わさないだろう。

 出身の話から大学、趣味の話。人となりを知る上での基本情報を矢継ぎ早に質問される。高槻くんが隙を見て助け舟を出してくれるけれど、千羽さんには通用しないみたいだった。

 私も、何かを考える隙が無くなるのは都合が良かった。

 

「てか目綺麗だよねーそれカラコン?」

「コンタクトはいれてるけど色は元からだよ。 色素薄いみたいで、髪も地毛なの」

「「え、そうなの?」」


 隣からだけじゃなくて、前からも同じ声が聞こえてきた。二人して驚いた顔をしていて全然タイプが違う二人なのに似ているように感じて面白い。別にハーフだとかクォーターというわけではないらしいけれど、親に詳細を聞いている訳ではないから細かいところは知らない。


「いいなー……可愛いー」

「可愛いになるの?」

「なるなる。 後意外と平気でビール飲んでるところとか」


 そう言って溌溂とした笑顔を見える千羽さんを見て、やっぱりバンドマンって皆こういうものなのかもしれないと思う。千羽さんは残り少なくなったビールを飲み干して、店員さんを呼ぶ。


「梨紗ちゃんも次飲むっしょ?」

「あ、うん」

「飲ませすぎるなよ」

「酔ったらその時は俺がちゃんと家まで送るって」

「奏の次に信用できないな」


 高槻くんの言葉に背筋が凍る。いきなりそんな笑えない冗談はやめてほしい。背中に冷や汗かきそう。千羽さんは陽気に笑っているけれど一体どこまで分かっているのだろうか。いや、流石になにも知らないと信じたいけれど。


 最初は悪かった空気もお酒のおかげか段々と良くなってきている気がする。千羽さんはよく笑っているし、高槻くんは相変わらず上手く会話を繋いだり、私が会話からはみ出てしまわないよう気にかけてくれる。

 本当に、お節介って言われちゃう位優しい。


「やっぱライブ後の打ち上げは最高だよなー」

「お前がそれ言う?」

「これは梨紗ちゃんのおかげだね」


 そう言って破顔一笑した千羽さんは勢いよくビールを飲んでいく。


「ちょっとトイレ」

「早く行け」


 千羽さんはまた徐に立ち上がってお手洗いへと駆けていった。まるで全部が弾丸みたいだ。嵐が去ったかのような空気に高槻くんと顔を見合わせて、それから息を合わせたかのように笑いだす。


「あいつ見た目は怖いけど面白いよね」

「んー、確かに周りにはいないタイプかな」

「でもあいつも女癖は悪いから本当に気を付けてね」

「大丈夫だよ」

「今年一番信用のない大丈夫だな」

「……さっきから突然刺すのやめない?」

「あはは」


 人の良い笑顔を向けて、ハイボールを行儀よく飲む高槻くんを睨む。一応これ以上何も言わないって言われた気がするのだけれど、聞き間違いだっただろうか。


「……大事な人って、誰なんだろうね」

「え?」

「気にならない? 俺は奏にそんな人いるって知らなかったからさ」


 今その話題は、ずるい。

 ようやく楽しく会話が回って、考えたくないことを考えなくて済むようになっていたのに。その流れを断ち切って私まで巻き添えにするのはずるい以外に言葉があるだろうか。その質問に対する私の答えだって、高槻くんならきっと分かってしまうくせに。

 私はなけなしの反抗として答えないままにビールを飲む。苦くて強い炭酸が喉を通っていく。それを見て高槻くんは苦笑する。


「あースッキリ」

「おっと」


 千羽さんが戻ってきて会話が途切れる。高槻くんは何でもないように千羽さんに声をかけて、何故か私の隣にやってきてそのまま隣に座る。千羽さんが高槻くんを大声で非難するけれど高槻くんは全然動かなくて、千羽さんは結局私の向かいに座って高槻くんのハイボールを飲み始めた。


「梨紗ちゃん、湊はアマタの女を泣かせてきた男だから気を付けてね」

「それさっきの俺の真似?」

「結構似てる」

「ちょっと? 両角さん?」


 先ほどの仕返しをすれば千羽さんが豪快に笑う。先ほどのに比べれば仕返しとしては全然足りないけれど、千羽さんの前で非難するわけにもいかないから一先ずはこれくらいにしておこう。目配せで何かを訴えかけてくる高槻くんを意図的に無視して千羽さんの話に耳を傾ける。


「てか湊とも奏とも連絡先交換してるならさ、俺とも交換しない?」

「え? あー、うん、いいよ」

「俺はもう何も言わないからな」


 拗ねている高槻くんを横目に鞄からスマホを取り出す。

 画面には通知が一件あって、その通知先の名前に思わず手が止まる。画面を表示して通知を消してから、千羽さんと連絡先を交換する。今の一瞬の間を、高槻くんは見ただろうか。いや、あんな一瞬で察するのはもはや超人の域だろう。それ位の僅かな動揺で、流石に分かるはずなどないのだ。


「オッケー。 そっちも友達追加よろしく」

「うん、ありがとう」


 新しい友達の欄に千羽さんのアイコンが表示される。友達に追加を押して、ドラムを叩いているアイコンを閉じれば、通知の一番上の文面が目に留まる。意識をする間もなく、目がその文章を読んでしまう。


『打ち上げ終わった? 時間あったら二人で飲み直さない?』


 流石にこれは、都合よく使われているのだろうか。大事な人とはもういいのだろうかとか、こんな時間に呼び出す本当の意味とか、そもそも大事な人とはそういう時間を過ごさないのかとか、お酒が足りない頭は流暢に物事を考えてしまう。先ほどまでの漠然としたもやもやから、明確な悪感情が心に溜まり始めているのが分かる。


「梨紗ちゃんどうかした?」

「え? ……ううん、なんでもない」


 だから、今は知らないふりをしてしまおう。この飲み会が終わったら気づかなかったと送って、また今度時間が合えばって送ればいい。私たちはそういう関係なのだから、それは微塵もおかしい事じゃない。

 利害が一致する、楽しい事だけを共有する仲。


 だから、こんなにも心を振り回されなくていいはずなのだ。

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