第22話捌け口


 触れる他人の熱さに脳が痺れる。理論とか全部すっ飛ばした行為は、そのまま難しくこんがらがる思考まで遠くに連れて行ってくれるから好き。


 いつもより身勝手に、いつもより性急に、まだ冷たいままの手で触れているのに、目の前の彼女は何も言わずに受け入れてくれる。優しさは毒だ、なんて言葉があるけれど、あれって与えられる側だけじゃなく与えてしまう側にも言えるんじゃないかな。


 梨紗の優しさは私には優しすぎると思うし、その優しさって全然梨紗の為にもなってないよ。


 こうなるって分かってたじゃん。そもそも、だから梨紗は私からの連絡を無視という形で拒絶したはずだし、本来だったら私のこんな身勝手な行為なんて梨紗は突っぱねていたはずだ。もしも、の話なんて本当のところは分からないけれど、居酒屋の梨紗の雰囲気は少なくともそんな風に感じた。私はそれを正しく受け取って終わるはずだった。


 思っていた以上に、私ははるちゃんの言葉に傷ついていたのかもしれない。それが梨紗を捌け口にしていい理由なんかにはこれっぽっちもならないのに。あの言葉が反響すると普段の私ではいられなくなる。


「梨紗足の力抜いて?」

「え?」


 スカートのファスナーを下して、素早く脱がせる。膝裏に唇で触れれば、私の言葉とは逆に足に力が入る。本当はもっとちゃんと触れてあげなきゃいけないのは分かっている。でも、そんな心の余裕が今の私にはなかった。

 柔らかな内股に唇で触れて、舌で触れて、歯で触れて。許しを乞うように名前を呼ばれても無視をして中心へと進んでいけば、梨紗の手が私の髪に触れる。決して止めはしない力で、それでもきっと止まってほしいと願っている。だって、ここにそうやって触れるのは初めてだから。


 それは、伝わっている。こんなに性急に乱雑に触れていい場所じゃないこと。こんなふうに触れられるのは抵抗があるはずだということ。お互いに楽しくなきゃ意味がないことだって分かっているのに。


「っ、かな、でっ」


 変な味。甘くなんかないし美味しくなんてもちろんない。でも、こうやって舌で触れるのが一番、苦しい位に気持ちいいでしょ?前戯なんてすっ飛ばして、ただひたすらに快楽を生み出すだけの行為。難しい事なんて全部忘れて、ただそういうことに溺れていたい。

 彼女の弱いところをついて、無理やりに声を引き出す。苦しげな嬌声と、震える足、のけ反る背中、それが全部弾けるまで止めることはしない。私の髪を掴んでしまわないように、梨紗の手が頭から離れてシーツを掴む。

 そんな仕草一つ、優しすぎてたまらない気持ちになる。


「っ」


 ぐっと力が入って、そして弾ける。収縮と弛緩を繰り返す体を感じながら、ゆっくりと唇を離す。くたりと力の抜けた体に、荒い呼吸音。一瞬だけ上がった体の熱は瞬く間に冷めていく。

 最上級だといわれるコミュニケーションだって、こんな空虚にもなれる。


 息が整ってきた頃、梨紗の体がきゅっと猫のように丸くなる。四つん這いでその体の隣まで移動してその体を見下ろす。今この体に触れたら、彼女は次こそ私を拒むのだろうか。

 甘えていい許容範囲を超えたかもしれない。それを自覚して、進むことをやめなかったのは私の意思だ。だから彼女は怒るのが普通で、怒って然るべきで私に優しさなんて見せなければ良かったって罵倒して当たり前だ。それでも、私を受け入れるような梨紗の仕草に私は甘えたかったのかもしれない。


「……梨紗」


 梨紗はどっちを取るだろう。私はそんなことを思いながら梨紗の肩に触れる。未だに同じ体温とは言い難いその肌に触れれば、彼女の体が怯えるように震える。


「……なに?」

「なに、っていうか、梨紗こそ私に言いたいこととかないの」

「……なんで、」


 声が止む。この間はきっとまた何かを考えている。私に対して、どう言ったらいいかなんてまだ考えてくれるんだ。


「……なんでも言ってよ」

「っ、じゃあなんで、奏は何も言ってくれないの」


 丸まった体がゆっくりと起き上がる。何かあった?と聞いてくれた時と同じ目をしていて、どこまでも優しく私を想っている目をしている。まだ私の事を心配なんかしてくれているんだね。


「いつも言ってくれるのに、なんでこういう時は何も言わないの。人には言葉にしてよって言うくせに、言ったくせに、なんで奏は秘密にするの。私は、…………私は、こういうことで何か満たされたりするものがあるならいいと思うから奏とこういうことしてる。でも、今日のは、私でも違うことくらい分かる」


「一緒にいる方法は……本当にこれでいいの?」


 どこまでも他人の為の言葉。どこまでも、私の為の言葉。

 言ったって仕方ないんだよ。自分が渾身の出来だって思ったライブが、良かったけれど特別売りだせると言えるほどじゃないって言われたこととか、SNSでもっと顔とか出せば売れるかもとか、顔がお兄ちゃんに本当によく似てるねとか、そんな言葉が全部気に入らなかったこととか言ったって仕方ないじゃん。


 私が取るべきことは技術を磨くことで、顔なんか出さなくても十分な売上を出すことで、傑作を作ることで、昔の事なんかとっとと忘れることしかないんだ。


「……奏」

「っ」


 頬に触れる手に自分の視線が落ちていたことを知る。ゆっくりと撫でられて持ち上げられれば、常夜灯の中しっかりと私を見る梨紗の瞳があった。彼女の体がゆっくりとこちらに近づく。さっき触れた体が柔らかく私を抱きしめる。服越しに体温が伝わってきて、ゆっくりと私の体を温めてくれる。


「ずるいね、これ」


 さっきも触れた体温が今度はどんどん私の中に入ってくる。優しさが嬉しいはずなのに傷つけられた心をぶつけるように触れてしまったのに、それでも梨紗はこんなふうに暖かさを分けてくれる。

 一緒にいる方法は、たしかにこれなのかもね。


「もうちょっとこうしてて」

「……なんか恥ずかしくなってきた」

「私がいいよって言うまでしててね」

 

 梨紗の体を抱きしめる。細くて柔らかくて、暖かい体。さっきよりも幼稚で簡単な行為なのに、さっきよりもずっと心地が良かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る