第17話好き?

 長期休み明けの学校ほど憂鬱になることは無いと思う。休みを満喫したというには色々と用事で学校に来ていたけれど、休み中に少し出てくるのと新学期が始まるのは気持ちが全然違うのだ。


 二〇七の教室に入るとまだ人はまばらだった。有華もいないし、空いている窓側の後方席に座る。窓からは散りかけの桜が見えて、今年の新入生は大学の桜を見られそうにないかもしれない。そんなどうでもいいことを考えるくらいにはやることもなければやる気もない。

 しばらくスマホで時間を潰していれば、ようやく人が増えてきた。おはよ、という声に顔を上げればそこには有華がいて、隣に座った瞬間眠いと言いながら机に伏せた。五月のライブ一緒に行かないか誘いたかったけれど、まあ後でもいいか。


 それからすぐに教授が入ってきて、四年生にとって数少ない講義が始まる。まだ少し呆けている有華の腕をペンで二回たたけば、寝不足のせいか目がまだ開いていない顔が私の方を向く。


「?」

「この前の履歴書添削どうだった?」

「早速指摘された。 まだ応募すらしてないのに結構しんどい」

「そうなんだ。 本命の会社はまだ先だっけ」

「来月申し込み開始なんだよね……絶対完全在宅勝ち取りたい」

「応援してる。 あの……それじゃ、ゴールデンウィークって忙しい?」

「え? そりゃまあ推し活も就活もあるし忙しいけど……って、何かあるの?」


 何か、ある。でも就活生にライブ行こうだなんて誘う方がおかしいだろうか。忙しいなら来てくれる可能性は低いし、誘ったところで意味がないかもしれない。

 いや、ここまで言っておいて本題を言わないのもおかしいか。


「実は奏たちのライブがあるらしくて。 有華が興味あるなら、どうかなって……」

「……ねえりょうちゃん」


 有華の顔がぐっと近くなる。肩と肩が触れて、有華は手を口元に当てて私にだけなんとか聞こえる音量で話し始める。どうやら相当聞かれたくない話題らしい。


「もしかして二人って付き合ってるの?」

「え?」


 思わず大きな声が出て咄嗟に口元を押さえる。何人かがこちらを振り返る。けれど知らないふりをすればすぐに視線は戻っていって、教室には元通りの空気が流れる。ドキドキと心臓が煩い中、ようやく有華の方を向く。

 私と奏が付き合っている?


「そんなわけないでしょ」


 確かに奏といる時間は楽しい。

 奏の気遣いのバランスは心地よくて、私の意見を蔑ろにはしないけれど、困ったときは先導してくれるところも有難いと思っている。意見は素直に言ってくれるからこちらも言いやすいし、抑えようとした言葉を辛抱強く聞こうとしてくれる。たまに信用できない位褒めたりするけれど本人はいたって普通にそういう事をするから、その部分だってお世辞ではないんだなとは感じるし、その、大体夜はそういうことになるけれど、夜は一際細やかになるから、嫌なことは一度だってされたことはないし、比較対象もいないから分からないけれど、多分、上手だと思う。


 でも、だからといって私と奏がそういう関係になることなんてない。そもそもそんな場所は私たちにはないんじゃないだろうか。


「でもさ、噂になってるんだって」

「はい?」

「りょうちゃんと高槻くんが二人でご飯してたとか、セミナーの時ずっと一緒に回ってたとか、さっき教室来る途中向こうのグループも話してたし」

「私と高槻くん?」

「え? うん」


 唖然とする。有華の言葉が頭の中で三回ほど繰り返されてようやく話の糸がつながる。二人って私と高槻くんのことだったんだ。そりゃ大学で噂になるならそうだよね、奏のことを知っている人なんて噂になるほどいるわけないのに。

 当たり前に奏とだと想定して考えていた自分が恥ずかしくなってくるのと同時に、奏を想定してしまった自分の思考に気まずさを覚える。どうして、奏が先だったのだろう。


「……とにかく、高槻くんとはライブのことでよく話すようにはなったけどそれだけだよ」

「まー私もその二人ってあんまりピンとはこなかったけど、だよね。 あ、ごめん話変えちゃって、ライブだよね。 何日?」

「四日だよ」

「四日かー」


 高槻くんよりも奏と過ごしている時間が長いし、今の会話の流れで奏を頭に浮かべても仕方がない。そこまで変でもないし、そこに意味なんてあるわけない。一つ一つ説き伏せるように心に言葉を落としていく。そもそも付き合うなんて考えた事なんかない。奏には私の他にも似たような女の子がいるのに付き合うもなにもないだろう。

 そうだ、それでもうこの話は終わりなのだ。


「また予定はっきりしたらでいいよ」

「その頃にどれくらい余裕あるか読めなくて。 ごめん」

「うん」


 そう言って会話は途切れる。意識を授業に戻せば教授は与太話に夢中で、私の意識は集中する場を探す。じゃなければ、また思考の渦に嵌ってしまいそうだったから。

 今日はこれで授業が終わりで、午後は色々と情報探してみて、夕方からバイトが少しある位か。今日はまだまだ長くて、そのくせ頭を没頭させる先も少ない。

 早く、何か別のことで頭を切り替えたいのにな。


*** 


 終了のチャイムが鳴れば、教授が教室を出るよりも先に教室は騒がしくなる。机に出していただけのレジュメを鞄に戻して、有華と一緒に席を立つ。


「両角さん」

「っ」


 教室を出る直前で呼び止められて、振りかえればそこには高槻くんがいた。先ほどの会話のせいでなんだかやけに気まずい。思わず有華に目くばせをすれば困った表情を返された。確かに助けを求めたところで有華にはどうしようもないか。


「どうしたの?」

「帰りながらちょっと話したいことあって。 近藤さんも」

「もしかしてライブの話?」

「そうそう。 もう奏から聞いてた? あ、それと別件が一つ」


 意味深な笑みを高槻くんが向けてくる。私からすればそれは奏の事なのだろうとなんとなく察しはつくものの、この教室の中で一体どれだけの人がそれを理解できるというのか。

 今ならわかる、いつもネイルや服の話を良くしている女の子たちがこちらを伺っているのが。有華がじっとこちらを見つめているのも。こういう視線はいつまでも慣れそうにもなくて、ひたすらに居心地が悪い。


「とりあえず邪魔になるから移動しよう」


 ここドアの近くだから。

 そう言えば二人とも首を縦に振って、とりあえず場所を移動させることに成功する。教室から離れるときでさえも、視線を感じたのは偶然だろうか。ただ珍しい組み合わせだな、とかそんなものだったらいいのだけれど、視線だけでは分かりようもない。

 そうやって周りが盛り上がってしまって、断れなかったことで起きた後悔を思い出す。


「それでライブなんだけど、両角さんは来るよね?」

「……まあ、行きますけど」


一々突っ込む気力もないけれど行く前提だし、相変わらず押しが強い。私の言葉に高槻くんは春くらいの澄んだ暖かい笑顔を返してくる。


「そっか良かった。 近藤さんは?」

「私はちょっと就活次第かなって」

「確かに忙しいよね。 息抜きしたいとか、ストレス発散とかにも丁度いいかもだからもし行きたいってなったらいつでも言ってね」


 キラキラに眩しい笑顔。最近はこの笑顔を素直に受け取ることもなくなってきた。そこはむしろ親しみを覚えられた、という意味だから悪い意味ではない。おそらく。

 そのまま三人並んで歩いて、高槻くんは何処かへ行く気配がない。そのまま図書館まで着いてしまうころには三人で情報収集をすることになってしまった。高槻くんのこういうコミュニケーション能力は少し奏に似ていると思う。少し強引なくせにまあいいかと思わせてしまうあたりが特に。


「高槻くんはもうエントリーする企業決めてたりする?」

「出版かレーベル関係である程度絞ってるよ。 後は練習含めて何個か」

「早いね。 私はひたすら在宅のところ探してるんだけど」


 高槻くんもしっかり就活してるんだ。二人の会話を聞きながら、その事実に思いのほか驚いている自分がいる。セミナーには来ていたけれどさして興味はなさそうだったし、私とはバンドや奏の話ばっかりだから知らなかった。

 でも、そうだとするならバンドってどうするんだろう。大学通いながらやっているし、社会人でも活動自体は出来るとは思うけれど、高槻くんにとってはバンドってあくまで趣味なのだろうか。


 奏は、おそらく違う。奏はCDの売り上げや客数の話もするし、音楽のことはすごく誠実に考えている。多分、音楽を職業にしたいと思っているだろう。だとするならば、バンドってどうなるのだろうか。バンドが売れれば、高槻くんもバンドに専念するとか?奏はそういうことを含めて考えているのだろうか。


「両角さん?」

「わっ」

「聞いてなかった?」

「……なに?」

「これ一段落したらさ、また時間くれない?」

「……私夕方からバイトが」

「近藤さんはお昼食べたら帰るかなって言ってたから丁度いいね」


 さっき何か思考が紛れることがないかなんて考えてしまったせいなのかもしれない。こんなタイミングで高槻くんに捕まるなんて。爽やかな笑顔で逃げる余白を埋めていくのは本当にずるいところだと思う。しかも、その話題はきっと奏のことで、そうなると結局私の思考は奏のことになってしまうんじゃないか。そもそも今だって、気づけば奏のことを考えていて。 

 どうしてこんなに、奏のことばかり。

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