第16話日常は変わる


「奏さ」

「んー?」

「両角さんと会ってる?」

「んー」

「……実際どういう関係な訳? 付き合うの?」

「んー……ん?」


 新譜の譜面から視線を移せば、椅子に器用に体育座りした湊が私を睨んでいた。睨むというよりは軽蔑している、の方が近いかもしれない。最近じゃ私の素行に何も言わなくなってきていたのに、最近また何かと煩い。まあ梨紗とも仲がいいみたいだし、私というよりは梨紗を心配しているんだろうけど本当にお節介。せっかくスタジオ練習なんだから練習してよね。


「それを知って湊はどうするわけ」

「そうだなー、両角さんの目を覚まさせるくらいは出来るかも」


 なんかやけにけんか腰な気がする。

 付き合うのかなんて聞いたくせにめちゃくちゃ引き剝がそうとしているし、なんでこんなに牽制されているんだろう。いやそもそも目を覚まさせるってなに?別に催眠かけてる訳でもだましている訳でもないんだけど?


「梨紗も同い年だよ? 自分で判断くらい出来てるよ。 てかちゃんとお遊びの関係が他にもいるって言ってるし、その上でお互い楽しいってなってるから梨紗も私と遊んでるんでしょ」

「え、知ってるの?」

「こういう関係の人が他にもいるのかって聞かれたから、そういうオトモダチはいるよって言ってる」

「……」


 湊は目をまん丸にした後、苦虫を嚙み潰したような顔をする。あの言葉がまずかったか、なんて一人ぶつぶつと言いながら一人会議を始めるから私はまた新譜に視線を戻す。湊に梨沙が何か言われていたとして、決めるのは梨紗だし、責任を感じるとか自意識過剰じゃない?

 それにせっかくのスタジオ練習に何を余裕こいているのか。サビ前のコード進行を何度も繰り返して手に馴染ませていると、湊がまた話しかけてくる。


「あーもう煩いなー」

「つまりお互い今の関係に納得して会ってるんだよね?」

「関係に納得して会ってるって日本語がまず訳わかんない。会おうって言ったら会ってくれるとしか言えないよ私は。 そんな気になるなら梨紗に聞けバーカ」


 ギターをスタンドに立ててスタジオを出る。音楽の場にそういうの持ち出すの本当に嫌い。お腹に溜まる不快感を吐き出すようにロビーのソファーに乱暴に座れば、飲み物を買いに出ていた晃が丁度戻ってきた。


「あれ、奏も休憩?」

「湊がさー、父親みたいなこと言ってきてウザすぎるから逃げてきた」

「げえ、なんでお説教モードなってんの」

「知らんわ」


 大学はまだ始まってないはずだけど、色々大学に行く用事があるのは湊からも梨紗からも聞いているし、何か話したりとかしたのかもしれない。そうだとしてスタジオを借りている時間は二時間しかないのにこんな事に時間潰してさ、色々な楽器に手を出して結局一番下手なくせに。


「……あー……」


 違う。今のはなし。今のは八つ当たりになる。

 うめき声をあげながら顔を覆うと、晃がおにぎりをくれた。別にお腹が減っている訳じゃないけれど、これが晃なりの優しさなのは分かるから素直にもらう。でも晃、今月金ないからって自販機じゃなくてコンビニの安いお茶買いに行ったのに、おにぎり買ってたら逆効果じゃないかな。

 包みを剥がして齧れば、明太子の辛みが美味しい。


「飲み物頂戴」

「お前図々しいな」


 渡されたペットボトルのキャップを開けてお茶で喉を潤す。単純なもので、これだけで少しだけ落ち着いた気がする。お腹も満たされてしまったし、カロリー分練習しなくては。

 もったいないしねこの時間、戻って練習しよ。


「戻ろ、晃」

「げー」

「みんなで合わせないとスタジオ練の意味」

「切り替え早いよなお前」


 そう言って晃は重い腰を上げて隣に並ぶ。晃は良くも悪くも裏表がないから好き。全力で味方してくれるし全力で喧嘩してくれるのもスッキリする。湊みたいなやつばかりだったら頭がおかしくなっちゃう。これはただの愚痴。

 扉を開ければキーボードの音が聞こえてきて、向こうもドアの音でこちらを向く。目が合えば、納得いかないって顔がどこかへと逸れていく。意見の不一致は対話で補える部分もあれば逆もまたある。私と梨紗の関係について湊から指図される筋合いはないし、少なくとも私は望んでない。湊がやれるのは梨紗がどう思っているのか確認して、梨紗が湊にしてほしいことがあるならそれを助けるしかない。

 少なくとも勝手に決めつけて私にどうこう言うのは違うと私は思う。


「空気悪ー」

「本当にね、ライブ迄後一カ月位しかないんだから勘弁してほしい」

「……奏に釘刺そうなんて考えた俺が浅はかでしたよ。 晃はいつも奏に味方するよね」

「湊いっつもやり方汚いじゃん」

「ふはは!」


 私が笑えば湊の目がすっと細くなる。穏やかな顔のやつが途端にそういう冷めた目するのはやめてほしい。そそくさと自分のギターを取って、アンプと繋いでいく。いつもの発声と、いつものコードを鳴らせばこちらの準備は完了。晃がアプリでメトロノーム音を起動させて、ドラムを何度か叩く。二人と視線を合わせて、呼吸を合わせる。湊の視線は、やっぱりいつもより冷めている。

 まずったのかな、私。梨紗とはうまくやれる関係だと思っていたけれど、まさか湊とこういう事になるとは思わなかった。


 頑張ってと言ってくれた声を思い出す。間違いというにはその声は暖かくて、そう簡単に切り離す気にはなれない。切り離さなければいけない理由も納得もないし、湊がこのまま大人しく諦めてくれたらそれがいいんだけれど、人と人ってとことんこんがらがっている。

 ドラムの音に続いてギターを鳴らす。違う、今は音楽に集中しなきゃ。弦の感触、音の肌触り、リズム、一つ一つに集中する。

 煩わしいことは、後にしよう。


***

 

 晃と目配せをして、同時に最後の音を鳴らす。初めての通しにしては悪くないとは思うけれど改善点はいくらでもありそうだ。お互い気になるところを言っていって、もう一度合わせる。後はひたすらこの繰り返し。誰かの心を動かすには粗があってはいけない。


 残り時間はひたすらにすり合わせをして、終了時間の二分前にスタジオを出る。ここのスタッフさんは一分でも遅刻すると延滞料金を取られるから気を付けないといけない。三人で料金を割り勘して外に出る。

 夜なのに空気が冷たくない。来週位には桜も咲き始めるのかな。


「飯食いに行こー」

「あ、俺明日早いから帰る」


 そう言って湊は駅の方へと歩いていく。練習中は一応それなりに普通だったように思うけれど、やっぱりまだ根に持ってたのかな。だからといって湊にしてはあからさますぎる気もするし、言葉以上の意味は無いのかもしれない。

 見えない部分を考えたところで正解はないんだし、まあもういいか。ライブ前に頭を使うことは増やしたくない。湊は湊で動くだろうし、それによって何かが変わるなら、その後で考えよう。今はライブが一番大切だ。


「じゃー奏どっか食べ行こーぜ」

「外食減らせばお金溜まるんじゃない? まあ私はいいけど……っと、ごめん電話き———」


 画面を見た瞬間、思考が止まる。画面に表示された名前は、数年ぶりに見る名前だった。

 なんで、この人が私に電話なんかかけてくるんだろう。心当たりなんてまるでない、それどころか電話番号を交換したのだってめちゃくちゃ昔なはずなのに。なんで、今になって。何の用があって、私に電話なんかしてきたんだろう。


「……ごめん私もちょっと用事出来た。 じゃ、おやすみ!」

「え、は?」


 晃に一方的に別れを告げて人ごみの中に紛れ込む。晃に聞かれるのはまずい、というよりこの人との会話を知人の誰にも聞かれたくない。理由なんて明確にない、ただ勝手に脳がそう告げたから。

 雑踏の中に紛れて、ゆっくりとスマホをタップする。やばい、なんでこんなに緊張しているんだろう。でも、最後に話したのだって確か成人式の日に少しだけで、それ以降全然無かった。だからこれは、久しぶりの人の突然の電話に少し緊張しているだけ。それだけ。

 何度か息を吐いて、ゆっくりとそれを耳に押し当てる。もしもし、と響くその声は、間違いなくあの人の声だ。


「……はるちゃん?」


 そう呼べば、電話の向こうで柔らかな声が私の名前を呼んだ。

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