第14話始まり(3)


 お腹を満たして二人で一緒に家に帰る、なんて改めて考えると奇妙だよね。解錠したドアを開けて、梨紗が家へと入っていくのを見ながらそんなことを思う。

 暖房つけっぱなしにしておけば良かったと思いながらスイッチを入れて、その間に電気ポットで湯を沸かす。


「お茶かコーヒーどっちがいい? あ、インスタントね」

「どっちでもいいよ」

「じゃあコーヒーで」


 カップにティースプーン二杯分の粉末を入れて、そこにお湯を注ぐ。スプーンでかき混ぜて、適当に砂糖スティックとミルクを取ってテーブルへ運ぶ。

 ソファーの背もたれにかかっていたコートをハンガーにかけてあげて、ギターを持って隣に座れば、コーヒーよりもこちらに視線が向けられる。弦を調整してから、いつもの準備運動がてらの演奏をして、さて何を歌おうかな。


「何かリクエストある?」

「んー……なんでも」

「じゃあこの曲知ってる?」


 咳払いをひとつして、サビを歌えば梨紗は首を縦に振る。それならまずはこれにしよう。ギターを弾きながら、少しだけ昔に流行った曲を歌う。音域もコード進行も至ってシンプル、それなのに流行ったのはそれだけこの曲の歌詞が色んな人の心に留まったからだろう。比喩は切なく綺麗で、歌上の物語はありふれたものだからこそ誰しも共感する。そんな少しだけ切ない片思いの歌。

 そんな一曲を歌い上げると、隣でパチパチと拍手が鳴る。耳に心地いい声が好き。そう言って目尻が垂れるのを見つめる。手放しで褒められちゃったな。普段は色々と考えるくせにこれは素直なんだね。


「奏はいつから音楽始めたの?」

「中学一年だよ。 お兄ちゃんの影響で色々聴くようになって、好きなバンドが出来て家でギター真似してって感じだったけど、高校でバンド組んでから本格的に始めたかな」

「高槻くんと千羽さん?」

「そう。 最初っからその三人」


 軽音部に入って、そこで出会ってすぐに声かけたっけ。そこから三年間やって、高校生限定で開催された大会では結構いいとこまでいったんだよね。あれももう三年前か。


「なんか懐かしいなー」

「仲いいよね」

「仲はいいけど、湊とかすーぐ世話焼いてくるからうざいよ」


 そう言えばクスクスと可笑しそうに笑うから釣られて笑う。懐かしいついでに、その頃よく歌ってた曲でも久しぶりに歌おうかな。音階がずれてないことを確認してから、ギターを鳴らす。同い年ならきっと知っているはず。歌い出せば梨紗は静かに耳を傾けるから知っていると判断して歌を続ける。

 これは別れの歌。大人になる、それだけが別れのきっかけになり得るのだと言い聞かせるように、諦めるような歌詞が好き。その中で確かに降り積もった思い出を糧に寂しさを残しながらも歩き出す最後が好き。そんな感情を懐かしみながら歌い終えれば、梨紗はまた小さく拍手をくれる。


「奏って」

「ん?」

「……」

「え、なに?」


 自分の中に沈み込むように、視線が下がっていく。また何か難しいことでも考えているのか、言葉を選ぼうとしているのか。


「気になるんですけど?」

「なんていうか……別に嫌味とかじゃないんだけど、悲しかったり寂しかったりする曲の方が好き?」

「好きっていうより共感しない? 等身大っていうか」

「共感……奏ってもっと前向きなイメージあった」

「頑張ろうぜ未来は明るいぜ、みたいな?」

「どちらかといえば」

「別に自分の事を暗いなんて思ったことはないけど、喜怒哀楽って切り離せないというか、喜や楽の数だけ怒も哀もあって、それ全部ひっくるめて感情は成り立つと思うからそっちの方が好きってだけだよ」

「……」

「視線が意外って言ってる気がするんですけど?」


 図星なのか視線がふらふらとさ迷いながら逃げていく。別にこんなことで怒らないし気を遣って言われないよりは素直に言ってくれた方が嬉しいけれど、それはそれとして視線は逃がしたくない。視線を追いかけていけば背中がのけ反っていってそれが面白くて更に追いかける。とうとう折れた梨紗が謝りながら視線を合わせてきたから堪らず笑う。犬が耳をペタンコにして見上げてくる動画とかあるけど、それに似ている気がする。


「ふはは。 キスしてくれたら許してあげる」

「は?」

「あー、傷ついたなー」


 そう言ってみれば梨紗の手が私の肩を叩く。からかわれているって気づいたらしい。中学や高校の話をしたせいか、あの頃もこんな風に同級生とじゃれていたなと思い出す。膝に乗ってきたり髪の毛を触ってきたり、あの頃って何もかも距離が近くて、ほっぺにキスなんて女友達でも成り立っていた。まあそんな子たちも結局、彼氏を作っていったけど。

 私と奏は友達でしょ?

 そう言ったあの声を思い出す。あーあ、余計なことまで思い出しちゃった。


「ねぇ梨紗」


 私を睨む目をじっと見つめる。いや?と聞けば答えられないのはもう知っている。冗談っぽさを消せば途端に逃げられなくなるのも知っている。ゆっくりと近づけば視線が落ちて、長いまつ毛が影を作る。それを見つめたまま、そっとキスをする。コーヒーの味がする口内を味わえば、肩にかかるギターが邪魔になってきた。一度離れてギターを戻し、ソファーに座る梨紗を見下ろす。

 距離を詰めて座り直して、梨紗の頬に手を伸ばす。私の手が冷え性なせいか梨紗の頬が熱いのか、肌と肌の温度が酷く異なる。そのまま手を項の方へ滑らせれば梨紗の肩が緊張するように力む。

 これってやつあたりなんだろうか。そうだったとして、止めるほどの誠実さなんてもっていないけれど。


 今こうして頬を赤める梨紗だって、最後には当たり前に彼氏を作って何処かに行くわけだし、だったらこうやってお互い遠慮なしに楽しくいられたらそれでいいでしょ?


「初めてじゃないでしょ、もうちょっと力抜いて」

「だっ、って……明るいし、酔ってないし」


 理性を味方する要素が多いのだと梨紗は言う。電気を消しても安物のカーテンじゃ完全には暗くならないし、バイトが控えているからお酒は飲めない。だったらもう、本能を引きずり出すしかないよね。いつも以上に入念に梨紗が好きな場所に触れていく。項を擽るように撫でて、耳朶の輪郭をなぞって、舌を吸って、上顎を舌で撫でる。呼吸が浅く早くなって、声が震えて、そうやって梨紗の理性が少しずつ溶けていくのを待つ。

 さすがに同級生とこんなことまではしなかったな、なんて考えて一人心の中で苦笑する。今思えば、あの時踏みとどまっておいて良かったと思う。


 唾液がすっかりと混じり合った頃に唇を離せば必死に息を整える梨紗の顔があって、その表情に熱がぐつぐつと湧き上がってお腹に溜まる。そんな昔話なんてもうどうでもいい。雑多な感情なんて必要ない、なんてさっきの喜怒哀楽の話とは真逆の事を思う。


「力抜けた?」

「誰かさんのせいで」

「ふはは」


 それはなにより。もう一度キスをして舌を絡める。さっきよりも応えてくれる舌に、理性が溶けてくれているように感じてゆっくりと服の中に手を潜り込ませる。止められないならいいってことだよね。そう都合よく受け取って、柔らかなお腹に唇で触れれば、皮膚の下の筋肉が緊張するのが分かる。ゆっくりと焦らすように、触れることを察してもらうように、時間をかけてゆっくりと上にあがっていく。肌の下の肋骨の感触を過ぎて、膨らんだ柔らかな感触に舌を這わせていく。

 お互い遠慮なしに言いあって、好きな事をして楽しく過ごせる関係。それでいいし、それ以上はいらない。過度な期待や感情は必要のない感情を心に降らせるから。だからここが、この関係が、始まりでゴール。

 ねぇ、そうでしょ?

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