第13話始まり(2)


「お腹減った」


 強請るように見つめる視線を受けて、そういえばと時刻を確認すれば朝というには少し遅い時間だった。言われてみれば確かにお腹が減っている。とはいえ生憎自炊はあまりしていないし、冷蔵庫の中身を思い出せない位には買い出しもしていない。


「ウーバーか、近くのカフェでも行くかかな」

「自炊しないんだ」

「しそう?」

「……しなさそう」


 梨紗の言葉に思わず笑う。自分でも自炊しそうなんて思わないけど、改めて遠慮なく言われると面白い。さっきまで難しい顔をしていた梨紗もくすくすと口元を隠しながら笑っている。結局何を考えていたのかは教えてくれなかったけれど、教えてほしいと言って教えてくれないのならこれ以上探りようもないし、とりあえず今は遅い朝ごはんの方が重要だ。


 適当にアプリを開いてラインナップを見ていくけれど、どれも朝ごはんにしてはボリューミーでどうも気分が乗らない。近くにあるカフェでいいか尋ねれば、静かに首を縦に振るから朝食はひとまず決まりにしよう。外に出るなら、ついでだしどこか行こうか。夕方からはバイトがあるしそれまで家でゆっくり過ごすのもいいけど、どうしよっかな。


「今日梨紗は用事ある?」

「今日は特にないけど」

「せっかくだしどこか出かける?」

「え?」


 横向きで寝ていた梨紗が顔を上げて焦げ茶色の髪が白く骨張った肩から滑る。そんなに驚くようなこと言ったかな。梨紗は少しだけ驚いた表情を見せた後に、また一人で思考の中に沈んでいく。行くか迷っているのか、何処に行くか迷っているのか、それともまったく別の事でも考えているのかな。まつ毛長いなぁ。肌は白いし、瞳も少し色素が薄いよね。もしかして髪も地毛だったりするんだろうか。化粧をすれば結構大人びているけど、スッピンは結構可愛い。狸顔のポメラニアンみたい、なんて言えば梨紗は怒るのだろうか。

 さて、そろそろ思考はまとまったかな?


「どっか行きたいとことかあった?」

「んー……奏は?」

「私? そうだなー、改めて言われるとこれっていうの難しいね。 カフェ向かいながら考えるかな」

「うん」

「じゃーひとまず……シャワー浴びる?」


 先に浴びるか聞けば梨紗は深く布団を被ってから私に先を譲る。お客さんより先に使うのは気が引けるけど、まあいいか。ベッドから出て一つ伸びをする。ベッドの下に散らばった洋服の中から梨紗の分はあまり見ないようにして、自分の分を拾い上げる。着替えを取って廊下に出ると途端に冷気が全身を襲い、思わずくしゃみが出た。

 

 熱めのシャワーを浴びて、ささっと髪を洗う。ここら辺ってどこか面白い場所あったかな。寒いし極力外じゃない方がいいけど、そうなると電車で出かけた方がいいかな。シャンプーを洗い流して、コンディショナーを手に取る。電車で出かけるとなるとそのままバイト先に直行になるし、そうなると結構場所が限られてくる。考えると段々と面倒くささが首をもたげる。

 体を洗って、頭からシャワーを浴びる。後でスマホで探そう。ネットに頼るのが一番いい。そんな結論にたどり着いた頃部屋に戻れば、梨紗が昨日の服に着替えた状態でソファーに座っていた。着替え先に渡してあげれば良かったな。


「ちょっと大きいかもだけど着替え使ってよ」


 裏起毛のパーカーとスキニージーンズ、加えて新品の下着を差し出せば、少し考えた後それを受け取って梨紗が浴室に向かう。ドライヤーで髪を乾かしながらスマホでどこかいい場所があるかを検索する。水族館に、プラネタリウム、光のアートなんたら展。どこも結構高くて金欠のフリーターには荷が重い。映画は気になるのがあるけど、バイトのことを考えるといい時間帯の場所がないし。


「……めんどー……」


 梨紗が行きたいとこがないならもう今日はいっか。スマホを充電器に挿して、ギターを弾いていると梨紗が戻ってきた。


「ギター弾いてたの?」

「暇だったしね。 髪乾かす?」


 床に放り出していたドライヤーを渡して、隣のスペースを空ける。梨紗が隣に座るとシャンプーの香りがして、思わずそちらに顔を向ける。濡れた髪に、いい匂いに、隣に体温。

 そんなに性欲強いはずじゃなかったんだけれど、最近溜まってるのかな。女に溜まるものがあるのか知らないけど。


「いい匂い」

「え? あ、ちょっと」


 濡れた髪とうなじの間に顔を近づけると梨紗の手のひらが顔を押して鼻が曲がる。容赦がなさ過ぎると思う。なくなく顔をひくと赤い顔がぎゅっとこちらを睨んでいる。私って梨紗の笑っている顔よりもこういう顔の方が見ているかもしれない。梨紗は真面目に怒っているのに、反省というよりは可愛いなって気持ちが勝ってしまう。


「次は熱風浴びせる」

「怖すぎ」


 前言撤回。大事な顔はなんとしても守りたいから、視線をギターに戻す。ドライヤーの音を横にギターを弾くなんて流石に初めてかもしれない。こういう情景を歌詞にしてみたら面白いかも。曲調は多分ミドルテンポくらいで、緩やかに流れていく感じ。そんなものをイメージしながら鼻歌でメロディーを取ってみる。一応スマホにメモだけしておこう。充電コードに挿していたスマホに手を伸ばせば、気づいたのか梨紗が取って渡してくれた。


「ありがとう」

「うん」


 そう言って彼女はまた髪を乾かす。白い指が髪をかき上げて、内側へと風を当てる様子を眺める。この景色も歌詞にしてみたいな。ラブソングに似合いそう。そんなことを考えていると梨紗の視線がこちらを見て、怪訝そうに表情を変える。ドライヤーが方向を変えて、丁度いい温風くらいの距離で向けられる。


「なんで」

「なんかじっと見てたから」


 カチッとスイッチをシフトしてドライヤーが静かになる。乾かし終わった髪は人工灯を照らして艶々していて、内心結構うずうずしている。梨紗はなんていうか構いたくなるというか煽られるというか、最終的には許してくれるくせに警戒するから、近づきたくなる。

 手を伸ばしてその髪に触れる。てっぺん近くから一筋指で掬って、下へと滑らせていく。耳を過ぎて、首を過ぎて、肩の下胸元辺まで伸びた髪が最後まで柔らかく指を通す。


「やっぱりさっき熱風にしておけばよかった」

「あはは」


 確かにそれ位しないと私はもうダメかもね。私を見上げていた梨紗は猫がするりと腕から逃げていくみたいに手から逃げられてそのまま隣から逃げられてしまった。梨紗は鞄からポーチを取り出して、化粧を施していく。確かにいつまでもこうしていたら餓死してしまうかも。私は手元のギターをもう一度だけ鳴らしてから元の場所に戻して、スマホのメモ帳にさっきの事をメモした。



 寒空の中歩いて十分、目的のお店が見えてきた。湊ほどお店に凝ってはいないけどここのコーヒーとパンは美味しいと思う。店内に入っていつものテーブル席に着く。メニュー表を梨紗に差し出せばコートを椅子に掛けた梨紗がメニュー表を見つめる。オーバーサイズのパーカーなんて梨紗は普段着ないだろうけど、華奢な子が着てるの結構すきなんだよね。いつもの清楚な感じよりめちゃくちゃいい。


「奏は決まった?」

「んー……どれにしよう」

「……メニュー見てなかったでしょ」

「ふはは。 いやパーカー新鮮だなって」

「別に家だと結構着るけど」

「そうなの? えー、いいなー」

「なにがいいなの」


 ロマンみたいな。そう言えば梨紗は呆れたと言わんばかりのため息を吐いて、それがあまりのも予想通りだったからまた笑って、なんかいいねこういうの。

 モーニングセットの時間はもう過ぎていたから、ピザトーストのドリンクセットに決める。梨紗はサンドウィッチセットを注文して、この後どうするかの話に戻ってくる。特になければ無理をする必要もないし、また日を改めればいい。


「バイトが十七時からだからそこまで遠出とかは出来ないんだけど」

「それなんだけど」


 梨紗の背中が少しだけ丸まって視線が下へと下がっていく。どうしてこのタイミングでそんなにテンションが下がっていくのか分からない。言いづらい事でも言うつもりなのか、実は出かけたくないとか?それならそう言ってくれれば別にいいんだけど、梨紗は頭の中で色々と考えすぎな気がする。


「なに? 何でも言ってよ」


 私たちの関係に遠慮はいらないと思う。お互い心地よくいられる関係でいよう。そういう、少し特別な友達。そんな都合の良い言葉を頭の中で装飾する。


「……奏の歌、聴きたい」

「え?」

「さっきドライヤーのせいであんまり聞こえなかったけど、何か歌ってたから……気になるなって。 嫌なら全然いいんだけど」

「……あれは適当なメロディーだけのやつだよ」

「別にそれじゃなくても良いんだけど……奏の歌ならそれでいい」


 私の歌ならそれでいい。ネットが勧める典型的なお出かけスポットじゃなくて、私の歌っていうのは結構胸にじんわり響く。ファンレター貰った時とか、ライブ後にファンですって言われた時とかに近い感情が胸に溜まっていく。しかも不意打ちだからなかなかずるい。にやけていく頬を両手で挟めば、梨紗はまた怪訝な顔で私を見る。

 結構嬉しい事言ってくれてるの、自覚ない?


「お待たせしましたー、ピザトーストのセットです」

「ふぁい」


 変な顔のままプレートを受け取って、テーブルにサンドウィッチとピザトーストが並ぶ。


「じゃあ食べたら帰って、いっぱい聴かせてあげる」

「いいの?」

「ふはは。 めちゃくちゃいいよ」


 そう言えばほっとしたように梨紗が表情を緩める。梨紗は私の音楽を純粋に好きでいてくれてるんだななんて己惚れたことを考えて、また両頬を手で挟む。私の音楽を求められることを嫌なんて思う訳はなくて、嬉しいに決まってる。

 よく食べるこのピザトーストさえ、いつもより美味しく感じるくらい。

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