第10話言葉遊び


 別にそんな気なんてこれっぽっちも無かった。


 ただ単純に一人でやけ酒かなって気になっただけで、来なけりゃそれでいいって声かけただけで、そういう価値観もあるんだって話を聞くのが面白くなっただけで、酒に酔っていただけ。

 硬かった表情が柔らかくなっていくのを見ていたら、そういう欲がお腹の底から湧いてきただけだった。


 断られても良かったし、叩かれるならそれでもよかった。でもそうはならなくて、戸惑いに染まる顔は体の熱を煽ったし、言葉を必死に考えている姿は心臓を早くした。頭の中で考えを纏めてから話すタイプには、考える隙を与えないのが主導権を握るコツなのも知っていた。


 いかにも女の子って感じのほそっこい骨格に柔らかい質感が結構お気に入りで、控えめに、けれど素直に言う事を聞くのも可愛かった。結構楽しく堪能したと思う。


 だから、ライブに来てるのを見た時結構テンション上がったんだよね。でも同時に、どうしよっかなとも思った。あの子がバンドのファンになっちゃうと、ファンとバンドメンバーという関係に私たちはなって、そうするとファンとセックスするっていうのはちょっと面倒くさいことになるから。


 そんなことをライブ終わりに考えていたら、楽屋での会話から梨紗が湊の大学の同級生と知って、だったらもう友達の括りに入れちゃえばセーフなんじゃないかって思った。ファンとメンバーじゃなくて、私と私の友達なら大丈夫じゃないか、なんて人と人ってとことん面倒くさいね。


 そんなわけでなんとか打ち上げに梨紗を巻き込み連絡先までは無事ゲット。でも梨紗は明らかに気まずそうで、あー、あの夜楽しかったのってもしかして私だけかもって気づいた。そりゃそうで、梨紗は誰かを好きになったこともなければ、恋愛が苦痛だったと言っていたから。朝起きれば彼女はいなかったのもそう言う理由だと納得できた。結構楽しそうに見えたし、結局一度も嫌だなんて言われなかったけど、本当のことなんて本人にしかわからない。


 嫌がる人をとどめておく趣味はない。だからまあ、湊の友達だから無下にはせず、少しずつおさらばかなって思っていた。私と梨紗の関係は、湊の友人と湊の同級生で完結だと。


 だから今日のライブに来ると聞いて、更には私が案内することになって驚いたし、二人で会話をすればそれは初めて会って一夜を過ごした時間みたいに過ぎていくから内心期待した。少しだけくすぐったさを残すやり取りは、私をまたそういう欲に駆り立てた。

 お友達になれる感じなのかな、これ。


 口元を手で隠して笑う仕草、笑い声を我慢して肩が震える様子、少しだけ甘くなる視線、肩が触れれば意識をしているかのように瞳が揺れる。恋愛は苦手という割には、こちらの熱が上がってしまうような仕草が多いように感じるのは、私が勝手に欲情しているだけなのか、彼女にもそういう熱があるのか、どっちなのだろうか。

 ライブハウスの裏口から入って、スタッフさんに一言伝えてそのまま楽屋に連れて行く。一人でライブハウスはハードルが高いのなら、ギリギリまでここにいたらいい。


 楽屋に入れば、梨紗の表情が変わる。なるほど、梨紗の言う仲よく見えすぎないようにしているということね。にしても、なんか湊と以前にも増して仲が良くなっている気がする。大学で仲良くやってるのかな。湊が節操ないやつじゃなくて良かったけど、人たらしだから騙されないといいな。


「じゃあ、そろそろ出番だから会場で待ってて」


 そう言って笑ってみせれば、固く閉ざした表情が頷きだけを返す。そういうふうにしているのだと分かっていても、さっきとの違いに思わず笑いそうになる。それなのに湊が声をかけるとその表情が和らぐから、ほんのちょっとだけ面白くない気もする。


「今日の打ち上げも梨紗呼んでいいかなー」

「女の子が増えるのは大歓迎」

「奏お前変なことするなよ」

「どうかなー」

「……やっぱお前行かせるの失敗だった」


 両角さんなら大丈夫だと思うけど。そう言って頭を掻いた湊は、鏡をみて髪を整えてから楽屋を出ていく。両角さんなら大丈夫、ねぇ。

 多分、大丈夫じゃないよ。私も今日は絶対逃がしたくない気分だから。



 ステージの上に立てば黄色い歓声が響く。湊や晃ほどじゃないけど私にだってそれなりに女性ファンはいる。その子たちには手を振って、ギターのチューニングをしてからマイクの前に立つ。可愛い子もいるけどファンには手を出せない。音楽の邪魔になるから。いつもの発声、どの音階も問題なし。視界の隅上手側の奥に、ひっそりと梨紗が立っている。でも、今は音楽だ。私は目を瞑って、ステージの空気と音を感じる。湊と視線を合わせて、晃と視線を合わせる。この高揚感の始まりみたいな瞬間が好き。

 ドラムの音に合わせてギターをかき鳴らして、観客の鼓膜全部震えろって勢いで歌って、音と音とが重なって言葉がつながっていく。たった一人の言葉がこれだけの人数に届くなんて、音楽じゃなきゃ出来ない。少なくとも私は音楽以外の方法を知らない。


「改めまして、言の輪でーす」


 拍手と歓声。ゆるいトークと観客とのレスポンス。なまじ皆顔がいいからこういうのも求められている。悪い気はしないし、そこから音楽が気に入ってくれるならそれでいい。いつもの湊ファンもいるし、晃のファンもいる。今日はバレンタインだし出待ちも多そうだな。音楽だけちゃんと聴いてくれればそれでいいや。


「じゃあそろそろ次の曲です。 次のCDがもうすぐできそうって話は前もしたかなって思うんですけど、それに入る予定の新曲です」


 盛り上げるようなドラムとキーボードの音、続く拍手と歓声。期待に輝いている、ように見える観客の目。練習は結構やってきたつもりだけど、やっぱり緊張する。何度か弦を弾いて、調整して、息を吸う。この言葉が響いてくれるといいな。


 遠く聞こえなくなってしまいそうなドラムのリズムを頼りに、いつもより早い心臓を宥めながら歌を叫ぶ。ギターを鳴らして、湊と目を合わせて、額に浮かぶ汗を手で雑に拭って、どうにか伝わってくれないかなって気持ちでマイクの前に立って、今の自分の全力を出す。晃と目を合わせて、音の終わりのタイミングを慎重に見定めて、全員で同時に音を止める。シン、と静まった会場に拍手が広がっていって、観客の表情が感動に包まれている、ように見える。


 ほっと息を吐く。大丈夫、今日のライブは良かった。


「ありがとうございました。 最後はいつもの曲で盛り上がりましょう!」


 拍手も止まぬ中にまた音を降らせる。歌いなれた歌詞とコード進行、今日はオリジナル曲も結構入れたけど良かった気がする。なんかそういうのも全部、音になっている気がするな。


 最初の曲ぶりに梨紗が視界に入る。視線が合えば、ふわりと柔らかく微笑むから堪らず頬が緩む。クリスマスの日、見知らぬ人がふと立ち止まって曲を聞いてくれたのが嬉しかったな。今日のライブも、良かったって思ってくれていたらいいな。私の言葉が届いていたらいい。


「以上、言の輪でした!」


 満足と言える二時間をステージで過ごして、早い心臓のリズムを聞きながらステージを降りる。照明が眩しかったせいか、景色が少し変な色になっている。いつもより少し変な色をした湊の顔が面白い。


 楽屋に戻って、古いソファーに沈み込む。音がまだ肌を揺らしている気がする。そんな余韻を体に感じながら目を瞑っていると奏の声が私を呼ぶ。


「んー?」

「両角さん近くのカフェに行っててもらうけど今日どうすんの」

「えー、呼ぼうよ打ち上げー」

「晃は関係ない」


 二人の声に、瞑っていた目を開ける。だいぶ目が慣れていつも通りの少し変色した天井が見える。そういえば下北のおススメを教えるってお昼に話したっけ。おススメの居酒屋って言えば、来てくれるかな。音楽の熱で忘れていた別の熱が体に灯る。


「呼ぼうよ、感想とか聞きたいし」


 湊の視線に笑顔を返す。どうも勘づかれている気がするけどまあ湊ならバレてても大丈夫でしょ。ポケットに仕舞っていたスマホを取り出して犬アイコンのトークを開く。今いるカフェの場所を聞けば湊が好きなやけにオシャレなあそこにいるらしい。相変わらず湊は気が回る。十五分後位に迎えに行くからと連絡をして、ささっと楽屋を出る。

 出口には出待ちの子がいて、その子たちに手を振って表通りに出る。さて。


「じゃあ二人は先行っててよ。 私は梨紗連れて行くから」

「……絶対来いよ?」

「ふはは、大丈夫大丈夫」


 二人に怪しまれるような行動は梨紗が嫌がるからしない。無理やりも趣味じゃない。同意があってこそ楽しい時間が過ごせるものだから。

 二人に手を振って、カフェの場所へと歩いていく。ごたごたとした道をギターが当たらないように歩いて数分、茶色とグリーンの自然な様相のお店に入る。カウンター席の奥に見つけた彼女に声をかければ、私を見て表情が柔らかくなる。


「ライブ良かった」


 隣へとやってきた彼女は、開口一番そう言った。先ほどの時間を思い出す様に、噛みしめるみたいに。その一言で体の中の熱が大きくなる。嬉しさも混ざった衝動的な熱。ここがアメリカのニューヨークとかだったら、これが何かのドラマだったら私は今梨紗にキスしているかもしれない、なんて。


「もっと感想聞かせてよ。 ほら、行こ」


 隣にいる彼女の手を取れば、彼女は驚いた表情で私を見上げる。お店のライトが彼女を照らしていて表情がとてもよく見える。驚いた表情はだんだんと困惑の色を灯して、最後に視線が逃げるように逸れる。今何を頭の中で考えているんだろう。聞いたら聞かせてくれるのかな。

 わざと逃げた視線の先を覗き込む。少しだけ赤を混ぜた頬は、やっぱり熱を煽る。いつかの夜を思い出していたりするのかな。あの日もこうして手を握って、近くで見つめたのを覚えている。困惑を混ぜて、でも決して嫌悪には見えない表情にそそられた感覚が蘇って体が疼く。


 あんな時間を過ごしたのに、彼女はまた私の前に現れてこんな表情をする。それって、彼女だってやっぱりどこかに期待している部分があるんじゃないの?単なる主観でしかないけど、そんな都合の良い事ばかりが頭を埋めてしまう。


 あーあ、今すぐホテル行きたくなっちゃった。

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