第9話選んだ先は(3)

 大学近くの定食屋さんは、学生たちで賑わっていた。

 そのお店の一番隅にある四人テーブルに腰掛けて、隣に脱いだコートを置く。それにしても高槻くんと二人でランチだなんて奇妙な光景だと思う。

 窓から差し込む自然光も、店内の木造テーブルや観葉植物をあしらったナチュラルな空間も高槻くんによく似合うと思う。問題は、この光景に見惚れるような余白はなく、むしろ避けたかった光景だということだ。頭の中であの夜改札前で言われた言葉がフラッシュバックする。ああ、寝不足の体には重たい。


「ここのおススメはすき焼き鍋膳かな。 後デザートが美味しいよ」

「じゃあすき焼き鍋膳で」

「あはは、露骨に気まずそうにするよね両角さん。 まあ確かにあれは、ちょっとアクセル全開過ぎたかなとは俺も思ってるよ」


 楽しそうに笑う顔に、抗議の意味を込めて視線を送る。全部分かっていてやっているのは高槻くんの方なのだから、私が責められる謂れはないのだ。

 私の視線を笑顔で受け止めた高槻くんは店員さんに注文をして、さて、と両肘をテーブルに置き前のめりになる。私は警戒した猫のようにその顔を睨んだまま体をひく。


「奏とはその後どう?」


 世間話もバンドの話も飛び越えて、単刀直入に話題に切り込まれる。ついさっき踏み込み過ぎたと言っていたくせに。遠慮はもうこの空間にはないらしい。


「どうって……何度か連絡とってるだけで、それも寒いとか喉痛いとか、そんなんだし。 そもそも、私と奏は高槻くんが思ってるような関係じゃないから」

「あれ、そうなの?」

「……正確に言うなら、これからは健全な関係を築いていく予定、という意味」


 いや、なぜそんな正直に白状しているのだろう。気まずさが肌を覆っていくのに対して、高槻くんは相変わらず穏やかな笑みを浮かべている。そっか、と明るい声色で何度か頷く。私は今就活の面接練習中か何かだろうか。この、私の言葉を評価されている時間がそう感じさせるのかもしれない。


「まあ別に二人がどんな関係になったって、俺には関係ないんだけどさ」

「それ今言うの?」

「あはは。 俺は単純に、両角さんが奏に泣かされたりするのは嫌だなって思ってるだけだよ。 だから、二人が割り切っていけるんだったらどんな関係でも俺は何も言わないし、ただの友達だったとしてもあいつがクズなことしてきたらいつでも相談してほしいかな」


 眩しい笑顔を纏いながら言う高槻くんに、ようやく彼の意図を理解する。とはいえあんな脅しのように言って、今もわざわざ念を押すような雰囲気で言わなくてもいいのに。おかげでこっちは非常に居心地が悪い思いをしたのだ。

 許せるような、まだちょっと許せないような。そんな私の複雑な心境を察してか高槻くんはクスクスと我慢しきれないみたいに笑う。やっぱり、意外と意地悪だと思う。心配だったなら心配だって言ってくれるだけで良かったのに。


「お待たせしました」

「あ、ほら来たよ」


 タイミングよくおススメのすき焼き鍋膳が二つ運ばれてきた。これで話は終わりと言うかのように、高槻くんが「いただきます」と手を合わせる。私もそれに続いて手を合わせてから、卵を割る。美味しそうな匂いと、立ち上がる湯気に小さくお腹が鳴る。美味しいご飯に免じて今回は許してあげることにしよう。



「それで、バレンタインライブの話なんだけどね」


 箸を置いて、高槻くんがまた鞄からチケットの入った財布を取り出す。私も鞄から財布を取り出して、チケットに記載された料金をテーブルに置く。貰わないという高槻くんにそれならここに置いていくと反論する。似たような光景をお正月の親戚と両親のやり取りで見た気がする。小さい頃はあの光景をどっちでもいいのにななんて思いながら眺めていたけど、今なら理解できる。矜持というものがあるのだ。


「頑固だなー両角さん」

「それ高槻くんが言う?」

「あっはは」


 今日一番の笑い声と、目尻に浮かぶ皴。笑っているときの顔はどちらかと言うと垂れ目で、それは奏とは反対なんだな。そんな感想を抱きながらチケットを鞄に仕舞う。なんで他人の笑顔を見ただけで奏の事を思い出しているんだろう。ライブのことも教えてくれなかったやつなのに。

 どんな関係でも、割り切っていけるんだったらいい、か。白菜とお肉を卵液につけて、口へ運ぶ。濃すぎない優しいしょうゆベースの味と卵のまろやかさが美味しい。私と奏の関係って、実際今なんなんだろう。って、いや、何を反芻して考え込んでいるのか。割り切るもなにもないし、奏が遊んでいるかどうかも関係ない。


 私の意思は、変わらないのだから。





 そうして迎えたバレンタインライブ当日。高槻くんが連絡をくれた駅は、ギターを背負ったいかにもバンドマンな人がちらほらいる。古着のイメージはあったけど、どうやらバンドマンの街でもあるらしい。そこでしばらく街の風景を眺めながら待っていると、梨紗、と私を呼ぶアルトの声が聞こえた。


「え?」

「あってた。 今日も寒いね」

「あ、あれ? 高槻くんは?」

「……あれ、もしかして湊が良かった?」


 そう言って奏が私の顔を覗き込むから、私は一歩後ずさる。マフラーと眼鏡が顔を少しだけ隠しているとはいえその綺麗な顔を近づけないでほしい。心臓に負荷がかかるから。


「そういうわけじゃないけど」

「なんか間があったなあ……湊が流石に今日お客さんの近く行っちゃうとバレちゃうから、代わりに行ってほしいって言われて」

「そうなんだ……でもそれ奏もじゃない? 今日は単独ライブなんでしょ」

「バレンタインライブだから多分女性客の方が多いんじゃないかな。 だから湊だと余計目立つし、私には……じゃん!」


 そう言って黒の帽子を取り出して奏が被る。変装、という意味なのだろうか。どこからどう見ても奏だけど。


「一人だったらあれだけど今日は隣に梨紗もいるし。 女二人だったら疑われないでしょ?」


 きゅっと細まる目が弧を描く。私も含めた変装、ということらしい。奏の自信がどこまで通用するのかは分からないけど、実際のところは私も知らないし一先ずは奏を信じるしかないだろう。

 奏の隣に並んで歩き出せば、立ち並ぶ古着屋さんの看板に、どこかのお店から聞こえる重低音の音楽に、テラス付きのオシャレなカフェ。他には見ない町並みが目新しい。


「下北あんまりこない?」

「最後に来たのいつだろうってくらい久しぶり」

「時間あったらおススメのお店とか紹介したかったな」


 十字路の左を指さしながら、この道の先にあるカレー屋さんが美味しいのだと奏は笑う。他にもおすすめの古着屋さんや、美味しいコーヒーのお店、バンドマンってそういうのにも詳しいのだろうか。高槻くんも詳しいし。


「でも良かった」

「なにが?」

「んー……怒ったりしない?」


 またそう言う。

 以前にも一度あったやり取り。あの時は私が別れたかどうかを聞いてきた時だった気がする。奏は何か聞きづらい事や言いづらい事を言う時に確認の意味でこう言うのだろう。どんな内容か聞かないと怒るとか怒らないとか分からないって、奏だって分かっているくせにずるい。だから、次は怒らないなんて言ってあげない。


「内容による」

「ふはは、手厳しいなー。 んー……ライブ、来ないかなってちょっと思ってた」

「え?」

「あ、ちょっと違うかも。 梨紗は私と会話するの避けてるのかなって、思ってた、が正解かな」

「……なんで?」


 居酒屋で打ち上げした時、会話避けてるかなって感じたから。

 そう言って、奏は眉を下げる。まさかそんな風に伝わっているだなんて思っていなかった。あの時は、仲がいいんだと言われて咄嗟に私と奏の関係を隠さなくてはいけないと思った。だから結果的に素っ気なくなってしまっただけで、会話自体をしたくなかった訳じゃない。


「あれは、私と奏が仲いいのがあの場じゃ変かなって思っただけで会話をしたくなかった訳じゃないよ」

「……変?」

「だって私は高槻くんの友達で、奏とはクリスマスに初めて会ってちょっと話したくらいで、それなのに仲がいいと……なんか、勘ぐられるかなって……」

「……あー、一夜で仲が深まりすぎじゃないこの二人……みたいな?」

「言い方がバカっぽい」

「えー……。 でもなるほどね、そういうこと考えてたんだ」


 奏がまじまじと私を見つめる。私はなんとなく居心地が悪くてその視線から逃げる。フラミンゴの看板を見つめていると、奏が私の名前を呼ぶ。こっちを向けとせがむように、甘えるように呼ばれると、どうしたって私が先に負けると知っているくせに。


「なに?」

「梨紗って頭の中で考えてることをあまり誰かに言ったりしないんだね」

「……なに突然」

「いや、ちゃんと聞かなきゃだめだなって。 だから私、連絡もすぐに終わるようなやり取りしか送れなかったし、ライブも結局誘えなかったし」


 え、そういうことだったの。

 次は私が奏の顔を見つめる。眼鏡の奥の目が少しだけ気まずそうに逸れる。その後に少しだけ拗ねたように口を尖らせて、奏の肩が私の肩にぶつかる。その後にきゅっと目を細めて笑うから、不覚にも可愛いだなんて思ってしまった。


 奏ってもっとぐいぐい人にいける人だと思っていた。人の懐に入るのがうまいのか、居心地いいままに中に入ることが出来る人なのだと。けれどそれは人の機微に敏感だからこそで、こうやって信号を察知しては留まることも選ぶ人なのか。


「じゃあ今度からもっと色々連絡していい?」


 肩が触れる距離で奏が私の顔を見つめながら言う。そういうことになるんだろうか。なる、のかもしれない。覗き込む目が綺麗で、言葉を奪われそう。喉までせり上がってきた言葉をなんとか飲み込んで、なけなしの意地で別の言葉を準備する。


「内容による」


 そう言えば、綺麗な目はまた弧を描いて笑った。

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