第8話選んだ先は(2)
悩み事が一つ解決したと思えば、また一つ大きなものが出来てしまった。
奏のことはもっと知りたいし、友達になれたらなと思う。奏は変わらず気さくで、だからまたふらっと会うことになるんだろうなとも思う。
でも。
奏はやめといたほうが良いよ。
高槻くんの言葉を思い出す。何をやめておいたほうが良いのか、なんて言われなくたって流石に分かる。高槻くんがどこで気づいたかは、分からないけど。でも高槻くんが私と奏の様子を見て察したとすれば、やっぱり奏は普段から、その、遊んでいるってことなのだろうか。というのも、わからないほど純粋ではない。そうじゃなきゃ女と女の関係に釘を刺すなんてしないだろう。
「……バンドマンめぇっ」
力なく枕に拳を振り下ろすと、ポスンと軽い空気の音。もしかして、解決したと思っていた悩みが実は未解決だったというオチで、つまりは振り出しに戻っているのではないか。回し車の上で走り続けるハムスターみたいに、私は前に進んでいるつもりで実は同じところを走ってます、みたいな。
そう考えるとまた別の疲労感が体に押し寄せて思わずうつ伏せに寝返りをうつ。吐いた息がベッドに跳ね返ってお酒臭い。
でも仮に奏がそういう人間だとして、その場合私は奏と友達になるのをやめたいのだろうか。奏がそっち面でだらしないとして、私には関係ないともいえるのではないか。だって私は、奏とそういう淫らな関係になりたいわけではないから。そういう意味では高槻くんのやめておいた方がいいという言葉にも自信をもって大丈夫と言える。
「私は単純に、奏のことをもっと知りたいだけだし」
その言葉がベッドに跳ね返って私にぶつかる。
私の顔を覗き込んで悪戯な顔で笑う奏、ステージの上で額に汗を浮かべながら歌う奏、頬杖をついて呆れた顔をしながら友人に突っ込んでいる奏、梨紗と薄明りの下私を呼ぶ奏。
「……ない」
ない。そんな趣味はない。セフレとかそんなタイプじゃない。ありえない。あれは一回きりで、これからは健全に奏と関係を築いていく。だからそんなことにはならない。
「……シャワー浴びて寝よう」
考えることにも疲れて重たい体をなんとか起こした時、携帯がベッドの上で振動する。マナーモードのままだったなと切り替えながら画面上の通知を確認すると、【奏】の文字に一瞬体が固まる。タイミングが良いのか悪いのか、息を深く吐き出して、画面をタップする。無事に着いた?という文章を見て律儀だなと思うのと同時に、こういうのを他の人にもやってるんだろうなとも思う。
「……や、別にそれはいいけどね」
関係ない。
着きましたと打って、スタンプか絵文字を付けるか考えて、結局そのまま文章だけを送る。その瞬間に既読が付いて、スタンプが送られてくる。更に一つ、猫が丸くなって寝ているスタンプが送られてくる。猫の背景におやすみさないと書かれたスタンプに、同じようなものを返すべきか悩む。
やけに去り際が潔いというか、単純に帰路を心配してくれていただけなのかもしれない。またぐるぐると考えそうになる頭を振って、スマホをベッドへ放り投げる。彼にだって連絡一つでこんなに悩まなかったというのに何をしているのか。おやすみのスタンプに何も返さなくたって別に変じゃない。
私は、ちゃんと奏と友達になりたいのだ。
***
「終わった……」
「後はもう神頼みだね」
ぐっと背を伸ばして、あくびを一つ小さくする。昨日はほぼ徹夜したから、体中が睡眠を求めている気がする。いつもよりボロボロな有華と二人で講義室を出る。後期のテストはこれで全て終わりで、課題も既に終わっているから問題なければ四月からは四年生だ。つまり明日から春休みな訳だけど、残念ながら本格的な就活が待ち構えていて嬉しくはない。
とはいえ今日は、何も考えずにぐっすり寝たい。
「溜まってた配信見るぞ……」
「どこに体力残ってんの」
「別物なの」
目の下に隈を携えながら不敵に有華は微笑む。まあ解放された今日くらいは好きにしてもいいだろう。いや、二、三日位は許されるはず。
「あ、近藤さんと両角さん」
「高槻くん、テストお疲れ様」
「二人ともお疲れ様」
テスト明けだというのに相変わらず眩しい笑顔をしている。隈なんかないし、肌も綺麗でこれからオシャレなカフェにでも出かけそう。それでも前のように緊張はしないのは、この前の一件のおかげかもしれない。
まあ、奏の件で若干の気まずさはあるけど。
「これ、やっぱりCDで貰ってほしくてさ。 タイミング逃して遅くなっちゃったんだけど」
そう言って高槻くんは鞄からCDを取り出す。ジャケ写は三人の足元の写真だったけど、それがバンドのCDだとすぐに分かった。凄い、CDも出してるんだ。驚いていると、まだ自主制作のだけどと高槻くんが補足してくれる。それでも十分凄いと思う。本当にデビューもしちゃいそう。
「もうすぐ二枚目が出来るから、そしたらまた渡すね」
「いやいや、てかお金払うよ流石に」
「俺が聴いてほしいだけだから」
こういう時の高槻くんは頑固だって、段々分かってきた。人の良さそうな柔らかい笑みで、段々と反論を封じていく戦法は少しだけずるいと思う。結局私も有華もCDを受け取って鞄に仕舞う。
「あと、バレンタインにライブあるんだけど良かったらどうかな」
「え?」
聞いてない、と最初に思った。
じっと見つめてくる高槻くんの瞳から思わず逃げる。そうなんだ、と相槌を打てば前より小さいライブハウスだけど単独でやるのだと高槻くんは言う。
バレンタインといえばもう来週で、ライブをやることは随分と前から決まっていたはずだ。それなのに奏からは何も聞いていない。奏からは偶に連絡が来ても全てその日のうちに終わってしまうようなやり取りばかりで、そんな大事な話なんて一度もしていなかった。
「詳細話したいし良かったらどこかでランチとかどう?」
「あー、私バレンタインは予定が」
「えー、そっかー。 それは残念だけど仕方ないし、また次回誘うね」
「うん」
「両角さんは?」
「私は……でも有華が行けないし」
「一人は行きづらい? それならまた俺が一緒に行くけど」
「……高槻くんって意外と頑固だよね」
目尻に皴を作りながら高槻くんが笑う。曰く、バンドをやる人は皆どこか頑固らしい。その言葉の説得力は評価基準が少なく判断が難しいところだけど、こうなった時の逃げる手段は今のところ見いだせていない。それに、断る理由があるのかと言われれば、特にないのだ。
それでも、心は容易に頷きたくないと言っている。それは多分子供が拗ねているのと同じ道理だ。奏から言われなかったから拗ねているんだ。そんな心の挙動に小さく息を吐く。
「……とりあえず時間あるならランチどう?」
「私はこの後用事が」
「残念。 テスト後に大変だね」
「全然。 むしろこのために頑張ったから」
「? そっか」
高槻くんが有華から私へと視線を移す。何を言われずとも、何を今から言うつもりなのかを察してしまったし、きっとまた断れないんだろうなという事も同時に察する。はいはい、ランチ位付き合いますよ。そんな私の表情を読み取ったのか、高槻くんはおススメの近くの定食屋さんの話を始める。奏と高槻くんって、もしかしたら少し似ているかもしれない。こういう少し強引なところが特に。
「でも時間あってよかった。 ついでに両角さんに聞きたいこともあったんだよね」
「……」
眩しい笑顔を見上げて、思わず顔が引き攣る。思い当る内容なんて奏の事しか思いつかなくて、諦めずに帰る策を模索すべきだったと後悔した。
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