第7話選んだ先は

 間に合って良かったと、目の前で奏が笑う。

 その笑顔に私は飽きもせず緊張しながら先ほど乾杯したビールを喉に流し込む。この縁をこれっきりにしてしまいたくないとは思ったものの、展開が相変わらず怒涛すぎるとも思う。



 ライブが終わって、帰る前に高槻くんに一言言った方がいいのか有華と相談していると、高槻くんから送っていくからロビーで待っていてほしいと連絡が来た。スタッフには高槻くんから既に連絡が回っていたから私たちは大人しくお客さんがいなくなるのを待っていた。ロビーから人が捌けた頃、もう一通連絡が来た。


「この後バンドメンバーで打ち上げに行くんだけど、良かったら一緒にどう?」


 最初は私も有華も遠慮する意見で一致していたのだ。その旨を連絡だってしたし、帰りだって私たち二人で大丈夫だと連絡した。ライブ打ち上げなんて、バンドメンバーだけでやった方が絶対に楽しいし、そこに他人である私たちの居場所はないと、そう思っていたのに。

 誰かの足音が急速に近づいてきて、その後にアルトの声が響き渡った。頭の中で何度も響いた声が、梨紗、と鼓膜を揺らすから私は咄嗟に視線を移す。ステージよりも近い距離、同じ視線の高さに奏はいて、私と目が合えば軽やかに走り出して、私の頭が状況を理解するよりも早く、私の手を取ったのだった。


 そうやって後はあれよあれよと話が進み、今こうして大衆居酒屋の個室で五人盃を交わしている訳である。陽キャの押しの強さが若干怖い。猛獣に囲まれた草食動物は、体を震わせながら付いてくるしかなかったのだ。


「無理やり連れてきちゃってごめんね……奏がしつこくてさ」

「なんかやたらと勢いあったよなー」

「だってクリスマスに私の路上ライブ見て、チラシ取ってくれた人だもん」


 そうなの?と高槻くんが私に聞き返すから、私は少し緊張しながら頷く。クリスマスの話題は出来ればさらっと流れてほしい。話題が出てくるたび、心臓への負荷が大きすぎるから。


「だから今日梨紗を連れてきたのは実質私だよね」

「うわ図々しい」


 私の隣に座る奏は高槻くんに勝ち誇った顔を向けながら私の肩に肩を触れ合わせる。それだけで肩がやけどしたかのように熱くて私は体を有華へと寄せる。まるで避けているみたいになってしまったけど、私の体を守るためだから仕方ない。喉が渇くような感覚にビールに手を伸ばすのと同時に、店員さんがチョレギサラダを持ってきた。

 

「でもさー、今日来てくれてるの見つけた時本当に嬉しかったな」

「ごほっ」


 ビールを飲んでいるときに、そんな爆弾を投下しないでほしい。思わず咳き込んで、慌てておしぼりで口元を押さえる。変な場所へ入った液体を必死に咳で追い出していると背中を撫でる感触がして、首を捻ればそれは奏の手だった。


「か、奏。 もう大丈夫だから」

「そう?」


 奏が私の顔を覗き込んで確認してくる。間近で見る奏の顔に、否応なしにあの夜がフラッシュバックして視界がチカチカする。奏の肩を手を押して距離を取れば、奏は楽しそうに笑い声を漏らす。そうだ、こんな少しくすぐったいけど決して不快ではない心地良い空気だった。鮮明なままに覚えていると思っていたあの時の感覚が、更に色鮮やかに思い出されていく。


「てか二人仲いいのなー」

「え?」


 思わず裏返った声が出て、慌てて全然そんなことはないと否定する。


「仲がいいっていうか、クリスマスの日一人で打ち上げるの寂しくて梨紗に付き合ってもらったんだよね。 でも結局連絡先の一つも聞かないまま解散しちゃったし」


 二人の仲はこれからかな。

 そう笑って奏は答える。奏もまたあの夜の事は秘密にしておきたいらしい。そこは利害が一致していて安心する。さして興味もないのか、ドラム担当の千羽さんは相槌を打ってサラダを頬張った。あと何回話題にドキドキしなくてはならないんだろう。早く遠い過去になってくれたらいいのに、むしろさらに色濃く脳裏に刻み直されている感覚さえある。


「これから、ってことでさ、連絡先教えてくれる? 良かったら有華ちゃんも」

「え、私もですか?」

「個人情報だから嫌だったらノーって言ってくれていいからね。 梨紗はいいでしょ?」


 猫のように細まる目。甘えるように少し溶けたアルトの声。咄嗟に背中の後ろに置いてあった鞄に手を伸ばしてスマホを取り出す。何か言い返してやろうかとも思ったけど、会話をし過ぎるのもさっきみたいに色々と突っ込まれると困るから。もっと業務的な感じを意識しよう。後はひたすら有華に逃げる。

 スマホを操作して、QRコードを表示する。しばらくすると友達申請がきて、そこには奏という名前にギターのアイコン写真。追加ボタンをタップして連絡先に追加する。


「犬のアイコン。 飼ってるの?」

「いえ」


 半年くらい前に行ったドッグカフェのゴールデンレトリーバーなのだと脳内で説明する。


「……ほーん。 有華ちゃんもいい?」

「はい、いいですよ」


 奏が私の方へ身を乗り出して、有華のスマホのQRコードを読み取る。居酒屋の雑多な香りで紛れていたけど、あの日と同じ香水の香りがする。あーもう、一々記憶を刺激させられる。


「それでそれで、どうだった? 私たちの演奏」


 スマホをテーブルの端に起きながら奏が尋ねる。私と有華は顔を見合わせてから、お互いの感想を伝えていく。本人たちに言うのは少し恥ずかしいけど、確かにとても良かったから言葉は詰まらずに出すことができた。


 共通の話題だからか五人が会話に混ざる。あの部分が良かったと言えば、三人の苦労話や推しポイントが無限のように出てきて思わず口元を覆って笑ったりして、注文した料理が半分程皆の胃に収まった頃にはビールは三杯目に入っていた。


「りょうちゃん」

「ん?」

「私そろそろ帰らないといけないけど、りょうちゃんはまだ残る?」

「え、有華が帰るなら私も帰るよ」


 この場に一人残されるのは色々と嫌だし。時刻を確認すればまだ終電までには余裕があるけど、それなりにいい時間だ。この時間なら無理に引き留められることはないだろうし大丈夫、だよね。


「ごめんなさい、私たちそろそろ帰らないと」

「え? あ、そっか。 残念だけど女の子が夜遅いのは危ないもんね」

「あれ、私はー?」

「奏は大丈夫。 ぱっと見男でもいける」

「おい晃」

「駅まで送っていくよ」


 そう言って高槻くんが立ち上がる。二人で大丈夫だと言っても折れなくて、結局こちらが折れる形になってしまった。こんなに顔がよくてバンドもやってる人が優しいんだな、なんて失礼な事を思って認識を改めようと反省する。バンドマン、誰もが正確に難ありな訳じゃないよね。


「私も送ろうか?」

「一人で十分。 じゃあ行こっか」


 高槻くんの一蹴に分かりやすく口を尖らせた奏は、私と有華に手を振る。またね、と言って振る手に、ほんの少しだけ右手を持ち上げて応える。あの日は逃げてしまったから、こんな風に次を想定した別れは初めてで、その事実が胸の奥を擽る。少なくとも、これで終わる縁ではなくなったのだ。

 その事実が胸の中に染み込んで実感として感じられると、なんだか落ち着かないようなそわそわとした感覚に包まれる。少し走りたいような、叫びたいような、柄にもないからしないけど、そういう感覚。


「外寒いねー!」

「高槻くんマフラーとかせずに出ちゃったもんね」

「駅まですぐだし行けるかなーって」


 二人の会話を聞きながら火照った頬に冷たい風を受ける。気持ちいい。先ほどの高揚感とアルコールの回った体がリセットされていくような心地よさ。またライブ見に来て、という高槻くんの言葉に二人で頷く。今度は単独ライブに行ってみたいな。曲も今度高槻くんが共有してくれるらしいし、本当にそこは単純にファンとして楽しみだ。奏の歌う曲を、純粋にもっと聞きたい。

 ファンとして、友達として、これからもっと奏のことを知れたらいいな。


「今日はありがとう。 家まで気を付けて帰ってね」

「高槻くんも今日は本当にありがとう」

「寒いし早く戻っていいよ」

「あはは。 二人が改札抜けたら戻るよ」


 じゃあ、と手を振って振り返る。


「あ、そうだ両角さん」

「え?」


 何かを思い出したのか、高槻くんが駆け寄ってくる。心当たりはないけど、なんだろう。高槻くんのほうに一歩近づくと、高槻くんが腰を屈めて顔を近づける。耳元で、高槻くんがささやく。


「奏はやめといたほうが良いよ」

「え?」


 耳元で聞こえた言葉に顔を上げると、高槻くんが珍しく真剣な顔をしている。普段の目尻に皴を寄せて笑う顔の印象からは遠い表情で、私の事をからかっている顔には到底見えない。それはつまり、これは何かの冗談やなぞなぞじゃないということだ。


「じゃあまた大学で!」


 高槻くんは何事も無かったかのように笑う。これで話は終わりと言わんばかりの表情の変化に言葉の真意を聞くのは憚られて、私はその言葉を頭で反芻しながら改札を抜けた。

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