第6話:過ちか過程か(3)

 アルトの声が少しずつ高くなって、綺麗に抜ける高音に変わって会場に響く。ただのマイクチェックだけなのに、様になるくらいには綺麗だ。マイクの角度を変えて、何かの曲の一部を歌いそれに合わせてギターが鳴らされる。

 

「ねえ、あれ高槻くんじゃない?」

「わっ」


 突然肩を叩かれて慌てて有華を見ると、有華が指を指す。その先にはキーボードがあって、その前には有華の言うとおり高槻くんが立っていた。


「ファンじゃなくて、メンバーだったんだ」

「そうだね……」


 どおりで顔が広い筈だ。思い返せばあんまりロビーにいたがらなかったのも、ファンにバレないようにということなのだろう。

 高槻くんと奏が顔を見合わせて、頷く。ギターとキーボードが鳴って、何かの曲を少し歌って、また二人は頷き合う。そのやり取りに二人の仲の良さが見て取れる。


 なんかお似合いだな。


 音のチェックが終わったのか、メンバー全員が目配せをする。ドラムの人がリズムを叩いて曲が始まる。聞いたことのある有名な曲だ。間奏の合間に奏が会場に手を振ると、前の子たちの歓声が上がる。

 奏の歌声に、会場が一体になっていく。今までのどのバンドよりも確かに違うのが分かる。後ろの人たちも真っ直ぐにステージを見て耳を傾けている。耳栓もいらない、体に響く音や声がただ綺麗だ。


 一曲目が終わるとバンド紹介のMCがあって、その後にメンバーのやり取りや観客との掛け合いが続くのを後ろから眺める。完成されたような雰囲気には私はいなくて、奏に見つかるなんて緊張もその頃にはすっかりと消えてしまっていた。私はただ客の一人として、奏を見ているだけだ。


「湊がリハ終わってここ抜け出して全然戻って来なかったから私と晃は本当に気が気じゃなかったよね」

「そうそう、そのくせふらっと戻ってきてなんでもないって顔してんの」

「だからごめんって言ってるじゃん。 皆にも言い訳するんだけど、逃げたとかじゃなくて先日偶然このバンドのチラシ持ってる人がいてね? いやこれ運命だって思って滅茶苦茶頑張って今日無理やり連れて来たんだよ」


 俺凄いよね?と高槻くんが言うと、観客が拍手や歓声を送る。もしかしなくても、いまMCで話しているのは私たちの話だ。有華の肩が私の肩に触れて、照れくさそうに有華が笑う。それに笑みを返していると、そんな私たちを見つけようと他の二人が観客を見渡し始めて心臓が跳ねる。


「湊どんな人ー?」

「その人に絡むから教えませんー」


 遠くを見渡すように奏が目を細める。まずい、隠れなきゃ。前の人の影に隠れるように少しだけしゃがむ。今日もう何度目かわからない心臓の負荷に、そろそろクレームでもきそうだ。ドキドキと煩い胸を宥めながらじっと気配を消していると、探しているうちに観客との交流タイムに話が変わっていって、ゆっくりと人の隙間からステージを覗く。奏はステージの上で笑いながら楽しく談笑している。

 大丈夫、バレてない。


 安心するのと同時に、何故か胸のあたりがピリッと痛む。

 もう二度と会わないと思っていたし、会わない方がいいと思っていた。また会うことが決まっても、見つからないようにとか、見つかったら逃げなきゃとか必死に考えていた。だというのに、いざ奏に私が映っていないのだと実感させられると、少しだけ苦いような痛いような何かが胸をチクリと刺す。


 こんなにも緊張するのは何故だろう。こんなにも思い出してしまうのは何故だろう。私と奏の関係は希薄なものだと実感させられると苦しいのは何故だろう。


 奏のことを考えた時に入り混じる感情はとても複雑だ。

 やり直したい位の後悔はもちろんあるけど、無かった事にしたいかと言われるとあくまでもやり直したいという後悔だと思う。会いたくないのは、見つかりたくないのは、そんな後悔が体に押し寄せるからで、自分の浅はかさを実感させられるから。

 もし、それさえ無かったのなら。


 奏と過ごした時間は確かに楽しくて、私を悪くないって言ってくれた言葉は存外胸に響いていて、歌声には未だに感動していて、私はこの縁がたったの一度で終わってしまうのを惜しいと思っている。

 だからこそ、私にとって楽しかった時間が奏にとっては取るに足らない時間だったと思わされるのが多分嫌なんだ。


「じゃあ次はこの曲です。 聴いてください」


 音楽が鳴り始める。賑やかだった雰囲気は一転して、ゆったりと流れる音と淡い照明。クリスマスにも歌っていた曲だった。奏は観客を見渡しながらまっすぐに響く歌声で少しだけ情けない歌詞を歌う。


 あの日は確かに間違ったと思う。体を重ねるなんて馬鹿で浅はかな事をしたと今でも思う。それでも、それだけで全部を過ちにはしたくない。羞恥も後悔もなんとか乗り越えて、次はちゃんと仲良くなりたい。

 サビのラスト、美しい高音が響き渡る。それはゆっくりと溶けるように消えて、閉じていた奏の目がゆっくりと開いていく。


「……」


 開いた目が、次は丸く見開く。それは勘違いじゃなければ私を見ていて、私をみて驚いている。私は私で馬鹿みたいに心臓を早くして今すぐに逃げ出したい位の羞恥をなんとか抑えて視線を返す。なんとも奇妙な顔を見つめ合っていると思う。

 ゆっくりと目が細まって、あの日のように猫みたいな目で笑う彼女を見ていると、自身の気持ちがするすると解けるように単純になっていく。


 もう終わりだなんて、やっぱり嫌だ。

 私は、奏のことをもっとよく知りたい。

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