第5話:過ちか過程か(2)


「隣いい?」

「「え?」」


 昼食を食べ終えて、有華がプリンを食べている姿を眺めていた時だった。二人して声の方を見上げると、そこには高槻くんがいた。

 茶髪の髪をふわふわと巻いて、目尻に皺を寄せて笑う姿に顔がいいなと思うのと同時に、少し緊張する。ヒエラルキー頂点という感じがするから。


「あ、どうぞ」

「ありがとう」


 トレーを自分側に寄せると、隣に高槻くんが座った。日替わりランチのご飯大盛り、おおよそ普段は見ない量のトレーをしばし眺める。

 それにしても突然どうしたんだろう。今まで一回もこんなことは無かったし、高槻くんが色んな女の子とご飯をしてるイメージも特にない。唯一理由を挙げるなら先ほどの会話だろうけど、あれってさっき終わった気もする。


「実はさ、チケット余ってて」


 そんな疑問が顔に出ていたのか、いただきますと両手を合わせた高槻くんはすぐ本題に入った。高槻くんが大き過ぎる一口を飲み込むのを眺める。人間あんな量が一気に口内に入るんだ。


「えっと、さっきのバンドの?」

「そう。 良かったら近藤さんもどう?」


 そう言ってテーブルにチケットが二枚置かれる。今週土曜日の、夜六時から。チケットから有華に視線を移すと、有華は興味深そうにチケットに手を伸ばした。


「今回は三バンドの合同ライブみたいな感じだから結構気軽に会場とロビーの出入りとかも出来ると思うし……強引かなとは思ったんだけど、このバンド知ってる人に偶然出会えたの、嬉しかったから」


 う、笑顔が眩しい。

 無下にするのも悪い気がしてチケットを手に取ってみる。あの人が所属するバンドと、他二つのバンド名が書かれているけど、当然他のバンドは何も知らない。土曜はバイトがあるけどお昼だし、行こうと思えば行けてしまう。


「行きづらいとかあったらどっかで集合して俺が案内もするよ。 ライブハウス内のボディーガードもさせていただきます」


 なんだか凄い必死だな。有華から推しを布教されている時と同じ熱量を感じる。絶対にオススメだから少しだけでも見てほしい、見てくれるならなんでもする、みたいな感じが特に。有華をもう一度見ると、彼女もこちらを見ていた。しばし沈黙の目配せをして、2人で頷き合う。

 一番後ろから少しだけ見て帰れば大丈夫だよね。仮に目が合っても演者と客なら話しかける機会もないし。


「じゃあ、せっかくなら」

「本当? あ、でもやっぱり行きたくないとかあったら遠慮なく言ってね。 って、既に結構無理矢理なんだけど……でも、来てくれたら嬉しいよ」


 眩しい笑顔。

 チケットを財布の中に仕舞って、詳細を連絡したいからと言われ連絡先を交換する。高槻くんと連絡先交換なんて、なんだか奇妙な気分になる。関わることなんてない人だと思っていたから。不思議な縁としか言い表せない。


「ご馳走様でした」


 そうこうしているうちにあっという間にトレーの上のものは空っぽになっていた。あの量が本当に入るんだ。というか、食べるの早過ぎない?


「じゃあまた後で時間帯と集合場所連絡するね。 本当にありがとう」


 最後まで眩しい笑顔のまま高槻くんはトレーを持って去っていった。にしてもまさかチラシ一枚でここまで怒涛の展開になるとは思わなかった。

 今週の土曜日に、また奏を見ることになるんだ。そう考えると途端に動悸がしてくる。今まで経験したことのない後ろめたさや恥ずかしさや落ち着かなさがわっと胸の中で騒いでいるみたいだった。


「ごめん有華。 巻き込むみたいになっちゃって」

「いやいや全然。 むしろライブハウスって人生で一度は行ってみたかった所なんだよね。 なんかこう、人生で一度は富士山登っておきたい、みたいなのに似た漠然な興味というか」


 分かるような分からないような。まあ有華が嫌じゃないなら幸いだけど、そうなるといよいよ断る理由もない訳だ。変な音を立てている心臓を早いとこ宥めて、土曜日に備えなくてはいけないらしい。

 梨紗、と呼ぶ奏の声が頭に響く。


「ぐうっ……」

「どした?」

「なんでもない……」


 こめかみを押さえる。不意に浮かぶのはもうすっかりとあの人の声ばかりだ。『梨紗と呼ぶ声が私の声のほうが良い』みたいなことを言っていたけれど、まんまとそうなっている自分がいるのが情けない。こんなことも、土曜日までに切り替えられるのだろうか。


「ねえ、さっきのチラシのバンドってこれ?」

「え?」


 こめかみを押さえていた手をどけて前を見れば、有華のスマホにはあるバンドのアカウントが表示されている。スクロールしていくと、新曲の視聴動画があってそのURLをタップする。

 食堂の騒音に負けないように音量を上げていくと、綺麗なアルトの歌声が聴こえてきた。画面は曲のタイトルだけだけど、歌声は間違いなく奏だ。


「これだと思う」

「綺麗な声。 あれ、でも女の人じゃん」

「うん」

「なんだー、てっきり男の人かと思って近づいたらやばいとか言っちゃったけど、じゃあそこも安心してライブ行けるね」

「あー、え、うん……?」


 先ほどとは違う緊張が体を貫く。口が裂けてもその女の人にまんまと食べられたなんて言えない。顔に出ない様に必死に頬に力を込めているけど、ちゃんと普通の顔を出来ているだろうか。


「曲も結構好きだなー。 なんか土曜日楽しみになってきた」


 そう言って有華が笑う。

 そうだねと相槌を打つ合間にも背中には汗をかきそうだった。


***


 渋谷のハチ公前に着くと、そこにはもう高槻くんがいた。真っ白なセーターにジーンズ、ブラウンのコートというシンプルなスタイルなのに少しびっくりするくらいきまっていて、あそこに飛び込むには勇気が要る。地元で有華と待ち合せたらよかったな。


「あ、両角さん」


 視線が合うとすぐに高槻くんが手を振ってこちらを呼ぶ。相変わらず眩しい笑顔をしている。会釈をしながら合流すると、またお礼を言われてしまった。どうやら本当に熱心なファンらしい。こんなかっこいい人も何かを応援したりするんだな。

 

「今日は楽しめるよう全力でサポートするから、何かあったらすぐに言ってね」

「ありがとう」


 ライブハウスでの心得を聞いていると、有華がやってきた。人ごみではぐれてしまわないよう気を付けながら高槻くんに付いていく。ツタヤやユニクロの看板を過ぎて、人通りの多い道を少し抜けたところで右に曲がる。高槻くんがもうすぐだよと言った通り、すぐにライブハウスの看板が見えて、地下へと続く階段があった。


「私が遅かったせいで開演時間過ぎちゃいましたね」

「元々遅れる予定だったんだよ。 そっちのほうが混んでなくて楽だと思ったから。 三時間知らない曲聴き続けるのはしんどいだろうし、まずはのんびり案内しようかなって」


 親指と人差し指で丸を作って、高槻くんが笑う。これはモテる男だな、なんて感想を抱きながら高槻くんに続いて階段を下りていく。受付でチケットを渡して進むと、ロビーには思ったよりも人がたむろしていた。どうやらみんながみんな会場で音楽を聴いている訳ではないらしく合同ライブでは普通の光景らしい。男女比は半々かやや女子が多いだろうか。それでも明らかに相対的な人種ばかりで緊張する。ウサギが猛獣だらけの檻の中に来たような気分だ。


「少し中覗いてみる? それともドリンクとかもあるよ」

「えっと、どうしよっか?」


 二人でどうするか悩んでいると、それならと高槻くんが会場に案内してくれた。扉を開けた瞬間音圧が体に響いて驚く。眩しい照明に、熱狂する観客に、真夏のように汗を流しながら歌うステージ上の人々。一番後ろの空間に移動して、その光景をしばし眺める。


「なんか、凄いね」


 耳元で有華が叫ぶと、ようやく言葉が聞き取れた。それに何度も頷いて、またステージを見る。有名なアーティストのライブに行ったことはあるけど、それでもこんなに直に熱を浴びるような感じじゃ無かったな。ライブハウスならではなのかもしれない。


 肩を叩かれて振り向けば、高槻くんが手を差し出して、そこには二つ耳栓があった。張り上げた声をなんとか拾えば、ライブ用の耳栓らしい。とりあえず言われた通りにつけてみると、音が少し遠ざかってむしろ丁度よく音が聞こえてくる。初心者には有難いかもしれない。


 そのまま二曲程聴いて、また高槻くんに肩を叩かれて会場を出る。ロビーに出て耳栓を取ると、ほっと息が出た。


「お疲れ様。 びっくりした?」

「なんか、凄かったよね」


 先ほどと同じ有華の言葉に頷く。どう表現するのが適切なのか難しいけど、凄かった。未知の音の世界というか、熱の世界というか圧倒するような空間だったと思う。


「あのバンドは結構音かき鳴らす感じで派手めかな。 他二つはまたちょっと違うと思うよ。 興味出たらもう一度聞きに行ってもいいし、とりあえず次のバンドまでゆっくりするでもいいし」

「んー……」


 有華と顔を見合わせる。とても凄かったけど、なんていうか、少し趣向が違う気もする。全力で音に乗って、みたいなタイプでは残念ながら無いというか、初心者には難しいと思うのが正直なところだった。

 それを察してくれたのか、高槻くんは少し腹ごしらえしようと提案してくれた。よっぽどの常連なのか特別に再入場できるということで一旦外に出て近くのカフェに入る。流石に慣れすぎている気がするけど、深堀りするほどの勇気はない。


「ここのカレー美味しいんだよね。 スパイスから作ってるんだって」


 一旦その好奇心は閉まっておいておススメ通りカレーを注文する。このメンバーでご飯なんてなんとも不思議な光景だなと思うけど、高槻くんの対話スキルなのか最初程緊張しない。有華も同じようで、最初よりは砕けて話している。こういう人ってコミュニケーション能力も凄いんだな。奏も、そうだったけど。


「ごほっ、ごほっ」

「大丈夫?」


 慌てて水を飲み込む。また思い出してしまった。今日に備えて、奏にバレないよう気配を消すシミュレーションは何度もしたし、いざバレたという時の心の準備も逃げる準備も何度も頭の中でした筈なのに、思い出すだけで心臓が変な動きを始める。生まれたてみたいに下手くそな鼓動になる。不整脈を患うにはまだ早すぎるんだけどなあ。


「ごめん、辛いの苦手だった?」

「大丈夫、変なところ入っただけだから」


 純粋に心配してくれる表情に無理やり笑顔を返し、黙々と食べていく。その間も一度思い出してしまった頭はずっとそのことばかりを考え続けてしまっていて、食べ終わってもまだ心臓は早いままだった。

 

「じゃあ向かおっか。 今戻って二つ目のバンド少し聴いたら、いよいよトリだから」


 カフェを出て、道を戻る。

 心臓が、ドクドク鳴っている。


 なんでこんなに緊張するんだろう。いくらなんでも、自分の体が大げさすぎる。外の冷たい空気を肺一杯に吸い込んで、限界まで息を止めて一気に吐き出す。少し変な深呼吸を何度か繰り返しながら歩いて、階段を下りて、受付を通る。


「さっきより結構聴きやすいかも」

「うん」


 嘘。音なんかさっきと違って全然入ってこない。いつの間にか会場にいることとか、周りの雰囲気だとか、いつの間にか高槻くんがいなくなってることだとか、そういうのを気に掛ける余裕がない。どんな音よりも自分の心音が大きくて、人生で一番緊張した合唱コンクールよりも緊張している。好きか嫌いかも分からないまま今のバンドが終わってしまって、次のバンドの準備が始まるのをただひたすら見つめている。


 ギターが交換されて、色々な線が繋ぎ合わされて、スタッフの人が試しに弾いて、その間にも会場に人が増えていく。


「さっきより人多い。 トリだしやっぱ人気なのかな」

「そうかも」


 奏の声なら、人気だろうな。それは何故だか予想よりももっと確信的にそう思った。

 次の瞬間歓声が聞こえて、ステージにメンバーが入ってきた。真ん中に立つ人は、今日はショートの髪を耳にかけて、パーカーじゃなくてカーディガンを羽織っている。真っ白い肌に、中性的な印象の目に、マイクの音を確かめる様に響かせる声は、


「奏」


 その私の声は、歓声にかき消されてただぽっかりと宙に浮かんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る