みたび密室の開けかた

 なにをいったのか、すぐにはわからなかった。

 唐突にべつの話題を話しはじめたのではないかと思った。理解はできても、すぐには信じられない。何度も思いうかべた美術室。上野と芹澤さんと嘉勢。三人だけだった風景に萩尾が現れる。彼女は切って貼ったみたいにういている。

 けれど、あらためて思い返してみれば、あの日に萩尾と会った記憶はない。

 萩尾は動じない。

 どこか飄然としてさえ見える表情で、竹村くんに向かいあう。

「竹村くんは見ていたんだね」

「ああ、そうだ。ぼくは見ていた」

「静奈ちゃんが美術室にいたと、芹澤さんに教えたのも竹村くんだったんだ」

「そうだ。ぜんぶ知ってたんだよ。きみたちの企みもわかっている」

 全員の視線が竹村くんに集中していた。

 それでも彼は名探偵というより、犯行を告白する犯人に見えた。

「きみたちは、この場で自分の罪をなかったことにしようとしているんだ。こんどこそ完全に上野くんの死は自殺だったということにして、あれが殺人だという疑惑をみんなから消し去ってしまうつもりなんだ!」

 殺人。自殺ではなく、殺人。

 何度も訊いた。美術室と美術準備室を覆うイメージ。

 ぼくは努めて冷静に尋ねる。

「萩尾たちの罪っていうのは?」

「まずは、嘉勢さんが上野くんを殺したんだ。萩尾さんは、それを自殺に見せかけるための工作をした」

「上野くんの血はどうするの。どうやって美術準備室から出るの」

「そんなの、どうとでもなる。床の血なんかは上野くんが死んだばかりなら、まだ踏まずに越えられたはずだ。血は、飛ぼうが飛ぶまいが関係ない」

「どうしてだよ。たしかに血が飛んでなかったなら犯人は出入りし放題だけど、じっさいには飛んでた。さっきも確認したけど、扉を開ければ血に痕が残る」

「関係ないんだよ!」

 竹村くんは繰り返す。

 必至の形相なのだけれど、どこか笑っているように見える。


「なぜなら扉についていた血は、萩尾さんが描いたものだからだ」


 誰も反応しない。

 疲れているのか、あまりに突飛な発想だからか。

「なんだって?」

「だから、萩尾さんが、扉に飛び散った血を描いたんだよ!」

「それはわかったよ。でも、どうやったらそんなことできるんだよ。まさか扉を外してから描いて、またはめなおしたっていうの?」

「そこまでする必要はない。血を描くべき戸は、一枚でいいんだ」

 竹村くんは美術準備室の扉へと向かう。

 ぼくはついていく。萩尾も無言でつづく。ほかの三人はふり返るだけだった。

 扉が開く。蛍光灯がともる。竹村くんは、上野が死んでいたあたりを指さす。入り口から見てすぐ左手、棚と机の間。

「じっさいに血が飛んでいたとしようか。上野くんの血は、左手から入り口へ向かって飛んでいるわけだけど、かなり急角度だよね。だから左側の戸は棚の陰になって、血は右側の戸にしかつかなかったはずなんだ。血を描くべきは、右の戸だけでいい」

「戸を半開きにして描いたってこと? でも、自然に飛んだ血を筆で再現するなんてできるのかな」

「木皿儀くん。きみは右の戸を開けて描いたと思ってるだろう。違うんだ。そして筆で描いたのでもない」

 竹村くんは、入り口から向かいの棚に置かれた段ボール箱へ近づく。三枝先生の私物。しばらく探したのち、あるものをとり出す。

 それは、いつかに見た、小型の透明な水鉄砲だった。

「……きみは、萩尾がそれに血を入れて発射したっていうの」

 マジな顔で頷く竹村くん。

 床に満ちた血、そこに佇む萩尾をイメージする。芹澤さんの運動靴を履いて、上野の首の傷口から水鉄砲へ血を汲みこむ。

 似あっている気がしないでもない。

 萩尾はやはり無言だった。

 竹村くんを先頭に美術室へ戻る。竹村くんは美術準備室の扉をいちど閉め、左側の戸を半開きにし、空いた隙間に左手をつっこむ。

「ほら、こうすれば同じ角度で血を飛ばせる。自然な飛沫を再現できる」

「たしかに、可能かもしれないけど」

「蓋然性がないね」

 萩尾がつぶやく。

 いいや、と竹村くんは同じ姿勢のままいいはる。

「萩尾さんは、嘉勢さんの犯行を隠蔽したいと強く願っていた。扉に血が飛んでいたという事実があれば、どうだ。みんな、上野くんの死を自殺だと思って疑わなかったじゃないか。そうするに足るトリックなんだ!」

「わかったよ。とりあえず席に戻ろう」

 ぼくは美術準備室の扉を閉めた。

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