現実を閉じる
席に戻った萩尾は小さく咳払いをした。
「ごめん、まずは謝る。あの日わたしはたしかに美術室の近くにいたの。その点は竹村くんが正しい」
誰もなにもいわない。
ぼくの場合、ある意味で、竹村くんの謎解きの衝撃がまだ収まっていない。萩尾が美術室にいた程度で驚くに値しないという感覚になっている。
「でも、隠蔽工作なんかはしてない。わたしはたぶん、静奈ちゃんが美術室からひき返したあとにきたの。芹澤さんと同じで、忘れものをしちゃって。でも、もう扉は閉まっていた。結果、翌日の朝にもういちど美術室にくるはめになった」
「あれ? それって」
ぼくはつぶやく。なにかが錯綜している。
萩尾は心なしか満足げにぼくを見た。
「なに、木皿儀。いってみて」
「さっき、竹村くんは、嘉勢がすれ違った女子生徒がまるで萩尾であるかのようにいった。けれど、それじゃそもそも順番が逆じゃないかな。嘉勢がきて、萩尾がこなきゃいけないんだろう?」
「そうだね。じっさい、そうなってた」
萩尾は竹村くんに向きなおる。
竹村くんは萩尾を見ない。萩尾は尋ねる。
「トリックは理解したけど、時系列がよくわからない。竹村くんの考えでは、静奈ちゃんはいつ上野くんを殺したの」
「美術室に戻ってきたときでしょ」
「美術室に上野くんがこなかったという静奈ちゃんの話は、嘘だといいたいんだね。じゃあ、静奈ちゃんがすれ違った女の子は誰なんだろう」
「その子が萩尾さんなんだよ。きみはまだ冬服を着ていたじゃないか。すれ違ったことだけが本当で、方向は逆だったんだ」
「静奈ちゃんは、その女の子を芹澤さんだと思ってたんだよ。わたしなんかじゃあ、とてもとても芹澤さんには見えないけど」
「それも嘘だったんだ」
「そんな嘘をつく必要があるかな。ぜんぶが嘘にしても、さっき静奈ちゃんがいったという事実までは変えられないよ」
「それは――」
「ところで、きみはどこから見ていたの」
竹村くんは目を見開く。
「中庭にいたんだよ」
「どうして」
「絵を描くための観察をしてた」
「それは嘘だよ」
いったのは嘉勢だった。竹村くんをふり返りもしない。
「わたし、愛也くんとの待ちあわせまで、図書室で時間をつぶしてたの。中庭の様子はよく見える。もし竹村くんがいたなら、わかる」
「だそうだけど。竹村くん」
萩尾が尋ねる。
さきほどの饒舌さをすっかり欠いて、竹村くんは無表情に固まっている。
萩尾は立ちあがり、竹村くんへと歩みよる。
ぼくの背後で、囁くようにいう。
「竹村くん、上野くんの死体を見たよね。そのとき部屋の様子も見たと思うんだけど、花子さんがいなかったのを覚えてない?」
ひゅっ、と息をのむ音がした。
「いなかったんじゃなくて、裸だったんだよね」
「……ぼくが悪かった」
「責めてるんじゃないよ。あの紙切れや脅迫状のこともね」
「きみは、ぜんぶ知ってるの? 見ていたの?」
「わたしはなんにも知らないよ。ちょっと妄想がたくましいだけ」
竹村くんは震えた声で誰にともなくいった。
「上野くんは、いつもぼくにも話しかけてくれたんだ。優しくしてくれた。あのとき。ぼくを見たときだって――」
「竹村くん、かわいいから、似あうと思うよ。わたしも、ちゃんと見てみたかった」
ごめんね、と萩尾は最後につけ加えた。
竹村くんから離れ、席に戻る。
ぼくは、おそるおそるふり返ってみる。竹村くんはさきほどと同じ姿勢で固まっている。真っ白な顔で、赤い眼で、机の一点を注視している。滝のような汗と涙が頬を伝う。
「なにいったの、あんた」
芹澤さんがいぶかしげに尋ねる。
「もうすんじゃったことだよ」
萩尾はこともなげに返すと、さて、と声をはっていった。
「と、いったところかな。事件はこれでおしまい。事件と呼ぶべきかわかんないけど。ほかに質問は?」
みんな無言だった。
萩尾は満足げに頷く。
「もう下校時間だね。帰ろうか。あとのことはまあ、明日考えよう」
時計の針は六時を指していた。
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