対決の前に
これで芹澤さんとの対決は避けられなくなった。備えになるかわからないけれど、確認しておきたいことはいくつかある。
「訊いていいのかわからないけど、中島さんたちってその、上野の死体を発見したよね。そもそもどうして美術室まできてたの」
「忘れものだったの。運動靴」
「運動靴? 美術室に?」
「あの日の前日、体育あったでしょ。持って帰ろうとしてたの。置き忘れ」
「ああ、そうだったね」
グラウンドでハードルをしたのだ。その日はにわか雨が間をおいて降る厄介な天候で、多くの生徒が運動靴をずぶ濡れにした。そのまま下駄箱に放置したやつらがぼくも含めていた一方、乾かすために持って帰る人も多かった。
「芹澤さん、準備室にもなにか用があったの?」
「そういうわけじゃないと思うけど、竹村くんもきてたし、開けてあげたんじゃないかな。竹村くん、準備室の中の備品もよく使ってるじゃん」
備品というか、三枝先生の私物だ。
ぼくは美術準備室の扉を見つめる。
「けっこう、血が飛んでたんだよね」
「うん。もう、真っ赤だったよ。床とか壁とか」
「扉にもついてた?」
「ついてたよ。べったり」
中島さんはよどみなく答えた。
「そうなんだ」
それだけ返す。なにげない調子でいったつもりが、声がすこしうわずる。
ついていた、ということは、密室は朝まで一度も開かれていない。
上野の死は、やはり自殺だ。
中島さんは同じ調子でつづける。
「はーちゃんが悲鳴あげて座りこんじゃったから、急いで近よったんだけど、そのとき扉を掴んじゃって。指のさきに乾いてない部分がついちゃった」
「なんか、細かく訊いてごめんね」
「いいの。わたしはあんまり堪えてないから」
「上野と交流はなかったんだっけ」
「あんまり。はーちゃんとか、嘉勢さんと話してるのを、たまに見かけたくらい」
ぼくはふと尋ねる。
「中島さんは彼にどういう印象をもってたの?」
「あらためて訊かれると」
中島さんは首を傾げる。
「話しにくそうだなって思ってた。親しみやすそうじゃないというか、あんまりこう、人間味を感じない」
「芹澤さんには感じるの」
「はーちゃんと上野くんは違くない?」
「ぼくから見ると似てるよ。なんというか、華やかな人だよ」
竹村くんの言葉だ。もうすこし今風のいい方もあると思うけれど。
中島さんはまじめな表情で答えた。
「はーちゃんは、ああ見えて熱い人なんだよ。義理堅いというか、姉御肌っていうか。あんまり遠慮とかしないから、怖く見えるかもだけど。あの子、上野くんの家まで話聞きにいったんだよ」
「へえ、すごい」
ぼくには上野の家庭事情を調べるなんて発想はなかった。事件を学内のことに限定してしまっていた。
「芹澤さんはどうしてそんなに上野が好きなんだろう」
「さあ。ひと目惚れ?」
「もっと深い事情があるんじゃないの」
「深い浅いもないんじゃないかな。感情があるんだもの。そうなってたって、あとで気づくんだよ。事情なんて、それからつくっちゃうの」
あるものはしかたない、ということだろうか。そういう現実もあるのだ。
ぼくは時計を見る。四時半。
「芹澤さんって、もう家帰っちゃったんだっけ」
「わかんない。なんで?」
「直接話したほうが早いかと思って」
中島さんはきょとんとした顔でぼくを見た。
「木皿儀くんって意外と行動的な人だったんだね」
「中島さんは意外とずばずばいうよね」
ぼくはどれだけ怠惰だと思われているんだ。
「でも、木皿儀くんがはーちゃんの話を聞く理由はなくない?」
「こっちにもいろいろあるんだ。上野のことはぼくも気になるし。嘉勢が疑われてるんだとしたら、まあ、よくないかなって思う」
主に萩尾のせいなのは、もちろんいわない。
「木皿儀くんって嘉勢さんのこと好きなの?」
「なんでそうなるの」
「おはぎちゃんじゃなくて、嘉勢さんが目当てだった、とか」
「目当てがなきゃぼくはきちゃいけないのか。とにかく嘉勢は、べつにその、そういうことを考えてなくても、知りあいだし、悪く思われるような人じゃないから」
「ふうん」
中島さんはスマートフォンをとり出す。流れるような動きで電話をかける。
ちなみに、中島さんは嘉勢に対してどんな印象を抱いているのだろう。ちょっと気になるけれど、訊かないほうがいい気もする。また妙な勘ぐりをされたくはない。
しばしのやりとりをして電話を切ると、中島さんはいう。
「はーちゃん、いまからくるって」
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