第六話 六月十九日木曜日

紙切れを入れるには

 脅迫状を書いたのは誰か。

 嘉勢に訊いてみたところ、同様のメッセージはクリアファイルに挟まっていた例の紙切れだけらしい。筆跡鑑定なんてぼくにはできないけれど、同じ人が書いたように見えなくもない。

 差出人の目的は、上野の遺品である腕時計の奪取。

 上野の遺品そのものがほしいのか、それを奪うことで嘉勢をいじめたいのか。

 無視してもいい。差出人の推理はいうまでもなく不十分で間違っている。けれど、さらに噂を拡大させることは避けたい。今後も脅迫が繰り返される可能性もある。

 当日は、件の腕時計を肌身離さず持っておくよう嘉勢に伝えた。指定の日時はブラフで、鞄に入れておいたところを直接盗まれないとも限らない。

 約束の日。六月十九日木曜日。

 ぼくと萩尾、嘉勢は昼休みに連絡をとりあうことにした。

 それまでにやるべきことは山ほどあった。


 登校後、すぐに職員室を覗いてみると、目当ての三枝さいぐさ数義かずよし先生は自分の席でコーヒーを飲んでいた。

 色素の薄い天然のくせ毛。やせこけた頬。鷹のような丸い眼に豊かな眉。尖った鷲鼻。くたびれたポロシャツに綿パン。そのシルエットははた目には心配になるくらい細い。ここ数日は上野の件もあり、輪をかけてやつれて見える。

 机のうえは、半ば崩壊した書類の山でいっぱいだ。

「おはようございます、三枝先生」

「おう、木皿儀。今日も早いな」

「いまよろしいですか」

「ああ、なんだ」

 三枝先生は近くにあった空席の回転椅子を引きよせる。長くはならないだろうと思いつつ、ぼくはありがたく座らせてもらう。コーヒーと中年の男のにおいがする。

「覚えていたらでいいんですけど、訊きたいことがありまして。先生、嘉勢さんの忘れものを萩尾さんに届けさせたでしょう?」

「いつのことだ」

「先週です。十二日ですね」

 先生は手元の卓上カレンダーをちらと見やる。

「ああ、あれはまだ先週なのか」

 ぼそりとつぶやく。はりのない声からは疲れがにじみ出ている。

「嘉勢さんが休んだ日です」

「たしかに萩尾に頼んだぞ。クリアファイルとプリントだったな」

「あとシャーペンと傘ですね」

「あれ、そうだったかな」

 先生は顎に手をやる。まばらな髭。

 大丈夫だろうか。訊いたとしても、ぼくが知りたいことを覚えているか不安だ。

「プリントはたしか、十日におれが配った日程表だったよな」

「そうです。それなんですけど、ほかにプリントは挟まってませんでしたかね」

「いや? 日程表だけだったと思うが」

「じつは嘉勢さん、ほかにもなくしたプリントがあるみたいで、先生がとりこんでないかって心配してたんですよね」

「はあ。そりゃずいぶんな心配をされたもんだな」

「でも先生、机けっこう散らかってるじゃないですか。部員の間でも有名ですよ」

 ぼくは愛想笑いをうかべて机を見やる。

 先生は口をへの字に曲げた。

「嘉勢がなくしたプリントってのは?」

「その日に帰ってきてた現代文のテストだそうです」

「そりゃ大変だな」

 まったく本心から思ってなさそうな口調でそういうと、先生は書類の山に手をつっこんでいく。紙の束やファイルを積み替える。

「なんだって嘉勢のプリントを木皿儀が探しにきてるんだ」

「たいした事情はないんですが、訊いてみるって約束してしまったもので」

「現代文のテストって縦書きのA3だろう?」

「それくらいですね。ふたつ折りにしてあったそうですよ」

「あればすぐにわかると思うがな」

「クリアファイルは、どのあたりに置いてたんですか?」

「いや、机の間に落ちてたのを萩尾が拾ってくれたんだ」

 ぼくは苦笑する。

「誰かが持っていっちゃったんですかね」

「まさか。それにあの日は、萩尾のほかは芹澤しかこなかったぞ」

 思わず息をのむ。ビンゴ。先生に見えないように軽く拳を握る。

「覚えてらっしゃるんですか?」

「思い出したくもない。例の、上野の件でほとんど外出してたから、席にいた時間もほとんどなかったんだ」

「芹澤さんは、上野のことで、ですか?」

「そんなところだ」

 詳しく話すつもりはないようだった。ぼくも聞かなくて構わない。

「十一日も、誰もきてないですよね」

「なんだ、誰かが盗んだって本気で疑ってるのか? そんなわけないだろう。十一日はみんなすぐに帰したしな」

 あとは三枝先生がいない間にきた生徒、あるいは職員室にいる先生たちの中の誰か、という可能性もあるけれど、それはさすがに冗談めかしても訊けない。

 先生はしばらく書類を漁ると、ないな、ときっぱりいった。

「ないですかね。こんなにあるのに」

「これでも、どこになにがあるかは把握してるんだ。たぶん、ない。まあ、出てきたら嘉勢に渡しておくよ」

「ありがとうございます。嘉勢さんにも伝えておきます」

 ぼくは席を立つ。

 同時に、先生は軽く右手をあげていった。

「やっぱり傘はなかったと思うぞ」

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