六月十五日日曜日④

 ぱたぱたと音がした。

 雪見障子の窓から中庭を覗くと、雨が降り出していた。庭石が黒く染まっていく。

 萩尾は傘か雨合羽を持ってきたのだろうか。持ってきていても、くまたろうを入れたリュックは濡れてしまうだろう。

 咳払いをして、くまたろうがつづける。

「まあ、だいたいこんなところだ。さて、この中で犯人は誰だろう」

「誰だろうって」

 よく考えていなかった。いざ考えるにも、ちょっとためらってしまう。現場の様子を聞いたからか、罪悪感がわいてくる。

「おれが思うに、芹澤春海が怪しい」

 くまたろうはきっぱりとした口調でいった。

 雨音が激しくなった。

 ぼくは思わず顔をしかめた。

「なんで、芹澤さんなんだ」

「朝早くに美術室にくるのを提案したのは芹澤だ。さきに誰かに死体を発見されて、鍵がないのを確認されてしまっては、美術室を密室にできない。芹澤自身が死体と一緒に鍵を発見したふりをするのがいい。ひとりだと疑われるから、中島たちにも確認してもらう」

「はあ」

「殺人そのものの動機としては、痴情のもつれってことになるな」

 ぼくはまた、なにもいわず麦茶を飲む。

 くまたろうの話は正直なところ面白いけれど、現実感はやはり希薄だ。バスケ部のエースを学年一の美少女が愛憎のために殺害なんて、あまりにできすぎていて胡散臭い。

 いや、もちろん、ぼくとしては最初から冗談半分だったのだ。くまたろうが話している時点でお察しだ。

 けれど、なぜか危機感がないでもない。よくできた陰謀論でも聞かされたあとみたいだ。陰謀論が怖いというより、陰謀論を話している論者が怖いのだ。

 ぼくはくまたろうの黒目を見る。

 まだ現場を密室にする方法を説明しただけだ。

「上野が死んだ日のアリバイはどうなってるの」

「まだ詳しくは調べてないけど、芹澤は遅くまで美術室に居残ってる。返却された試験の復習や宿題をやってたみたいだな」

「うちの部活、宿題やってていいんだ」

「そうだぞ。木皿儀ももっとくればいいのに」

「考えとくよ」

「そういっといてこないだろ」

「居残ってたのは、芹澤さんだけ?」

「そう。中島は家の用事ということで、芹澤より三十分ほど早く帰った。竹村も同じくらいにいなくなった」

「嘉勢はどうしたの?」

 なぜか萩尾が答えた。

「静奈ちゃんは早めに帰ったよ」

 そもそもいなかったのだ。すこし安堵を覚える。いや、安堵するのもおかしい。上野が死んだ日にアリバイがなかったとして、だからなんだ。

「じゃあ、どうやって殺されたんだ? 血でできた密室はまだ解けてないよ」

「そこなんだよな。残念ながら、まだ説明できない」

 くまたろうは肩をすくめた。例によって肩などないが。

 ぼくはため息をつく。

「発見時に隙を見て施錠するってのも、無理なんだね」

「無理。発見したとき誰も部屋に入らなかった。そもそも血を踏まなきゃ入れない。それにさっきいったとおり、上野が死んだ日の夜に先生たちが施錠を確認している」

「もっと証拠とか証言とかないの」

「十日の夕方、美術室で芹澤と上野が話してるのを見たやつがいるらしい」

「誰?」

「一組の剣崎けんざき

「あいつか」

 同じクラスの生徒だ。

「剣崎に確認したの?」

「まだ。噂で聞いただけ」

「じゃあだめだな」

 たとえ見ていたとしても、それだけではたいした証拠にはならないけれど。

 上野愛也の死は自殺で、密室は閉じたまま。

 けっきょくは、ぜんぶ妄想。

 萩尾は麦茶を飲みほした。くまたろうの声がいう。

「とりあえず、芹澤を探ってみようと思うんだ」

「え、諦めてないの?」

「なんで諦めるんだよ。調べているうちに、血の密室も解けるかもしれない。芹澤がぼろを出すかも」

「訴えられても知らないからな」

「そういわず、協力してくれよ、木皿儀」

「は?」

 ぼくは萩尾を見る。

 その顔はやはり見えない。

 くまたろうはいままでいろんな設定を語ってきた。今回も同じたぐいなのだろうか。にしても魔界に関する設定がひとつも登場しない。むしろ、稚拙ながら現実の事実に基づいてつくられている。あげく萩尾は芹澤さんにまで接触するつもりらしい。

 動機は、たぶん嘉勢なのだろう。

 クリアファイルから落ちた例の紙切れ。

 ――おまえがころした。

 うまく収める方法はないだろうか。

「いいよ、わかった」

「ほんと?」

「そのかわり、萩尾はとりあえずなにもしないで。ぼくが様子を見る。それで、芹澤さんに疑わしいところがあれば知らせる」

 いいね、と念を押すと、萩尾は小さく頷いた。

 少なくとも魔法少女よりは、ぼくのほうが探偵役には適任だろう。


 雨は降りやむ気配がなく、勢いを増していくばかりだった。

 帰りがけに確認すると、萩尾は丈夫そうな黒の折り畳み傘を持っていた。それでもくまたろうが無事ですむとは思えなかった。

 そこへたまたま通りかかった母の勧めで、来週末までうちで預かることになった。

 当然、置き場所はぼくの部屋だ。

 枕元に構える巨体が気になって、その日は寝つきが悪かった。

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