六月十五日日曜日③

 三重、なのか?

 まず美術室、次に美術準備室、そして上野の血。

 足跡のない雪原のただなかで起きた殺人を雪密室と呼ぶそうだから、血の密室と呼べないこともないのか。

「美術準備室って、窓あるんだっけ」

「ある。突き当たりにひとつ。もちろん、さっきいったとおり施錠されていた。よくあるクレセント錠だ」

「よく名前覚えてるね」

 三日月形の金具をフック型の金具にひっかけるタイプの鍵だ。うちの学校の窓はほとんどクレセントだと思う。

「それじゃあ、仮にうしろから首をかき切るかたちで殺せたとしても、窓からしか出られないんだね」

「どうやって中から閉めるんだ」

「うーん」

 推理小説でよく読んだ、いかにもな密室状況だった。

「いや、待て。犯罪立証の義務ははぎ――くまたろうにあるんだ。なんでぼくが犯行方法を推理しなくちゃならない」

「木皿儀ノリがいいからつい」

「ぼくも自分のノリのよさが怖い」

「まあ、美術準備室に関してはこんなところだ。これだけで考えると自殺という結論しか出てこない。でも、美術室に関してはどうかと思うわけだ。じつは、鍵が発見されたのは美術室でなんだ。教卓の中に入っていた」

「上野が持ってたんじゃないのか」

「そのとおり」

 くまたろうは自信に満ちた声でいう。

「発見時の状況から説明しよう。十一日の早朝、美術部員の女子生徒ふたりが、職員室に美術室の鍵が返却されていないことに気づく。これでは美術室に入れないということで、三枝先生に報告してマスターキーで開けてもらう。ついでに準備室も開けて死体を発見、というわけだ」

「けっこうすきがありそうだね」

「わかるか。美術室は、密室としては三流なんだ」

「三流って」

「密室をつくる方法はいくらでも思いつく」

「窓がじつは開いていたとか、マスターキーを使ったとか?」

 でも、そんな簡単にいくだろうか。

 案の定、くまたろうは否定した。

「残念だが施錠は先生が十日の夜に確認してる。マスターキーもちゃんと管理されていて、十日の夕方から翌朝までの間に、鍵箱から持ち出された様子はなかった。美術室の鍵については誰かが誤って持って帰ったものとして、その夜は探さなかったらしい」

「鍵を持ってた人が怪しいわけだ。いいからくまたろうの推理をいってよ」

 ぼくの催促にくまたろうは頷く。

 首なんてほとんどないけれど。

「まずは密室がどうできたかについて考えよう。木皿儀は知ってるだろうが、推理小説なんかで、密室殺人が完全な密室で行われることはあまりない。いろいろ議論はあるが、あとから見ると密室で殺されたように見えてしまうだけなんだな。死体発見時に密室だったから、殺害時も密室で、まるで不可能犯罪だったかのように見えたりするわけだ」

「異論は考えられそうだけど、つづきを聞くよ」

「だから、いつどの時点で密室ができたかを考えるべきなんだ。今回は、これを発見時としたい」

「すると、発見した部員たちが怪しいと」

「そう。おれの考えはこうだ。発見者がじつは美術室の鍵を所持していて、マスターキーによる解錠および入室後、人の目を盗んで教卓の中に入れたんだ。鍵が解錠前から密室の中にあったかのように見せかけたわけだ」

「まあ、それはできそうな気がするけど」

「推理小説的にはベタな解答だけどな。とりあえず美術室の密室は突破できる。美術準備室の扉の施錠も、鍵を持っている人物の思いどおりだ」

 ぼくは麦茶を口に含む。肯定はしないでおく。具体的なことを聞かずに、安易に判断できる話ではない。

「その、発見した美術部員は誰だったの」

 萩尾が指を折り、くまたろうがいう。

中島なかじま胡桃くるみ芹澤せりざわ春海はるみ竹村たけむらゆう、そしてめぐるの四人だ」

「萩尾がほかの部員と連れ立って登校するイメージがわかないけど」

「失礼な――」

 萩尾は顔をあげたが、ばつの悪そうな顔をして、またくまたろうの陰に隠れた。

 くまたろうの声が答える。

「めぐるはたまたまいあわせただけだ。中島と芹澤は一緒だが」

「あの人たちは仲いいよね」

「そう。いつもふたりで時間をあわせて登校してるらしい。あの日は、芹澤が忘れものをとりにいこうとして、早くから登校したんだそうだ」

「正確には何時?」

「七時三十分」

 ぼくの登校より五分ほど早い。

「中島さんもそれにつきあったの」

「側近だからな」

 いやな呼び方だ。

 芹澤さんは美人として学年内で有名である。そばにいるいわゆる凡人たちは、仲がいい悪いにかかわらず不名誉な呼ばれ方をしてしまう。

「竹村くんは、絵を描きにでもきてた?」

「そうだ。よくわかったな」

「美術室は一組の教室から見える。よくきてるのを見かけるんだ」

 朝の廊下をとぼとぼ歩く竹村くん。あまりきちんと話したことはないけれど、毎日決まった時間にやってくる姿には素直に好感をもつ。

 さて、それで――。

「萩尾はなんで美術室に?」

「……わたしも、忘れもの。スケッチブック」

 萩尾の声がぼそりと答える。イラストでいっぱいの萩尾のスケブ。

「それはまあ、災難だったね」

 当たり障りのないことしかいえない。

 くまたろうの声が萩尾に代わってつづける。

「最初に死体を発見したのは、芹澤だった。教卓の中から鍵を見つけて、それで準備室を開けた。そのあと中島と三枝先生が死体を確認した。とり乱した芹澤を中島が介抱して、竹村がほかの先生たちを呼びにいった」

「萩尾も準備室の中を見たの?」

 控えめに首を縦にふる萩尾。

「大変だったね」

 やはり、それだけしかいえない。なにをいうべきかわからない。

 死体なんて、ぼくはまだ見たことがない。

「わたしはべつに。芹澤さんのほうが大変だった。芹澤さん、すごく泣いてた」

「あの人、上野が好きだったから」

「木皿儀も知ってたの?」

「クラス同じだし。休み時間に中島さんたちと話してるのを聞いた」

 ふーん、とつぶやいて、萩尾は麦茶をひと口飲んだ。

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