第一話 愛は血を流して横たわる
六月十一日水曜日
平地に建つぼくの家から、小高い山のうえの中学校まで、自転車で幾度も坂をのぼりおりする。
遠く連なる雄大な山脈が、だだっ広い田舎の空の輪郭を縁どっている。地上では、集落が小さいながらも途切れることなくつながっていて、山と町との隙間を埋めるように田畑が広がる。
朽ちたように薄い色彩の住宅や工場、シャッターのおりたスナックを通りすぎる。
深々とした緑の森の中に白い校舎が見たところで、自転車をおりる。さきには、ペダルをこぎつづけるにはとても苦痛な、急な坂道が校門までのびている。
夏だと教室につくころには汗まみれになっていた。
その姿を誰かに見られるのがいやで、クラスでは毎日いちばんに登校していた。
わが校は各クラスのある三階建ての第一校舎と、音楽室や美術室のある二階建ての第二校舎からなる。二棟の校舎は東西に並び、さらに東にグラウンド、北に体育館がある。四方を森で囲われているため、下界から隔絶された聖域という感がないでもない。
ぼくが所属する一年一組の教室は、第一校舎二階の北の端だった。
運動部でもないのにわざわざ持参したタオルで汗を拭きながら、窓を全開にしていく。なかなかひかない汗にいらいらしながらも、ちょっとした爽快感がある。
まだ冷たい朝の風が心地いい。
汗が乾くころになると、机で本を読む。
田舎の中学だから、というのは偏見かもしれないけれど、本が好きだという人に対する風当たりは強い。クラスの大半が集まるころには鞄にしまう。
気にせず読めばいいのに、と萩尾なんかはいうけれど、入学してからの三か月ですでに三冊駄目にしていた。一冊は表紙が消え、一冊は水たまりに落ちた。もう一冊には、ページにでかでかと卑猥な落書きがしてあった。
いじめられていたわけではない。少なくともぼくにそのつもりはない。かっこつけていうようだけれど、中学生は無秩序で暴力的なものなのだ。
犯人のことを恨んでいないといえば噓になるけれど、顔をあわせれば冗談をいいあう関係を保ってもいる。喧嘩しても、どうせ同じ校舎にいなければならないのだ。勇気がないともいえるけれど、腹になにか抱えていて、それらをすべて吐き出したとして、そのあとの責任をとるのはさらに大変なことだ。
もっとひどいことをする人もいて、その人とは距離をとっている。もっとひどいことをされた人は転校していった。関係していたある先生はずっと休んでいる。
卒業までやりすごしてしまうのがいい。どんな事件や事故が起きても、そういうものとして通りすぎるのが最適解なのだ。
そう思っていた。
その日。
中学ではじめての定期テストも明けた、六月十一日水曜日。
いつもと同じようにいちばんに教室にきて、ぼくは本を読んでいた。
がやがやと教室の外が騒がしくなりはじめて、黒板のうえの時計を見あげると、八時二十分をすぎていた。五分後には予鈴、十分後にはホームルームがはじまるはずなのだけれど、教室に生徒はまばらだった。
ベランダに視線を向けると、クラスや男女にかかわらず多くの生徒たちが群がっているのが見えた。みんな、手すりから身をのり出さんばかりだった。
視線のさきには、第二校舎。
一階には美術室がある。
なにかあったのかな、と思った瞬間、パトカーのサイレンが聞こえた。
そのあともホームルームははじまらず、九時をすぎてから担任の先生がやってきた。一部の生徒を除いて帰宅することになった。
隣のクラスの
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