魔法少女の密室

むぎばた

プロローグ

二年前

「ねえ、魔法ってあると思う?」


 萩尾はぎおめぐるが、そう尋ねたのだ。

 ぼくたちがまだ小学五年生のときだ。


 面と向かって話をしたのは、たぶんはじめてだった。

 きっかけは覚えていない。たぶん、なにか委員の仕事だったのだと思う。そうでなければ萩尾と話す機会なんてなかった。

 はたから見て萩尾は、どうしようもなく、とっつくにくい印象のある子だった。表情が乏しいというか、自己主張が少ない。人と目をあわせない、声が小さいなど、人間関係を維持するうえで不利といわざるをえない要素が多々あった。

 そうでなくとも萩尾には、いわゆる「見える人」だとの噂があって、真偽はともかく、ぼくはできるだけ交流を避けていた。

 放課後の教室には、ぼくたちしかいなかった。

 机をあわせて、向かいあって座っていた。

 前髪に隠れがちな萩尾の三白眼は、机の端のほうに注がれていた。頭ひとつぶん差のついたいまと違って、当時はまだぼくと同じくらいの目線だった。背が伸びたのはぼくで、萩尾の外見はいまとほとんど変わっていないと思う。頬や掌の丸み。やたらに長い傷んだ黒髪。

 肩に垂れたそのひと房を見て、どろどろとした黒髪、という文句がうかんだのだ。小説かなにかで見かけたのだと思うけれど、萩尾はたしかに、どろどろとした、という表現がしっくりくる、豊かな漆黒の髪をしていた。

 もちろん、細かくは変わったのだろうけれど、全体の印象としてはいまも同じだ。ぼやけた当時の風景の中に、いまの萩尾がいる。まるでマンガのキャラみたいに、風景からういている。

 萩尾は、やや調子はずれの低い声音で、想像よりもよどみなく話した。ふとした冗談で屈託なく笑いもした。この子も同じ子どもなんだな、と思った。

 やがて打ち解けてきた気がして、ぼくは調子にのって、萩尾の噂についてでも尋ねたのだと思う。

 そうでなければ、ちょっと不自然な質問だ。

 ――ねえ、魔法ってあると思う?


 ないだろう、とぼくは答えた。

「あるわけない」

「えー。木皿儀きさらぎ、夢ない」

「夢があるかは関係ないと思うけど」

 萩尾は、そこではじめてぼくの目をじっと見た。ぼくは窓の外へ視線をそらした。夕暮れのグラウンドには、サッカーをするクラスメイトたちの姿が見えた。

「そうだね、ないってのはいいすぎたかも。萩尾のいう魔法ってのが、どんなものか聞いてないし」

「そりゃあ、呪文唱えて、炎出したり、箒に乗って空を飛んだり」

「じゃあ、ない」

「ないかな」

「ないよ。あってどうするの。火ならライターやコンロで十分だし、ひとりで飛ぶことはできなくても飛行機に乗ればいい。箒より安全だよ」

 萩尾は上目づかいにぼくを睨んだ。

「木皿儀は、映画なんかに出てくる魔法使いに憧れたりしないの」

「しないけど」

「わたしは小さいときから、魔法使いが出てくる絵本とか、魔法少女もののアニメとか、すごく好きだったの。コスプレしたり、魔法の設定を自分で考えたりしてた」

「悪かったね。でも、憧れるのと、現実がどうなっているかはべつの話だよ。萩尾のそういう熱意は、それこそマンガや小説にそそいでおけばいいんだ。なにも現実に魔法があるなんて考えなくても」

「でも、あるわけないとは断言できないんじゃないの? むかしからそういう設定はずっとあるんだし」

「人類に普遍的な欲望なんだよ。けど、実在するかはべつ」

「フヘンって……木皿儀のその習いたての言葉使いまくってる感じ、なんかむかつく」

「萩尾は習いたてかもだけど、ぼくは小三のころには知ってたから」

「ほんとに?」

 とにかく、といってぼくはごまかした。

「萩尾が考えてるような魔法はないよ。現代では魔法は科学になったんだから。事実のあり方の問題なんじゃなくて、その見え方の問題。名づけ方っていってもいい。ライターで火をおこすのも、むかしの人からしたらもう魔法なわけだし」

「はあ」

「萩尾だって魔法が使えるわけだ。よかったじゃん」

 茶化すようにいうぼくに対し、萩尾は仏頂面だった。

 萩尾だって、自分でいうような魔法が実在すると信じていたわけではないと思う。けれど憧れがあったのだ。あるものはしかたがなかった。

「どうしても魔法がなくちゃだめかな」

「だめだよ。つまんないじゃん」

 いい返そうとして、萩尾のまなざしにぼくは口をつぐんだ。

 現実に魔法はありうるか、あえて肯定的に考えてみた。

「魔法が科学になったからって、魔法として考えられないことがなくなったわけじゃないと思うよ。科学が実証主義、つまり、そのしくみがどうなっているか証明できることを扱うなら、魔法はしくみがわからないことを扱うってことだろう」

 萩尾は首を傾げた。

「ごめん。ちょっとわかんない」

「え、わかんない?」

「木皿儀、みんなともそんな話し方してんの? ひかれない?」

「ほっとけよ。萩尾もそんな変わんないだろ」

 とにかく、とぼくはもう一度いった。

「魔法は、神秘や奇跡なわけじゃん。そういうふうに考えられる現象は、科学がいくら進歩してもなくならないってこと」

「そうなの? ぜんぜん知らないけど、スーパーコンピュータとかで、ぜんぶわかるようになるんじゃないの」

「天気ですら完璧には予測できないらしい。結果に影響する要因が多すぎて、なにが起こるかわからないんだ。魔法だって呼べることは、まだあるんじゃないかな」

 うーん、と萩尾は眉根をよせてつぶやいた。

「木皿儀がいいたいことは、わかった気がしないでもないけど。いまいち、なにが魔法なのかぴんとこないかも」

 萩尾は考えをひとつひとつ言葉にするように、ゆっくりと話した。

「たとえば、一回しか起きないできごととか?」

「まあ、それは奇跡と呼ぶこともできる」

「あと、そのできごとを魔法って呼ぶ人たちがいないといけないんだ」

「そうだね。ルールが共有されてないといけない」

 萩尾は、どこか不服そうだった。


 そのとき、けっきょく萩尾はなにもいわなかった。

 けれど、いまならその心中をすこしは想像できる気がする。

 あるできごとを魔法と呼ぶか科学で説明するかは、観測した集団のルールによる。できごとは変わらない。事実は同じ。

 でもそれでは、萩尾が魔法に対して抱いていた憧れが消えてしまうのだ。

 思うに、それは個人の思いと関係している。情熱や願い、希望。主観的で感情的な認識を現実に影響させてかたちにする力こそ、魔法と呼ばれるべきなのだ。

 たぶん萩尾は、そういうものを考えていたのだと思う。

 もちろん、あるわけないけれど。

 年齢を重ねるにつれ、ぼくたちは自分の思いと現実がずれていることに気づく。そのずれを絶えず修正しつづけることが、大人になることなのだ。きっと当時からわかっていた。その鬱憤のはけ口を、虚構の世界や創作に求めていただけだ。

 魔法はない。

 ただ、魔法がある、という言葉だけがある。


 ぼくたちは、習いたての現実離れした言葉で、現実を閉じた。

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