第4話

 2021年8月1日

 埼玉県浦和市

 派遣会社ゼウスの社長、別所の息子・ペリーと、別所の秘書・及川香美おいかわこうみの結婚式が盛大に始まる。運ばれてきた入刀用ケーキに場がざわめく。ケーキのイチゴだと思われたそれは、人間の鼻だった。  

 ゼウスは派遣切りが相次いでおり、1年間で解雇された人数は30人だった。

 また、課長の蘇我俊樹そがとしきが行方不明になっていた。

 

 埼玉県警捜査一課に異動になった佐伯は結婚式場の異様な物体の主は蘇我かも知れないと思っていた。


 8月2日、別所が金庫をあけると、現金の代わりに5年前の沖縄旅行の集合写真がはいっており、蘇我と別所の顔に✕印が付けられていた。


 ゼウスの顧問弁護士となっていた黒峰文彦は会議の際に、6月にビルから飛び降り自殺した野島宝介のじまほうすけの死に恨みを持つ者の報復行為であることを別所に説明するが、「野島は遺書を残していない。派遣切りが自殺の原因だとは断定できない」と反論されてしまう。

 そして深夜に憔悴しての帰宅途中、文彦は暗がりに蘇我の姿を見る。驚愕した文彦は別所の自宅に駆け込み、蘇我が生きていると訴えるが、既に文彦を信用していない別所は一蹴する。

 文彦はふと、蘇我が『真田丸』に出ていた阿南健治に、別所が亡くなった石原裕次郎に似てると思った。

 

 追い詰められた文彦が客先にまで蘇我の件を喋り始めたため、遅まきながら別所は文彦を懐柔しようとしたが、文彦は疑心暗鬼に陥っており、野島の件も含めて何もかもぶちまけてやると言い出したため、殺し屋に狙われる羽目になる。


 8月4日 - 名古屋市長の河村たかしが2020年東京オリンピックソフトボール日本代表の後藤希友投手と面会し、後藤から金メダル獲得の報告を受けた際、首にかけてもらった金メダルを突然噛み騒動となる。

 オリンピックもそろそろ終わりだ。

 文彦は様々な悪事を犯したことで『透明』の魔法を使えるようになっていた。

 

 当駅周辺でも、特に駅西側は埼玉県やさいたま市の行政機関、主要政党の埼玉県支部、裁判所などが集まる埼玉県政、さいたま市政の中枢である。また、そのような中で駅から徒歩圏内に狛犬ならぬ狛ウサギで有名な調神社や、枝垂桜で有名な玉蔵院などの古社寺が点在する。また、旧中山道沿いに駅から少し離れると老舗の菓子屋などの店舗も残り、近世以来の宿場町の名残りを今に伝えている。


 西口側では1963年8月に浦和都市計画街路が決定した後、1967年に駅前の再開発事業に着手した。1981年3月に繁華街の再開発が完成して、伊勢丹浦和店、浦和コルソといった大型商業施設が同年に開店したほか、浦和駅西口バスターミナル、旧浦和駅前停車場線を整備したさくら草通り、旧中山道、玉蔵院通り周辺などが整備されている。なお、この頃の再開発は、例えばさくら草通りは自動車も通行する道路から歩行者専用道路になるなど、道路を歩くことの楽しさにも配慮していた。


 その後1990年代末期には旧中山道と市役所通の交差点に当たる旧浦和宿本陣近く、浦和市役所旧庁舎跡地(浦和市役所移転後は駐車場になっていた)に浦和駅周辺では初の超高層ビルとなる浦和センチュリーシティ(浦和ロイヤルパインズホテルなどが入居)が完成した。


 そして、2000年代に入ってからは東口でも再開発工事が進められ、浦和パルコ、ヤオコー、ユナイテッド・シネマ(シネマコンプレックス)などの商業施設と、さいたま市立中央図書館、COMUNALE、地下公共駐車場などの公共施設が入居する複合型再開発ビル「ストリームビル」が開業し、駅前交通広場も整備された。西口南地区では、既に駅南側を横断する田島大牧線より南側の開発が終了している。また、同道路よりも北側の駅前一等地についても2022年(令和4年)完成予定として駅前広場の拡張や西口のシンボルとなるような公共施設を中心に、オフィス・商業施設も取り入れた27階建ての超高層マンションが計画されている。


 なお、2008年5月には旧浦和市の伝統産業であり、大宮の盆栽や岩槻の人形とともに、さいたま市の伝統産業に指定されている浦和のうなぎを記念して、漫画家のやなせたかしのデザインによる浦和うなこちゃん像が駅西口に設置された。2016年6月下旬からは中ノ島地下通路の建設工事のためコルソ・伊勢丹前バス降り場付近に仮移設されている。


 7時過ぎ、上野行きの列車をホームで待ってるとき背後に殺気を感じたので文彦は透明モードになった。昔のドラマで薬を飲むと透明人間になるってのがあったが、文彦は危険を感じると自動的に透明になる。

 殺し屋はキョロキョロしていた。列車に乗り込んだ殺し屋を文彦は尾行した。アメ横でブラブラしていた。

 商店街の看板は、上野駅側は「アメヤ横丁」であり、その他は「アメ横」と表示されているものがある。キャッチコピーは「対面販売で交渉次第で更にお安く!!」

 食品(主に魚介類や乾物)、衣類、雑貨、宝飾品などの店が業種ごとに集中している。特に年末には正月用の生鮮食品などを買い求める人たちでごった返し、普段は商店街の端から端まで歩いて十分程度のところ、この時期は数十分を要するほどの様相を呈す。この様子は報道番組やワイドショーを中心としてテレビやラジオで年の瀬の風物詩として中継される。年末が近づくと多くの店が正月用の食品を取り扱うようになり、洋品店など年末に特に売り上げが上がらないもしくは混雑で売り上げを落とすような店は閉店して間貸しあるいは一時的に食料品店に衣替えするため、通りは大きく様変わりする。


 魚介類などの生鮮食品を中心に扱う店舗が集まっている場としては他に築地市場とその周辺があるが、築地市場そのものは東京都の施設であること、築地市場は業者向けの卸売の量販を主体としていた(現在、卸売市場の機能は豊洲市場へ移転)。築地場外と呼ばれる小売店でも、基本的に値引き交渉をしないことが前提となっている。一方のアメ横は一般消費者向けの小売が主体で、時には店員との交渉次第で安く買えることが特徴である。


 年末には毎年1日あたり50万人程の人出があり、日本各地から観光客も押し寄せる(普段は一日10万人程度)。特徴としては他の日本各地にある商店街と違って地域密着型ではない。


 魚屋の店先でダミ声で鮭やマグロを売っている場合、たいてい値引き対象の品である。その他の魚に関しては表示どおりの価格で取引されたり、普通は客がいくら言い値を言っても相手にされなかったりする事がある。しかし夕方近くなると売れ残った商品のたたき売りも見られる。年末になると多くの店は正月用品が目立つようになる。用品や雑貨などを売っている店は休業し店先を貸す事もある。鮮魚などは普段の二倍近くで売りに出される事もあり、一方割引きもある。果物なども傷物に限り店頭に半値以下で並ぶ以外安くなることはない。化粧品など昭和時代に定価販売でメーカーの物は取引されていたが、アメ横では2割引で売られていた。


 その他、化粧品やブランド品など高価な時計や雑貨がガード下で売られている。昭和時代は偽物やレプリカ品が多かったが、現在はその影はほとんどなく本物志向になっている。

  

 文彦は何年か前に流行った『あまちゃん』を思い出した。『じぇじぇじぇ~』は当時の流行語になった。のんが演じる天野春子はアメ横のアイドルグループのアメ女に所属していた。


 殺し屋の母里洋介もりようすけには、寛子という恋人がいる。寛子はヘルパーをしていたが、薄給なので辞めてニートになった。母里とは佐世保のハローワークで知り合った。

 

 洋介は脇坂鎧亜に寛子を殺すよう命じる。

「気づかれたかも知れない」

 彼女がラブホのシャワールームに入ってる間に電話した。

 鎧亜の本業はプロボクサーだ。大して強くもないので収入があまりなかった。

 洋介の祖先は母里太兵衛もりたへいっていう武将だ。

 播磨国飾磨郡妻鹿の国人・曽我一信そがかずのぶの子として誕生。弟に野村祐勝がいる。妻は大友宗麟の娘。父・一信は播磨国で勢力を持っていた小寺氏に仕え、黒田職隆の与力的な立場にあったと伝えられる。そのため友信も永禄12年(1569年)、職隆の子・黒田孝高(如水)に出仕した。青山・土器山の戦いにて、奮戦の末一族24人(母里小兵衛・武兵衛ら)が戦死した母里家が絶えるのを惜しんだ孝高により、曽我一信と母里氏の女との間の子であったことから母里姓を与えられ、母里太兵衛となった。


 天正元年(1573年)の印南野合戦に初陣して以来、常に先鋒を務めて活躍した。天正6年(1578年)に織田信長に叛旗を翻した荒木村重によって主君・孝高が捕らえられた際に忠誠を誓った留守中連著起請文にも名を連ねた。また、この際に栗山利安・井上之房と共に有岡城に潜入し、孝高の安否を確かめた。その後も孝高に従って中国・四国を転戦し、天正15年(1587年)正月より開始された九州征伐では、豊前宇留津城攻めで一番乗りの戦功を挙げ、孝高の豊前入国後は5,000石(後に6,000石)を与えられた。


 文禄・慶長の役にも孝高の子・黒田長政に従って従軍。帰国後の慶長3年(1598年)には栗山利安・井上之房と共に宇佐神宮の造営に当たった。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは九州切り取りに動いた如水に従い豊後国で蜂起した義兄・大友義統を降伏させるなど、随所で類稀なる働きを見せ、後に長政が豊前中津18万石から筑前名島52万石に加増移封となった際には筑前鷹取城1万8,000石を拝領した(うち2,000石は息子・友生の拝領)。生涯に挙げた首級は実に76と家中で一番であった。


 慶長11年(1606年)、後藤基次が出奔した後、その領地に移されて益富城主となる。この頃に長政から「但馬守」の称号を与えられる。また、江戸城の普請に際して天守台石垣を担当し、それが完成した後に徳川家康からそのねぎらいとして刀を与えられたが、その書状の宛名が「毛利」と誤って記されていたため、長政の命により以後「毛利但馬守友信」を名乗ることとなる。


 慶長13年(1608年)より、桐山信行と共に長崎街道の冷水峠の整備を行う。


 慶長20年(1615年)6月6日死去。享年60。

 

 鎧亜とも交際していた寛子は、鎧亜が組織の金を不正に使ったと知ってしまったのである。洋介が雇った六角豪太ろっかくごうた増上寺童磨ぞうじょうじどうまという2人組の殺し屋によって、鎧亜と寛子は命を落とす。

 豪太たちはタバコの不始末に見せかけて2人を基地近くにあるアパートで殺した。

 童磨は餃子好きで、昔豪太と栃木に遊びに行った。宇都宮駅内の店で紫蘇餃子をたくさん食べていたが、豪太はそんなに好きではないのでレモンサワーや生ビールを飲んだ。


 長崎の天神館に身を潜めた洋介は、娼婦の芽郁と結ばれるが、芽郁も露天風呂で何者かに射殺される。

 芽郁が亡くなったことにより、インネンって妖怪が現れた。インネンは人間の死霊、生霊、狐を始めとする動物霊、河童、神仏といった人格的な霊的存在であり、人間に憑依して精神異常、内臓疾患、皮膚病などの心身の異常、さらには事業の不振などをもたらすという。これらの霊は憑依した者の血縁者やその家に関係したものであり、供養不足に対する要求や何らかの知らせのために害を成すのだという。


 インネンを祓うためにはホウニンと呼ばれる呪術師が必要とされる。ホウニンはインネンを自身に憑依させ、言葉を交わしてインネンの要求を受け入れることで祓除を行なう。ある主婦が腫瘍ができてなかなか治らないため、ホウニンのもとを訪ねてインネンの言葉を聞いたところ、家にいる多数の霊が供養を願っているということだった。この家の地には平氏の末裔が住んでおり、その墓が存在していたという。


 またある旅館の経営者が、病気の上に経営不振からホウニンに相談したところ、旅館の古井戸が水質汚染で汚されたために水神が怒って祟りを成したということであった。


 インネンによってもたらされる病気は病院などで治療することができるが、病気の根本的な原因となるインネンを祓う以外に完治はあり得ないともいわれている。


 文彦は南浦和にある別所ペリーと香美の住む公団ビルの3階に匿われていた。

香美は自殺をした野島宝介が母方の叔父だと明かし、包丁で文彦を殺そうとする。

「殺すんなら俺じゃなく、別所や蘇我を殺すべきだ」と文彦はダイニングキッチンで諭すが、香美は距離をずるずると縮めた。

 恐怖のため文彦は発狂する。

「アァァァァァァッ!!」


 さらに香美は仲間の万城目一輝と西浦和の廃ホテルに蘇我を拉致する。

 深夜にも関わらず蝉がジージー鳴いている。

「あの鼻は誰のなんだ?」

「自殺したがってた病人がいたから手伝ってやった。鼻はJリーグチップスのカードダスみたいなもんだ。関係ないけどさ、ラモス瑠偉のカードが3枚もあるんだ」と、万城目はメリケンサックを右拳に装着し、蘇我をボコボコに殴った。

 万城目は派遣会社メデューサを経営しており、ゼウスは最大の敵だった。

 しかしその頃、香美の正体が別所に露呈していた。香美は、叔父を自殺に追い込んだ別所の懐に飛び込むため、ペリーと結婚したのだ。


 しかし、香美は心を完全に鬼にすることはできず、ペリーを愛してしまっていた。同情する蘇我により、ペリーの体には触れていなかった香美だが、その日初めてペリーを抱擁する。


 しかし、ペリーが悪徳刑事の佐伯と廃墟へ再びやって来ると、腹を撃たれた虫の息の蘇我が痙攣していた。香美と万城目は銃で頭を撃たれて殺されていた。別所に香美の所在を尋ねられたペリーはこの場所を別所に教えてしまったのだ。佐伯は、ショックで廃人のようになったペリーを抱きかかえて廃墟を出た。





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