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「男湯に勝手に入ってきてととのいの時間を邪魔しておいて、挙句の果てに股間を見せられたから驚いてビンタってそれはいくらなんでも暴君すぎない? 俺のナッシュは何も悪くないのに……あと普通に痛くて泣きそう」
「ナッシュって何なの? 馬鹿じゃないの? 同年代の女子にそんな粗末なもの見せるなんて何考えてるの? 私じゃなかったら手が出てるわよ?」
「おいおい手は既に下されてるんだが? お前五分前の行動覚えてないの? ポロリの瞬間ものすごい勢いでビンタが襲ってきたんだけど」
「もうあんな金輪際思い出させないでくれるかしら? いきなり露出して見せつけてくるだなんて、あなたここを何だと思ってるの?」
「男湯だと思ってたんですけど! 場所考えたらおかしいのは圧倒的にお前だったんですけど!」
まぁいいわ、と蒼は咳ばらいを一つした。こっちは全然よくないけど。
俺たちは風呂から上がった後、銭湯入り口の休憩スペースまで移動していた。
いつもならば賑わっているはずのこの空間は不気味なまでに人がいない。ガラステーブルを模した水槽で飼われている熱帯魚たちも、心なしか隠れているように見える。
なんとはなしに壁の方を向いてみる。
銭湯らしい牛乳広告のポスターや、風呂の正しい入り方の講習ポスターが張ってあったりする。一般的な銭湯でよく見る光景だ。
しかし今までは気付かなかったポスターがある。気付こうとしなかっただけかもしれないか。
とあるスポーツの、公式戦認定施設。その宣伝ポスター。
「GTS」
ピクリ、とわずかに反応してしまう。
その反応を見逃さなかったか、先ほどまでの不機嫌な様子はどこへやら。
蒼はにんまりと笑う。くそ。可愛い。
「『輝ける刻の対抗戦(Golden Time Sports)』。サウナにおいて1ルーティンと計上されるその一連の流れをどれほど正確に出来るかの競い合い。以前は十分と定められていた時間は試合によって前後し、その調整含めてサウナへの情熱が求められる競技」
「知ってるよ」
そう、知っている。
俺はその競技を『知っている』。
おそらく目の前の女なんかよりも、ずっとずっと。
「最初は「なんてアホらしい競技なんだろう」と心の底から思ったわ」
「それについては多分皆同意だよ」
サウナを競技化なんて頭がおかしいとしか思えない。
最初この競技の公式化が話題になった際、度重なるサウナが脳にダメージを与える影響について真面目に議論されたものだ。
「でも私はこの競技が競技化されて初めての大会。試合を実際に見たとき、思ったの。あぁ……やっぱり頭おかしいわって」
「感想変わってねぇじゃねぇか」
でも、の接続詞の使いかた間違ってるって。
「こんな競技見るなんてアホらしいと親に言って帰ろうとしたとき、私はあの人の姿を目にした」
「……」
「あの人はサウナの中で……『ほほ笑んでいた』」
サウナルームは地獄、までは当然言えないが、過酷な環境だ。
吹き出る汗。止まったように進まない時間。絶え間なく襲ってくる熱。
サウナが苦手な人の気持ちは理解できないわけではない。当然、そんなところが快適なわけがないからだ。
「『ほほ笑む』なんて、ありえないと私は思っていたわ。だってあの閉ざされた空間は、そんな行為が出来る余裕なんてないはずだから」
でも、と。
彼女は続けた。
「そのほほ笑みを浮かべた彼はそのまま大会で優勝。彼がサウナ界隈における『皇帝』と呼ばれていることは、私は後から知ったわ」
「……あぁ」
それも、『知っている』。
自分自身、こうなりたいと思った。こうありたいと願った。
今は行方も知れぬ『彼』のことは、誰よりも知っている自負がある。
「彼はまさにサウナの
それは知らない情報。
「あれ? どこか違うところで聞いたことがあるんだよなぁその名前……お前適当言ってない? シンボル? ルドルフ? 俺が好きな某ゲームのキャラクターの二つ名言ってない?」
「何言ってるのかわかんないけど、事実こう言われているわ」
そうなの?
蒼は得意げに話を続ける。
「そしてあんたはサウナ後に入る、懐が広く深さはまさに海の如き、水風呂。その帝王。いいじゃない。帝王大海……いやタイカイテイオーと言ったところかしら」
「おいおい絶対影響受けてるじゃん。何? お前俺と同じゲームにハマってるわけ?」
「さしずめ私は女帝。天を進むが如く、輝ける歩を進める奇跡の不沈艦。エアクルーズ。あるいはゴールデンシップなんてどうかしら」
「確定だよ。やってるよね。あのアプリゲーやってるよね。絶対うなる大金を持って廃課金やってるよね」
どうかしら、じゃねぇよ。「フフン」って顔すんな。
何にせよ目の前の女子が俺にお願いしたいことは、やはりその類のことだと、感づいた。
「それで、俺を横浜中央のGTS部に勧誘ってわけかい」
「やっぱりサウナは思考をクリアに、洗練させてくれるというのは間違いないようね。半分当たりよ」
――半分?
半分、というのは、何が半分なのだ? 勧誘は合っていそうだが。
まさか……
「あんたの彼氏に、っていうことか」
「殺すわよ」
ジョークじゃん。
自分で言っておいてなんだが、こうもピシャリと言われると辛いものがある。
男子高校生だってみんなみんな生きてるんだということを、この女は知らないのだろうか。
「最初に言ったでしょう。帝王になりなさいって」
「あぁ」
言っていた。
言っていたが、意味合いがよくわからない。
「帝王ってなんだよ。アホにも分かりやすく説明してくれよ。秀才さんはこれだから困るぜ」
挑発めいた言葉に気を悪くしたか、若干先ほどよりも目つきを悪くして蒼がこちらを向く。
ごめんて。これ以上男子高校生を傷つけないで。
「サウナブームの全ての始まり。かの皇帝はその圧倒的カリスマで人々をまとめ上げ、この日本を世界の盟主へと君臨せしめた」
日本を転換させた一つの文書、「サウナ論文」。
その著者はその身に余る栄光を、富を、名声を得たことだろう。
「あまりに王道を進むその姿に、人は嫌悪すら覚えた。あまりに身勝手な大衆とはいえ、理解はできる」
しかし偉大なる指導者にも、どうしようもない反対意見があるのは世の常だ。
人は誰しもに好かれることは出来ない。誰しもに好かれる人を嫌う人がいるからだ。つまり蒼が言っているのは、そういうことなのだろう。
「だから今、二代目が必要なの」
偉大なる指導者、偉大なる思想を継ぐ、継承者。
「二代目」か。
「誰しもに愛される、この国の主人公。サウナの帝王。その王道を歩むに、あんたは相応しい」
「その手始めにGTS部に、ってわけか」
「私は海城家よ? 未来を担うあんたに、いくら積んでもかまわない」
「構えよ」
女子高生の身でそんな身の丈に合わない提案するんじゃない。
名家の御令嬢というのは金銭感覚というか、やはり世間と感覚のずれがあるのだろうか。
「私は金ですべてを解決してきたわ」
「初めて聞いたよそんな反感買ういきなりの自己開示」
一発で嫌われること請け合いの自己紹介だ。
「第一だ。俺のととのいの時間を邪魔している時点で、あんたの評価は俺にとって地に落ちているも同然だ。なぜなら、俺の嫌いな人間はただ一つ」
元来女子と話すのは得意ではない。初めて出会う美麗な女子に若干の緊張は抑えられない。
しかしそれ以上に、言わなければいけないことがある。
譲れないものがある。
「ととのいを、邪魔する奴だ」
即ち、ととのい。
人生の最優先事項に等しいこの悦楽を邪魔するなど、神への反逆と同義。
人の歩む道を邪魔する者に、話を聞く価値はない。
「……ふーん」
しかし蒼は意外なことに、気分を害されたような様子はない。
逆に、しめたとばかりに口角が上がっている。まるですべてが上手くいっていると言わんばかりに、邪悪で蠱惑的な笑みを浮かべている。
俺は訝し気に彼女を見やると、彼女の手に握られているスマホに目線がいった。
それは先ほどの光景。傍から見れば、俺が逸物を蒼に見せつけているような構図の写真だった。
「もしかしてなんですけど、先ほどの画像撮影されてました?」
サウナ以上の汗が俺の体を流れ始める。
こいつまさか、俺を強請ろうとしてるのか?
「えぇ。あんたの粗末なもの以外は。私が変態に見せつけられている様子が4Kでバッチリ撮影されているわ」
「さっきから粗末粗末って言わないでくれるか? 俺のアルバートは粗末じゃないんだが? むしろ立派なことこのうえないんだが?」
「さっきナッシュだったじゃない」
そんなどうでもいいポイントに食いつくなんて、なんて卑怯な奴だ。
男のシンボルが日々名前を変えていくことなんて別にこの場ではどうだっていいだろう(ちなみに昨日はしげる)。
「つーかその写真どうやって撮ったんだよ! こんな場所にカメラなんて……」
いや。
思い返せば、カメラこそなくともあそこに空間はある。
露天風呂スペースでやりとりは行われた。つまりやや上から撮られた角度的にも、その空間から撮られたと見て間違いないだろう。
――というか、普通に盗撮じゃねぇか。
「お前俺の愛する聖地で何してくれてんだ? 俺は絶対に戦うぞ。法廷で待ってるからな」
「言ったじゃない。私は金ですべてを解決してきたわ」
突然また反感を買う自己開示をしてきた。
「そして目的も選ばない女なの。この写真が学校、いいえSNSなんかに広まったら、評価が地に落ちるどころではないんじゃないかしら」
うぐ。
痛いところをつかれる。
学校の顔とすら言っていい「海城蒼」と、路傍の石ころに過ぎない「福良大海」。どちらの言うことを皆は信用するかと言えば、間違いなく前者だろう。
というか社会的に殺そうとしてくるこいつマジでヤバすぎる。
どんな大義があって人を殺そうとしてくるのだ、こいつは。
「この画像を広められたくなかったら、私の言う通りGTS部に入部しなさい」
「大海くん……」
いつのまにか蒼の後ろに立っていた老翁が、こちらをすまなそうに見てくる。
常連であるこの菊美湯の主人だ。何年も通っており、顔なじみ以上の関係になっているはずだった。
この菊美湯にはあり得ないほど閑散としていたのは、おそらくこの女に脅迫されて人払いさせられていたのだろう。
だが大丈夫だ。この主人とは互いが証人だ。協力してこの巨悪となんとか戦えばいい。
俺たちがリーガルだ。このイリーガルはなんとしても打ち負かさなければいけない。
そんな味方になるはずだった菊美湯の主人はこちらを見据えながら、札束で汗を拭いていた。
「メンゴ」
メンゴじゃねぇ。
金で買われてんじゃねぇか。
「なんて、卑劣な――!」
どこぞの囚われてしまった女騎士のような口調についなってしまったが、この場は仕方ない。
「あら、言ってなかった? 私は金で全てを解決してきたの」
打つ手がない。
「もう一度言うわ。GTS部に、入部しなさい」
「チクショォォォォォォ!」
この時をもって、俺の平穏な
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