第4話 ならば俺は、君を
酷え見世物だ。
それが、謁見の間での一件に居合わせた俺――ミハル・ハークにとっての隠し立てなしの感想だった。
衆目の前で若い女――それも、幼いとは言い難い立派な成人の女だ――を手酷く捨てるなんていうのは、まともな神経の奴がすることじゃない。
無論、ヴィリバルト殿下にも言い分はあるだろう。
なにせ、乙女の許嫁でありながら自分は添え物に過ぎぬのだから。
彼は剣の使い手であるリリアナ殿を、王都に釘付けにするためのくびきだ。
見た目通りに神経質で、傲慢な性格のくせして聡明な青年はご自身の立場を正確に思い知り……ついには我慢ならなくなったのだろう。
(だとしても、だ。堪った鬱憤を逆らえない立場の女にぶつけるなど……)
そこまで思索が及んだところで、俺は思わず笑ってしまった。自嘲からだ。
全てが終わった後に、内心でぐちぐちと憤ってみせたところで、何の意味もない。
そんなことが、少しでも彼女の助けになるか?
なればこそ、俺はマグダラの乙女の住まいへ足を運んだ。せめて心のうちに湧いた罪悪感を無くすためだ。
手酷く詰め寄られ、それでも笑みを浮かべるほど恋しい故郷へ帰る彼女のために、せめて激励の一つも言えたら。
そんな自己満足の気遣いは、泣き崩れる彼女の姿を目にした途端に雲散霧消した。
堪らず駆け寄った俺は、自分でも無我夢中だったと思う。
とにかく彼女の心を守るために無理筋なことも散々語ったが……そんな俺の言葉に、リリアナは笑ってくれた。
ああ、この娘は戦いたかったのだ。自らに課された使命に応えるため、ずっと自分にしかできないことを探していた。
ならば俺は、君をいっぱしの使い手に育て上げてやろう。
遠からず来る別れの時まで、彼女の心意気にかなうだけの男であり続けるのだ。
それが俺の、今までとこれからへの贖罪になると信じて。
――率直に言えば、その瞬間までのリリアナ殿は俺にとって『可哀想な女』の枠組みを出ない存在だった。
無論、鍛えてみれば想像以上の伸びを見せた彼女は、いまや俺ばかりか周囲も認める有望な新人騎士でもあったのだが。
ともかく、私人としてのリリアナ・エンデという人物に関しては……という話だと思って欲しい。
何しろ泣き顔を拝んでしまったものだから、どこか繊細で、ひたむきな女性という印象がついて回った。
粗末な御仕着せの装備を後生大事に使っている姿も、そうだ。
見ていられなくて、代々の聖剣使い御用達の店へ連れて行くのにかこつけて、少しでも気晴らしになればと少々めかしこませてみたりも、した。
そんな風に自分なりに目をかけてきたつもりの女性と、俺はいま有り得ない場所で遭遇していた。
「……ひゃっ!? ミ、ミハル様、どうしてここに」
それはこちらの台詞だ! 俺は目元を掌で覆い、ひとまず深呼吸をした。
4秒吸い、4秒息を止めて、4秒かけて息を吐く。……気持ちを調えて、もう一度目の前の庵を見る。
やはり変わらず彼女はそこに居た。
どういうことだ!?
わざわざ戸外にテーブルを出して、ティーセットを広げている。
彼女が座る椅子は来賓側に位置していた。そして主賓側となる席には……。
「ミハルさん、この子を叱らないであげて……」
我が母上が座っていた。
◇◇◇
早咲きのバラが絡み合う庭園の向こう側には、ヘルミーネ様の住み家がありました。
元は古い至聖所だったというそこは、火の気といえば小さなストーブと銀の燭台があるきり。
その他には寝具が有るばかりの、最低限の寝泊りしかできないような場所です。
どうして彼女がそんな場所に押し込められているのかは、ほどなくして察することができました。
彼女の御心は、強い悲嘆で埋め尽くされてすっかり弱ってしまっていたのです。
――ハーク邸宅の裏手、花園の奥から、夜ごと聞こえるすすり泣き。
私はその正体を突き止めてやろうと、ある日こっそり門扉を飛び越えて探索に出ました。
……その先で出会ったのが、ヘルミーネ様だったのです。
季節の折々で咲く花に囲まれた庵と、その主であるヘルミーネ様は、外界から慎重に隠されていました。
夢見るような瞳に、深い悲しみが湛えられています。彼女が病的な悲嘆のただなかにあることも想像に難くありません。
けれども、突然の闖入者である私へも彼女は非常に丁寧に接してくださいます。
「あの人は、私の『オーロラ』に備わった力を何よりも欲しがったわ。……でも、駄目ね。どうしても彼に力を渡すことが……愛することができなかったの」
昨日のお天気の話をするように、彼女はご自身の過去を教えてくださいました。
オーロラと呼ばれる聖剣の乙女に選ばれたこと、下級貴族の娘に過ぎなかった彼女の人生がそこから一変したこと、愛する人との出会い、そして彼の戦死の報と共に剣だけが彼女のもとへ帰ってきたこと……。
ハーク侯に嫁いだのは、彼女の想い人の喪も明けきらぬうちのことだったそうです。
聖剣の使い手という栄誉を求めて、彼は強引な手段で彼女を手に入れたのです。
けれども、結局は彼の思い通りにはいかなかったようです。
だって、『オーロラ』はミハル様が帯びる聖剣の銘なのですから。
「私、ミハルを産んだ時に思ったの。『ああ、この子のためなら死ねるわ』って。あの子が幸せなら、私も幸せだって……だから、あの子は死地に送られてしまう。全部、私のせいなの……」
母の愛が、彼を英雄にしたのです。
なんと数奇で悲しい運命なのでしょう。
ミハル様の背負うものの一端と、内面にある陰りの正体を、私はどうやら知ってしまったようでした。
彼がオーロラの乙女が誰なのかを公に明言してこなかった気持ちが、今なら少しだけわかる気がします。
剣の乙女は、その力の在り方故に内心を不躾に推量されたり、謂れのない苦言を呈されることも多いですから。
複雑な家庭の事情と積年の問題が既に垣間見えるんですもの、繊細なヘルミーネ様にこれ以上の心労をかけたくなかったのでしょうね。
「……それでも、ガールフレンドをとっかえひっかえなさるのはどうかと思いますけれど」
自分でも正体のわからないモヤモヤを持て余し、私はミハル様を見上げます。
「納得ずくの相手ばかりなんだがなあ……。しかし、君からも何か言うべきことがあるのでは?」
「う……、約束を破り、申し訳ありませんでした」
私は深々と頭を下げて謝罪します。
初対面からこちら、ヘルミーネ様のもとにお邪魔にならない程度に通い続けて、いまや深夜のお茶会が定期開催されております。
簡単な言い方をすれば、今や私とヘルミーネ様は仲の良いお友達です。
……ですけれど、一番初めの探索が興味本位で行ったことには変わりありません。
「……なに。君のおかげで母上も随分と調子が良さそうだ。今更目くじらは立てないさ」
ミハル様は、これまでより随分と雰囲気が柔らかく見えました。
お母上に関する心労が多少は軽くなったからでしょうか? 彼の横顔を眺めながら、私は何故か「こちらを向いてくださらないのかしら」と考えております。
馬上での会話がひと段落つき、沈黙したまま歩みを進めます。
私たちは、ただいま行軍の真っ最中でした――魔物の群れが発生する兆しありと、東部の監視台から報せが届いたためです。
明るい空色の旗印をかかげ、私たちは街道沿いに一路東へと移動しておりました。
この大陸の東の果ては、常に霧が立ち込めた不毛の地です。なにせ、霧の向こう側から恐ろしい魔物の群れが定期的に現れるものですから。
大陸東端の魔物の巣窟、通称を『魔の霧』というその場所こそがサンドールにおける最大の急所であり、そして聖騎士団の戦うべき仇敵でした。
聖騎士団は少勢で多数の敵を撃滅させる戦闘を重点的に訓練しておりますが、その理由もこの地に関わります。
本来、私たち聖騎士団は人を相手にはしないのです。
知恵持たぬ魔物の群れが国内に浸透しないための盾となること……それが、聖騎士団の絶対の使命でした。
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