第3話 私ってけっこう可愛いんですわね

「あら、あら……まあ、いやだわ」


 千切れた革のベルトを前に、私は途方にくれます。


 その日も私は鍛錬に勤しんでいました。

 けれども、ふとした拍子にマグダラを吊るための剣帯がぶつりと千切れてしまいまったのです。


 手入れを怠っていた訳ではありません。

 ですが、成長期も含めた十年以上をこの装備で乗り切ってきました。

 もう寿命だったのかもしれません。


 それにしても頭の痛いのは、私自身の懐具合についてです。


 サンドールに女性用の装備というものはありませんから、必然的に全てが特注品となってしまいます。

 手元の金銭は心もとないですが、なんとかしない訳にはいかないでしょう。


 ミハル団長に事情を話し、今日の鍛錬は休ませてほしいと伝えると、彼は首を横に振りました。


「騎士団の中には小柄な奴も居る。当座はそいつから現物を借り受けて凌ぐといい。――その代わり、明日は予定を開けておけよ」


 小柄な殿方から借りる。その手がありましたわね! と私なりの大発見にウキウキしながら、早速細身で幼げな騎士の方に声を掛けました。

 使い古しで構いません、と伝えたのですが、大変に恐縮しながら新品の剣帯を渡してくださいました。

 なんだか悪い気がしますわ……故郷へ戻ったら、彼に駿馬の一頭も融通できないか検討してみましょう。


 そんなことを考えながら鍛錬に励んでおりましたものだから、ミハル団長の言葉の後段、『明日は開けておけ』という指示は私の頭の中からすっぽりと抜け落ちてしまっておりました。


 ですので、翌朝になって彼が部屋のドアをノックした時、私は物凄く驚いてしまったのです。


「……お前、忘れていたな」


 鍛練用の動きやすい服装で出迎えた私に、ミハル団長は呆れはてた顔です。


 そんな彼は、暗い色合いのコートとベストという格好をしていらっしゃいました。

 首元に合わせたスカーフだけは深いワイン色なのが目を惹きます。


「……申し訳ございません! その通りですわ! ですけど、そもそも街歩きできるような服を、今の私は持っておりませんので……」


 残念ですがお断りしようとするしかありません。

 けれども私の前に、ハーク家づきのメイドが大きな紙箱をいくつも抱えて現れます。


「ひとつ、貸しな」


 どういうことでして!? いたずらな笑みを浮かべたミハル様を残して、老メイドが慌てふためく私を部屋の中へ引きずり込みます。


 小一時間後。そこにはクリーム色のデイ・ドレスと絹織物のショールを身に着け、薄化粧を施した私が居りました。


 ドレスはいささか古い型でしたが、傷みや染みはどこにもありません。ハーク家はミハル様と家長である御父上のふたり暮らしですから、このような衣装が保管されてあったのは意外なことでした。


 それにしても……と、メイドが捧げ持った鏡を覗き込みながら私は思います。

 そこには若い娘が映し出されています。丁寧にブラシをかけて、きれいに結い上げた銀髪は日の光を反射して輝き、吊り気味の目元は長い睫毛で縁取られています。瞳は夕映えの空を映したような、わずかに金の混じった紫色です。


(こうして整えると……私ってけっこう可愛いんですわね。新発見ですわ)


 花飾りのついた帽子を被り、顎下でリボンを結べば準備完了です。

 私が勇んで玄関ホールまで出向きますと、ミハル様はしてやったりという笑顔で出迎えます。


「『馬子にも衣裳』とか仰いませんの?」


「まさか。よく似合ってる」


 ……えへへ。思わず照れ笑いしてしまいました。

 正面から誉め言葉が返されるとは思わなかったものですから。急に口数が少なくなった私に、ミハル様は怪訝な顔をします。



 彼がエスコートしてくださった先は、王都の中心部に店を構える馬具工房でございました。


「わぁ……!」


 ショーウィンドウに並ぶ鞍や頭絡の数々に、私は歓声をあげました。故郷の辺境領は馬産地でもありましたから、こうした品の良し悪しも多少はわかります。


「騎馬の鞍でも新調なさいますの? でしたらこっちの磨いた黒いのとかが……ああ、チェスナット色も良いですわねえ。あの子の闇夜のような毛並みによく映えると思いますけど」


「お、確かに悪くない。……いや、そうじゃなくてだな。今日の目的はお前の装備だろ」


 彼が声をかけると、工房の奥からご店主がやって来て応対してくださいます。


 聞くところによればこの馬具工房は伝統的に、聖剣の使い手が用いる装備の制作を一手に引き受けているのだそうです。

 聖剣の権能はどれも特殊なものですから、細かい要望を聞き取りながら制作を進める必要があるということでした。


「私、全然知りませんでしたわ……」


「王侯たちに持て余されていただけさ。君の責任じゃない……よし、15年分の鬱憤晴らしに思いっきり格好いいのを上から下までこさえてもらえ! どうせ軍装の費用は国庫持ちだ!」


 そちらも初耳でしたけど!? と伝える間も無く、私は女性職人の方に連れられて工房の二階へ向かいます。

 身体のあちこちを測られて、好きな色や花を問われて答えて、嵐のような時間が過ぎ去り……私はようやっと解放されました。


 一階の店舗に繋がる階段を下りていると、カウンターでご店主と話し込むミハル様の姿が目に入ります。


 鍛え上げた身体といい、すっと背筋を伸ばした立ち姿も非常に凛々しいものです。それでいて顔立ちは甘く、暗褐色の髪を長めに整えて横に流した髪型が彼の持つ雰囲気を引き立たせておりました。

 ヴィリバルト様は金髪碧眼に青白い肌をした、お人形のような方でしたが、……彼とはまた違った美しさがそこには宿っておりました。


 詰所でバカ笑いしたり、くだらないジョークを飛ばして見せたり、大好物のシチューのお芋を多めで盛ってくれと厨番にゴネてみせたりする姿さえ見せなければ……ミハル・ハークという人物は、ただのスマートな美青年のようなのです。


 すこし寄り道して、散策しながら帰ろうとミハル様が言いました。


 騎士団のお仕事はよろしいのですか? と聞いてみたら、「たまには息抜きも必要ってことさ」と答えてくださいます。


 王都を南北に貫く河が穏やかに流れるのを眺めながら、レンガ造りの道を歩きます。

 そよぐ風が水面に小さな波紋を描き、川岸の葦をさやさやとかき鳴らす様を、日の名残りが照らしておりました。

 飴色の光がすべてを甘やかに包み込み、優しく抱きしめているようです。


 隣り合って歩きながらも、私たちは言葉少なです。けれども、気まずさはちっともありませんでした。

 この人の隣なら、私は頑張らなくても大丈夫。そんな風に思えたからです。


 ……けれども私は、彼に聞きたいことが沢山あります。

 花園の奥には、誰が居るの? このドレスの持ち主は誰? ……どちらも、同一人物なのですか?

 時々どこか思い詰めた顔をなさるのはどうして?


(どうして私に、こんなに親切にしてくださるの?)


 けれども口に出すのは、はばかられました。

 だって予想はついておりますもの。私は非公式ながらも聖剣を扱えて、ミハル様は聖剣使いの大先輩です。


 ミハル様の初陣は12歳。それから王都の外でずっと戦ってきたと聞き及んでおります。


 ですからこれも、騎士団でそこここで目にする関係……先輩が、至らない後輩へ諸々のお世話を焼いてくださる一環なのだと存じておりますわ。


 そのくらいでしたら、私もわきまえておりましてよ。

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