第2話 思えば、ここまでは良い雰囲気だったのです
本当は故郷へ帰りたい。王族からの求めでもありますし、私自身も辺境領が懐かしくて仕方ないのです。
けれども、向こう半年は街道が開通することも無いと聞きました。
でしたら仕方ありません。帰れないなりに、王都での身の処し方を考えねば。
熱いコーヒーをいただきながら、私はミハル様へそう話しました。
今は彼に連れられて、聖騎士団の詰所におります。
事務官の皆様が慌ただしく行き来したり、遠くからは兵士の皆様が訓練する掛け声も聞こえてきました。
ミハル様には「むさくるしい場所で申し訳ない」と言われましたが……私、活気のある場所は大好きです。
辺境領は武辺者の土地ですもの。
こうした活力に満ちたざわめきを聞いておりますと、お父様が居並ぶ配下の皆様を激励する様が思い出されて、とても懐かしいです。
ミハル様は向かいのテーブルにつき、こちらを見守ってくださっていました。
聖騎士団の団長に弱冠26歳で推挙された、たいへんに優秀な方だとか。
それなのに、私のような者にも気さくに接してくださいます。……きっと、優しい方なのでしょう。
錫のカップから両手へ伝わる熱が、私の心まで温めてくださるようでした。
「これは提案なんだが……」
「なんでしょう?」
何事かを考え込んでいた様子のミハル様が、不意に口を開きます。
「騎士団に、入りませんか?」
思わぬ提案に、私は目をぱちくりと瞬かせました。
願ってもないことでした。だって、ずっと戦いたかったのです。
マグダラに選ばれた時から、自分にしかできない事を成すべきだと、思い定めていたのですから。
「……でも、どうして?」
「だって、素質が勿体ない。コンヴァリンカ伯といえば王国屈指の猛者で、あなたは幼い頃であれその薫陶を受けています。……なにより、聖剣に選ばれたのですから」
いや、とミハル様が言葉を継ぎます。
「女性にこんな提案をするのは、馬鹿げていると思われるかもしれませんが――」
「思いません。ここに居たいです。居させてください」
勢い込んで返事をする私に、ミハル様はくすくすと微笑みます。
「良いとも、歓迎するよ。……マグダラの乙女、リリアナ殿よ」
私たちは堅く握手を交わしました。
……思えば、ここまでは良い雰囲気だったのですわよねえ。
私はため息をつきます。
「こら、剣を杖代わりにするな!」
ミハル団長がそんな私をどやしつけます。
その後の彼は地獄の鍛錬を課してくる、鬼のような人物へと変貌しておりました。
申し遅れましたが、マグダラの権能とは、使い手の身体を頑健に、俊敏に、力強くすること。
そして、負傷がたちどころに治癒するというものです。
ミハル団長はこうした権能についての知識を持ち合わせており、使い手である私の、いわば『死にづらさ』を徹底的に悪用することに決めたようです。
「明日の正午の鐘が鳴るまで、走り続けろ。そう、要するに一昼夜だ。……初回なので距離やタイムは不問としてやる」
これが初日のお言葉でしてよ?
次の日は徹底した型稽古。次いで新兵を相手取った模擬戦闘が始まりました。それも、私一人に対して新兵の皆さまが総当たりという形式です。
私以外の全員にシードがある表を見せられた時は書きまちがいかと思いました。
まあ、やりましたけれども。できちゃいましたけれども。
「そろそろ人間を辞めてしまいそうですわ……」
「おお、まだ
これ以上は肺が破裂して、手足も千切れてしまう……と思った次の瞬間には痛みも苦しみも和らぎます。
今までは周囲の目を盗んで鍛錬にいそしんでいましたから、こんな超自然的なまでの加護があると、はじめて知りました。
日々を送るうち、いつしかどれだけ動いても息切れせず、剣筋も寸分違わず安定し始めます。
その頃には、ミハル団長じきじきに手合わせしてくださる機会も増えました。
「――ッ!」
「……これまで」
木剣の切っ先が、眼前にビタリと突きつけられます。今回も私の負けです。
こちらは抜き身のマグダラを使っておりますのに……。
私は彼の剣帯と、そこに吊るされた得物を恨めし気に見やります。
金細工が施された鞘と柄に、オパールが印象的に配された、とても美しい剣です。
ミハル・ハークといえば、現在のサンドールで唯一の聖剣使いとして名高いお方です。
……私も聖剣の使い手ですが、公には頭数に入っておりませんもので。
(いつか、抜かせてやりますわ。……『戦塵のオーロラ』を!)
「そんな熱烈に見つめてくれるなよ。焦げてしまいそうだ」
私のぎらぎらとした視線を受けて、ミハル団長は肩をすくめてみせます。
そういった言い回しをされるとあまり良い気分ではありません。
彼の場合、冗談では済まないからです。
改めて近くで接していると……そして、騎士団に属する他の方々とも話す機会がございますと、嫌でも知ってしまいます。
ミハル団長は、それはそれは女癖が悪くていらっしゃいました。
まるで服を着替えるように、毎夜のごとく連れ歩く女性を変えるのだとか。
オーロラの乙女は、そんなガールフレンドの中の一人なのでしょうが……愛する殿方のそんな蛮行をよくお許しになるものです。
私はため息をついて答えました。
「いつか、真剣で手合わせいただけるよう、精進しようと思っただけです」
「そりゃ難しいだろうな! ――いや、君の能力の問題じゃない」
なんですって!? と闘志を燃やす私へ、ミハル団長は弁解するように付け加えます。
「俺のオーロラは、ちと意地の悪い権能を持っていてな。手加減しようにも、できんのだ」
……やはり小娘扱いしてらして? だったら、いつか本気を出させてやるんだから!
みていらっしゃい!
団長の言葉に、私はひそかに握りこぶしを固めました。
こうして騎士団に身を寄せた私でしたが、住処を失ったことに変わりありません。
当初は騎士団の新兵用の寮だって、どこでだって寝泊りする気概でおりました。
けれども、仮にも辺境伯令嬢にそんなことはさせられないと……いえ、『君がうろちょろしていると他の者が気を使うから』とミハル団長に諭されてしまいました。
その結果、今の私は王都郊外のハーク家の邸宅、つまりはミハル様のお家に間借りさせていただいてます。
貸し与えていただいたのは奥まった一室。窓からは裏庭が見えます。
芝生も植木もよく手入れされていて、華やかとまでは言い難くとも、荒れ果てた印象はありません。
固く閉ざされた鋳鉄の門扉の向こうは花園となっているようです。
扉の隙間から季節の花々が咲きこぼれている様子が見えました。
現在の家長であるハーク卿はご高齢のため、直接のご挨拶もできないままなのが残念でしたが……。
私がそのことを食事の席で詫びると、ミハル団長は「気にしなくていい」と仰いました。
それに続けて、こうも申します。
「どうせ父息子が暮らすきりの男所帯だ。部屋は余っているし、気楽に過ごすといい。……ああ。だけど一つだけ。裏庭の奥へは、決して立ち入らないよう」
住まわせてくださるにあたっての約束事といえば、その一つきりです。
……ですが、そのたった一つの約束を守ることが、日に日に難しくなってゆくのです。
なにしろ、花園の奥からは女性のすすり泣きが聞こえて来るのですから。それも、毎晩のように。
恐らく、ハーク家の皆さまは気付いておられないのでしょう。
私はどうやら、マグダラの権能のおかげで目も耳も良いのです。
そんな私の、鋭い聴覚でようやっと捉えることができるほどの、かすかなかすかな涙声でした。
なんとも哀しげで、胸が締め付けられるようです。
その声を聴いていると、どういう訳だかミハル団長の顔が思い浮かびます。
ふとした時に見せる、何かを考え込むような、思い詰めたような、そんな横顔を。
直感的に思いました。きっと、この哀切な声と、ミハル団長の陰りには、何か繋がりがあるのだと。
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