婚約破棄!?……良いんですの?やったぁ!

納戸丁字

第1話 踊ってしまいたいような気分です

「リリアナ。君との婚約を今日限りで破棄する。すみやかに郷里へ帰還するように」


 わたくしに婚約破棄を申し渡した時ですら、ヴィリバルト様はこちらを見ようといたしません。ただの一度もです。


「まったく、せいせいする。お前のような者とのよすがが、これでようやく切れるのだからな」


 彼の視線は私の隣をすうっと横切ってはるか遠くに注がれます。それもいつもの事でした。


 そんな態度を『殿方らしくもない』などと責めるつもりはございません。

 それは『淑女らしくない』という言葉、私がいちばん厭な言葉の裏返しに過ぎませんもの。


 ですが……率直に申しましょう。私はいま、とっても、ワクワクしております!

 だってこれからは、懐かしい故郷で好きなだけ剣を振れるのですから!


 嬉しさにまかせて踊ってしまいたいような気分です。

 手足を伸ばして、髪が乱れるのも構わずに……。

 このホールの真ん中でくるくると回ってみせたらどんなに気持ち良いことでしょう。


 ……楽しい空想にふけっておりましたら、危うく実行に移しかけました。

 どうにか踏みとどまりましたが、利き手の指先がぴくりと動いてしまいます。


「――ヒッ!」


 その瞬間、ヴィリバルト様が息をのんで後ずさりします。

 こんな場所で抜剣すると思われたのでしたら、少々心外です。


 剣といえば、そういえば……。


「……あのぉ、聖剣は返還しなくてもよろしいのですわよね?」


「当然だろう! あんな邪剣、見たくもない!」


 そういうことでしたら喜んで!


 私は腰に帯びた剣……『護剣マグダラ』はそのままに、宮廷式の礼カーテシーをします。


「……まあ良い。マーガレットのおかげで、長年の歪みがようやく正されたのだから」


 華奢なおとがいをつんと逸らし、弱冠19歳の王太子殿下が持てる限りの威厳を込めて言い放ちます。


 彼の傍らには輝くような美少女が寄り添っていました。

 ヴィリバルト様は彼女の手を取って熱烈な視線を送ります。新たな乙女はにっこりと微笑みかえします。すっかり二人の世界です。


 これ以上お邪魔するのも悪いですわね。帰りましょう。


 くるりと背を向けたのと同時に、オパール色の剣を捧げ持つ殿方と目が合いました。


 騎士団長の……ミハルとかいうお方です。ああ、眉をしかめられてしまいました。


 振り向いた瞬間、私は知らずのうちに唇を笑みの形にしてしまっていたようです。だって、嬉しかったんですもの……。


 けれども厳粛であるべき謁見の広間ではしゃいでしまったのです。こればかりは慎みがないと叱られても仕方ありませんわね。


 重厚で巨大な扉をくぐり、私はひとり謁見の間を後にします。

 初春の朝の、きりりと冴えた空気の中を足取りも軽く歩いてゆきました。


 ……そういえば、今日は私の22歳の誕生日です。

 日取りに特段の意図はなさそうですが、思わぬプレゼントをいただいてしまいました。


 と、いうことは。この聖剣とのお付き合いもそろそろ15年め。


 忘れもしません。あれは7歳の、初夏の日の出来事でした。辺境伯の末娘である私は、父に連れられて生まれて初めて王都へ赴いたのです。


 『これはと思う剣があったら、手に取ってみなさい。

 持ち上げられるようなら、持ち帰ってきなさい』


 幼き日の私はそう言い含められ、壮麗な大聖堂へ足を踏み入れたのです。

 英雄たちの叙事詩をかたどったステンドグラスが壁に、床に、立ち並ぶ美しい剣たちに、色鮮やかな陰影を投げかけておりました。


 ……けれども、キラキラで、ピカピカすぎて、子供の目にはまぶしすぎました。


 ですから私は、適度に心地よい暗がりにもぐりこんで……その先の小部屋で紫色のきらめきと出会ったのです。


 その剣の柄には紫水晶が嵌め込まれていました。私の目の色とそっくりで、一目でお気に入りになったのです。


「おとうさま! この子、リリとおそろいです!」


 長剣を引きずってきた私へ、お父様はあらんかぎりの誉め言葉をくださいます。


 その時、周りの大人たちが不穏にざわめいていたことなんて、気付きもしませんでした。


 その聖剣が『護剣マグダラ』という呼び名を持つこと。

 私たちの国を守護する十二振りの聖剣の中でも、とりわけいわくつきの代物であること。


 それらを知ったのは、もう少し後のことです。



 サンドールに伝わる十二振りの聖剣には、それぞれ特異な力が宿っています。

 剣の乙女とは、その力を引き出す存在でした。


 なにより重大な事は、聖剣を使えるのは、剣の乙女が殿方に限られるということです。英雄が活躍する影には、かならず乙女たちの存在がありました。


 かくして試しの儀式で見事聖剣と心通わせた私、リリアナ・エンデ=コンヴァリンカも、そんな剣の乙女の一人に仲間入りしたのでした。

 えっへん。


 ――ところが私に限っては、いささか事情が異なりました。


 マグダラと心通わせる乙女は、英雄を作らないから。代わりに、彼女自身が剣の力を引き出すのです。


 乙女本人が戦うための剣。それが、マグダラの在り方でした。


 これはサンドールの文化では大変気まずく、嫌悪感をもたらす事でした。

 戦いとはあくまで男の仕事なのです。女に必要なのは、彼らを癒して抱きしめる行為です。

 間違っても、みずから戦うことではありません。


 私とマグダラは、王都の貴族たちには忌まわしい存在でした。

 けれども、サンドールにおよそ20年ぶりに現れた剣の乙女でもあったのです。


 王様は7歳の私を、当時4歳だった王太子殿下の許嫁にしました。いちばん新しく、そして希少な乙女を手元に留め置くためです。


 ですから、私とヴィリバルト様の婚約は最初から私を王都に据えるためだけのもの。


 有事への備えの一環に過ぎませんでした。


 そんなわけで、私は7歳で故郷を離れて王都で暮らし始めたのです。


 鍛錬をすれば眉をひそめられる。

 さりとて安穏と過ごせば護国の勤めはどうしたと誹られる。


 ……なんというか、面倒くさいことの多い生活だったのは否めませんわね。


 ですが、辺境伯であるお父様はお手紙を沢山書いてくださいました。

 お忙しい中でもかならず時間を作ってくださって、私と故郷の家族たちの繋がりを断たずにいてくださいました。


 ああ、故郷はそれでも雪解けにはまだ遠いのかしら。白狼山はまだ雪の冠をいただいて私を出迎えてくれるはずです。


 お父様にはずいぶんと寂しい思いをさせてしまいましたから、これからは存分にお支えしなければ。


 辺境領には厳しくも美しい自然と、温かい血が通った人々が存在します。

 既に私の魂は生まれ故郷に囚われていました。帰りたくて帰りたくて仕方ありません。


 がらんとした邸宅をあちこち歩き回って荷物をまとめます。


 私には宮廷内の小さな別邸が下賜されており、そこを住まいとしておりました。

 ですが、婚約破棄の件が知れ渡ってから……いつの間にか召使たちは姿を消しました。


 ですが、私はお料理以外の家事なら大抵はこなせます。

 ……食事に関しては保存食でしのげばいいのです。

 どのみち、数日もすればお父様が、迎えをよこしてくださいます。


 そう思っていたのですが、待てど暮らせど迎えは来ませんでした。


 しびれを切らした私は、最低限の持ち物を愛用の革トランクに詰め込みます。

 こうなったら先に、身一つで帰ってしまいましょう。

 荷物は後で回収してもらえばいいのですから。


 ですが、勇んで向かった乗合馬車の発着場で、私はとんでもない事を知らされました。

 辺境領へ続く唯一の街道は、落石と土砂崩れで寸断されておりました。


 仕方が無いので邸宅に引き返しますと、今度は往来に放り出された家財道具と、今まさに取り壊しが始まった邸宅が私を出迎えます。


 どういうことでして!?


 ……きっと、私の動向をひそかに監視する方が居たのでしょう。

 鞄ひとつ持って出ていったから、残りは不用品と判断したのですかね?

 確かにヴィリバルト様は『せいせいした』と仰っていました。

 こんなにも迅速に、縁を切りたかったのでしょうか。


 ……あるいは。

 彼に寄り添う新たな乙女への、彼なりの筋の通し方かもしれません。


 つい先ごろ見出された、平民初の剣の乙女。彼女が心を通わせた聖剣は『燦然剣アレクサンドラ』でした。

 サンドールの国主が代々振るう、最強の聖剣と言われております。


 王太子様が結婚なさるのに、これほど相応しい方はいないでしょう。


 つややかな栗色の巻き毛と、潤んだ大きな瞳と、さくらんぼ色の唇をした、可憐な女性でした。

 金髪碧眼のヴィリバルト様と並ぶと、まさに絵画のごとく調和しているのです。


 その美しい様子は、二人が結びつく正当性を表しているかのようでした。


(あ、いけない)


 今座り込んだら、二度と立ち上がれない気がします。

 必死に見ないふりをしていた悔しさや、悲しみが全身から噴き出して、私を押しつぶそうとするのです。

 ぎゅぅ、と喉が鳴ります。本気の嗚咽というものは、なんと可愛げのない音がするのでしょう。


 マグダラに惹かれる女は欠陥品だ。と、さる貴族の方から面罵されたこともありました。

 自分しか愛せないから、権能も我がものにしかできないのだろう、と。


 でも、愛するって何なのでしょう? 何を想い、何を成せば許されるのでしょう。

 誰もそれを教えてはくれないのに、ただ『愛せ』と迫られるのです。


 私は、私が好きで、大事です。

 リリアナという女は、大好きな両親が、大切に扱ってくれた人物なのですから。


 それがいけないことなら、私は。私は……。


 暗い淵に落ちかかっていた思考が、言葉を結ぶより前に……私の頭上に影がかかります。


 顔を上げると、ひどく悲しげな表情の殿方がおりました。

 いつの間にか地べたにうずくまる私と目線を合わせるため、その場にひざまずいておりました。


 ああ。この方は、確か謁見の間にも居た……騎士団長のミハル様。

 きっちり撫でつけていた暗い褐色の髪の毛が今は乱れて、ぱらぱらと額に落ちかかっています。


 明るい金茶の瞳に、青や緑の欠片がきらめいておりました。

 そのためでしょうか? 彼の顔つきには、どこか謎めいた雰囲気があります。


 この間の一件を、直接叱りに来られたのかしら?

 私が疑問に思っておりますと、彼はその場にすっくと立ち上がりました。


 そして。


「……歩けるようなら、場所を移しましょう。ここはあまりに寒々しい」


 迷うことなく私へと、右手を差し出してくださったのです。


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