第2話 走馬灯
液体の中に漂っている気分だった。
息は苦しくない。
そもそも呼吸はしているのだろうか?
最期にロゼラインが聞いたゾフィの絶叫。
「お嬢様、なんて早まった真似を!」
この言葉で侍女のゾフィは、ロゼラインが自分で毒を飲んだと思いこんだことがわかる。
でも違う!
もっともそれをロゼラインが誰かに伝えるすべは絶たれていた。
そしていま、光差し込む水の中ような空間の中で、ロゼラインは公爵令嬢として生まれ、王太子の婚約者として厳しい教育を受けてきた短い人生が映像のように切り替わるのを見ていた。
後継ぎの男子以外関心のない公爵家の中で、長女であるロゼラインが価値を認められたのは、王太子の婚約者に選ばれた九歳の時からだった。
両親にとっての「大事な娘」は、あくまで未来の王太子妃としての役割をそつなくこなす者のことを言った。厳しい王太子妃教育においてどれほど至らぬ点を指摘され、罵声を浴びても、両親であれ他の誰であれ、泣きそうな彼女の気持ちをいたわる者など誰一人いなかった。
ロゼラインを貶める役割を積極的に果たしていたのがロゼラインの実母であった。
若いころから美貌を誇り、それでノルドベルク公爵の正妻の座を射止めたロゼラインの母は、子を持ってなお自分が場の中心にいないと気が済まない性格であったのだろう。娘が王太子の婚約者に選ばれたのも自分を飾るアクセサリーの値打ちがあがったということしか考えず、娘が背負う重圧への気遣いは皆無であった。
娘が美しく成長し王太子妃教育の効果もあって皆がほめそやす貴婦人に育てば、自分より注目されほめられるようになったのが気に入らぬのか、ここぞとばかりに欠点をあげつらい、それを「娘のため」と強弁してはばからぬ人であった。
未来の夫となる王太子は、ただ機械的に未来の妻であるロゼラインに接しているだけであった。
冷淡な人々に囲まれてなおロゼラインは、厳しい試練に耐えればいつかは彼らにもわかってもらえる、と、根拠のない期待を抱きながら日々の業務にいそしんでいた。
正確に言うと、根拠がなくてもその「期待」にすがるしかできることがなかったのだ。
そのうえでの今回の「婚約破棄宣言」である。
すべての「努力」が虚しくなった。でも自分で命を絶ったりしない!
誰が毒を?
サルビア嬢、私がいなくなって一番得するのはあなたね。
パリス様、そんなに私が邪魔だったのですか?
弟のエルフリード、あなたは母が私を貶めるのをいつも聞いていたからなのか? 私みたいなのを妻としなければならぬ王太子殿下がお気の毒だ、などと言っているのを私は耳にしたことがある。
お母様やお父様、王太子妃そしていずれ王妃になる娘でなないなら、もういない方がよかったのですか?
他にも近衛隊で幅を利かせているヨハネス・クライレーベンは王太子にべったりで、彼への忠誠を示すためなら何でもやりそうな人物である。
政治的にロゼラインを排して得をする人間はいくらでも存在した。
未来の王太子妃の周囲に政治的な思惑を持つ人間が集まるのは世の常だろう。
彼女の不幸は、本来ならその中で彼女を守るべき防波堤となってくれる家族や夫となる人物ですら、自分を殺害する動機があると、彼女自身が推測できる環境にあったことだ。
なんだかもうどうでもいいや……。
ロゼラインは力なく水の流れに乗るようにその身をゆだねた。
そして彼女の人生の走馬灯が終わりに差しかかった時、別の人間の記憶が横から入ってきた。
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