第46話 真実を聞く

「えっと……まず、どうしたの?」


 尋ねると、神奈はバツの悪そうな顔でそっぽを向く。我に返ったのかもしれない。


「どうしたのっていうか……えっと……」

「ゆっくりでいいから」

「あの、わたし……その、あのね、わたし、援助交際とか全くしてないの」

「そうだったんだ……」


 ほっとして、息をつく。


「あんなところを歩いていたのは、たまたまで……たまたまっていうか、必然なんだけど偶然、みたいな」

「は、はぁ」


 必然だけど偶然、とは……?

 かなりよく分からない返答の仕方に、思わず疑問の声が漏れる。


「その、元々会った目的はそういうものじゃなかったし、そもそも会う予定の人も男子高校生のはずで、おじさんじゃなかった」

「うん」

「えっと、えっとね……わたしの家、昔からすごく厳しくて、厳しいっていうか、なんていうか」

「うん」

「わたしには……」


 そこで神奈一度言葉を切った。

 ハクハクと口を動かし、そしてまた閉じる。その動作を2、3回繰り返した後、意を決したように呟いた。


「たぶん、わたしには、あんまり興味がなかったの」


 蚊の鳴くような、か細い声。

 その声の震えに、きっと彼女のすべてが詰まっていた。


「だから、かなぁ。でもわたしの成績だけにはすごくうるさくて、最初は頑張ってたんだけどね。でも頑張ってたって褒められるわけじゃないし、だから、なんて言うか、疲れちゃって」

「そうだったんだ」


 たまに彼女の言葉に相槌を打ちつつ、耳を傾ける。

 それと同時に、心の中のどこか――自分でも触れられないであろう部分がじくじくと疼いているのを感じていた。


「話す人が欲しいって思ったの。クラスメイトでもない。誰も知らない自分をさらけ出せる場所が欲しかった。それでSNSを初めて、始めた初期からずっと仲良くて、わたしの事情もよく知ってる人に、昨日会おうってなって」

「それがあのおじさんだった?」

「おじさんっていうか、男子高校生の予定だったの。少なくともSNSではそう振舞ってた」

「あぁ~、なるほど」

「だから実際の人もそうなんだろうって思って会いに行ったらおじさんがいて。だけどずっとわたしの話を聞いてくれていたし、信用できる人なのかなって思って。話を聞いてあげるから、近くの休める場所に行こうって言われて着いていったらあんなことに」

「そういうわけだったのか……」


 やっと納得がいった。

 おじさんとラブホ街を2人で歩いていた理由。そしてさっきベッドの上で漏らした言葉も。

 その男子高校生になりすましていたおじさんが、きっと彼女の生命線で、だからこそ断れなかった。


「で、でも、途中で気づいて断ったの。だから何もしてないし、先生にもその事情は話して罰則はなくしてもらってる」

「そっか……」

「これからさ、さすがにSNSでその人と話すわけにはいかないじゃん。ていうか、ずっとわたしと話してくれてたのは何のためだったんだろうって思って。会って、そういうことをするため? そのためだけにあんな話をしてたんだって思ったらなんか……」


 彼女の話は、なぜだか痛いほど共感できた。

 ……なんで? 俺には親に冷たく当たられた過去はないし、俺には途方もないほどのことで、きっと共感しにくい部分だと思う。

 だったら、本当になぜ?


「わたしが信じてきたものはなんだったんだろうって、今まで、本当に子供のころから信じてきたものがなんだか分からなくなって。きっと学校中にも噂が回ってて居場所はないし、それで公園に、いたの」

「うん」


 俺からは何も言えることがない。

 彼女と同じ境遇に立たされたことはないし、人に痛みは完全には理解できないから。

 その悔しさに奥歯を噛みしめていると、神奈は話を続けた。


「錦小路くんが見つけてくれたのは、そんなわたしだった。だから、そう。錦小路くんだけが優しくしてくれて、わたしはそれに救われた。何か返さなきゃいけないとも思ったし、錦小路くんと一緒にいる口実が欲しかったって言ったら……わたしのこと、嫌いになる?」

「嫌いにはならないよ」


 俺は彼女の言葉にすぐに答える。

 絶対に否定しなければならないことだ。実際びっくりしたものの、彼女のその唐突な行為には自分も覚えがあったし、嫌悪感みたいなものは全く抱かなかった。

 いや、覚えってなんだ……?


「絶対、嫌いにならない」

「う、ん……ありがとう」


 だけど神奈は、納得していないような顔で頷いた。

 まだ自分が人から恋愛的な意味じゃなく好意を持たれるってことに、慣れてないのかもしれない。友達付き合いも表面上って感じだしなあ。


「あっ、でも明日から学校とか家とかどうしよう。家には連絡いっちゃったから、今日帰れなかったんだよね」

「そっか……」

「明日頑張って帰るか〜。学校も、多分そのうちどうにかなるよね」


 学校は狭いコミュニティだけど、みんな飽きっぽい。いつかは忘れて、神奈も元に戻れるようになるだろう。

 

「うん。ってそうだ、それなら俺の家にたまに来ない?」


 あーあ、やっちゃった。

 口から勝手に出た言葉に自分でも驚く。こんなことしたら、もっとモブから離れちゃうじゃん。

 でも、今の彼女を放っておける気は自分でもしなかった。

 

「へ?」

「いや、家に居づらいならさ、ここに居ればいいんじゃないかって思ったけど……でもそうだよな。同級生の男子と同じ部屋なんて嫌……」

「ううん! 嫌じゃない! 嫌じゃないけど……」

「ないけど?」

「錦小路くんって、どうしてそこまでしてくれるの?」

「どうして……いや、分かんないけどただそう思ったというか」

「そっ、か……優しいんだね、錦小路くん」

「別に優しいわけじゃないと思うけど」

「ううん。優しい」

「そう、かな……? あっ、そういえばあともうひとつ」


 ずっと言おうと思っていたことを思い出した。

 

「なーに?」

「あの、泣けない、のかもしれないけどさ……我慢しなくていいと思う」


 そう言うと、神奈は目を見張った。

 チャーハンの時から疑問に思っていたんだ。公園にいた時もそう。神奈は泣きそうな顔はするのに、絶対に泣かない。

 だから、泣かないように、自分に言い聞かせてたんじゃないかって。


「どうして……」

「え」

「どうして、気づくの……?」

「泣きそうな顔してるのに、泣かないから。そんなに辛いことがあるんだったら、泣きたいんじゃないかって」

「ずっと隠してたのに……だって人間味ない人みたいでしょ」

「別にそんなことはないと思うけど」

「わたし、親にずっと泣いたら怒られてきたから、泣けなくなっちゃって。泣くのがダメだって思ってるところあるのかも。それで、泣けないから、今もすごく泣きないのに、泣けなくて、苦しくて。苦しかったのに」


 ズズっと鼻を啜る。


「でもなんだか泣いていいって言われたら、泣けてきちゃったじゃん」


 ツーっと、涙が一筋頬を伝う。

 こんな時に不謹慎だけど、窓から覗く月明かりが彼女のその頬を照らして、それはあまりに綺麗な光景だった。

 

 しかし神奈はその涙をすぐにぐしぐしと拭き取り、笑って見せる。


「でもやっぱり泣くのは苦手」

「そっか」

「うん。すぐに泣けるようなもんじゃないし、泣けたら楽なんだろうけどね。今は無理だから、これからに期待っていうか、良ければ……」


 神奈は上目遣いで俺の顔を覗き込むように見上げた。


「これからちょっとだけ、泣いてもいいタイミングで、泣いてもいいよって、言って欲しいな」


 もう少しづつ元のペースに戻ってきているのだろう。あざとい調子で言ってみせる。


「わ、分かった」

「やった! 正直言うと、まだ辛いけど……でも落ち着いたから、わたしは部屋に戻るね。迷惑かけてごめんなさい。それじゃあ、また明日。あっ、それと……」


 神奈は耳元に口を寄せた。


「わたしがシようとしたの、無理してないから」


 ヒヒッと小悪魔的に笑って、部屋を出る。

 唐突な言葉に、心臓がバクバクと音を立て始めた。


 けれど、それとは対照的に――


「なんで泣いてるんだ? 俺」


 自分の顔を生温かい液体が伝うのを感じる。

 マジでなんでだ? 確かに神奈の話は本当に辛いものだったけど、でも……


「あっ、そういえば」


 俺はこの体の元の持ち主のことを思い出した。

 そうか、きっとこれは――


「錦小路の、涙か」


 家に来ないかと尋ねた、その言葉もきっとそうだ。神奈と同じような境遇を辿った錦小路だからこそ、勝手に口から出たのだろう。共感だってきっとそう。


「錦小路も、色々抱えてたんだな」


 ……まぁ、それを上回るクズだったけどな――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る