六 奥さんとふたりの聖夜 (2)(終)
フルーツケーキには、苺とキウイとパインと桃とみかんがのっていた。
「つくってくれたケーキね、昔見た絵本のケーキに似ていたの」
森の動物たちがクリスマスに作っていたケーキに葉のケーキが似ていた話をすると、葉はその絵本は知らなかったらしく、どんなのだろう?と首を傾げた。
「確か、本棚にあったはず……」
葉を引っ張って、自室に戻る。
つぐみの部屋には玉のれんしか廊下と部屋を仕切るものがない。
いつもつぐみを起こしたりするときに入っているのに、葉はなんとなくそわそわして、おじゃましまーす、と肩をすぼめつつ玉のれんをくぐった。そして、いつもよりもごちゃごちゃと物が散乱している部屋を見て、「大掃除?」と尋ねる。そういえば、家を出る直前までしていて、やりかけだった。つぐみは全般的に無精者だけど、いつもはここまではひどくない。
「あんまり見ないで」
「はーい」
素直に返事をして、葉はベッドに軽く腰掛けた。
掛け布団のうえには、寄せ木細工の箱やその中身が整理途中のまま転がっている。
「あ、『お歳暮』もいる」
絵本の背表紙を探しているつぐみに、葉が笑みを含んだ声をかけた。葉が手にした鳥のかたちのバレッタは、以前お歳暮と称して葉がつぐみに贈ってくれたものだ。
「うん。その寄せ木細工の箱、わたしの宝箱なの。子どもの頃から、ときどき大事なものだけ入れてて」
腕にひとかかえできるくらいの大きさの箱は、亡き祖父の
「ふふ、コンビニのクーポンもある」
「はじめて契約更新したとき、君がくれたの。中華まんがなんでも三十円引きになる魔法のチケット」
「クローバーの押し花?」
「昔、ひばりがくれたんだよ」
つぐみは絵本の捜索をいったんやめて、葉のとなりに座った。
植物が描かれた北欧っぽいスカイグレーの掛け布団のうえには、つぐみの宝物たちが漂流物みたいに漂っている。
「これは知ってる。バーベキューに行ったときに川で見つけた小石でしょ?」
「うん。よくわかったね」
「わかるよー。ここ、ひかっててきれいだって言ってた」
「照明の下だと、すこし色がちがって見えるでしょう?」
葉の手は漂流物をひとつずつ拾い上げて、麻の葉模様の宝箱におさめていく。これなあに?としまうまえに律義に尋ねる葉に、つぐみはひとつずつ説明をしていった。これはいつ、どんなときにもらったもの。葉は穏やかな眼差しで耳を傾けて、宝物をしまうのを繰り返す。
「あとは……」
掛け布団とシーツのあいだに隠れるように埋まっていたお菓子の缶にきづいて、葉がそれを手に取る。目にした瞬間、あ、と思った。普段は目につかない、いちばん奥に入れていたものも出してしまっていたのだ。
「あれ、なんかパッケージ懐かしい……」
つぶやいた葉の手のなかで缶にしまわれていた小銭が澄んだ音を立てる。
はっとしたようすで葉は手を止めた。
「それは――」
葉が尋ねるまえに、つぐみは口をひらいた。
「わたしが昔熱を出したとき、病院まで連れていってくれた男の子がくれたの」
「そ、そうなんだ……」
葉はどうしたらいいかわからなくなったようすで錆びた缶を握りしめた。
「診療費に缶のなかの五百円を使ってって言ってくれて」
「五百円って……たぶんそいつばかだったんだね……」
「そんなことないよ」
つぐみは葉の手のうえに手を重ねた。
「わたしがもらったなかでいちばんやさしいお金だよ」
葉は途方に暮れたような、泣きそうなような、複雑な表情をした。
「その子のこと……」
「うん」
「今も、おぼえてる……?」
うん、とつぐみはしっかりうなずいた。
「一秒も忘れたことはない」
ほんとうだった。
一秒も忘れたことがない。
ずっと想っている。ずっと、ずっとだ。
葉は握りしめていた缶を宝箱にしまった。ぜんぶしまい終えた宝箱の蓋を閉じて、かちゃりと鍵をかける。目が合う。葉がつぐみの手を引き寄せ、それを合図にどちらともなく唇が重なった。
今日は一がつく日じゃない。ふたりで決めたとおりじゃない。でも、したいからしてしまった。何度か唇を合わせてから、おそるおそる、徐々に深まっていく。息がうまくできない。唇が離れた隙に一生懸命息を吸おうとしていると、待たずにまた唇が重なるのだ。
頭がぼーっとしてくる。「わ、」後ろに倒れそうになったつぐみを、「わ、わ、わ」と葉が抱きとめようとして、反対に葉がベッドに倒れて、つぐみがうえにのってしまった。目を瞬かせてから、葉がわらいだした。
「なんかまえにもおなじこと、あったよね」
「あのときは、君はちゃんと受け止めてくれたよ」
「そうだっけ?」
ベッドに転がったまま、葉がつぐみの頬に触れて、髪を撫でる。
甘やかすような手に誘われて、自分からまた身を寄せた。
すこしずつ慣れてきたくちづけをしながら、そうか、ときづいた。葉にはなんでもあげたかったけれど、つぐみがいつも言う、したいならしてもいい、というのは相手になんでも丸投げしたすごく乱暴な言いかただったのだ。葉に困惑されてもしかたない。まず自分の気持ちから伝えないと。それはとても勇気が要るけれど……。
心を決めて、つぐみは頬にあてがわれていた手にそっと手を重ねた。
「……き、君にもっと触れたい」
はしたないことを言っている気がして、頬に熱が集まる。
でものみくだして、がんばった。
「触れていい……?」
もし、いやだ、と言われたら恥ずかしくて死んでしまうと思った。
でもそんなことはなくて、「うん」とすぐにうなずかれた。ほっとして身体の力がぜんぶ抜けそうになる。でも、まだもうすこしがんばる必要があった。
「わたしも……」
わたしも触れられたい。君に触れられたい。
つっかえつっかえ言葉にしようとしていると、まだすべて言ってないのに「うん」と言って、葉が身を起こしてつぐみの身体を抱き上げた。ベッドのうえにふわっと下ろされる。何かを口にするまえにくちづけが降ってきた。唇が一度離れ、頬や耳たぶや耳の後ろあたりをくすぐるように触れる。なんだか、おっきな犬にじゃれつかれているみたいだ。
「ううう……」
触れるだけのキスをたくさん落としたあと、葉はなんだか落ち込んだようすでベッドに突っ伏した。
「したごころがついに勝利宣言を……」
「したごころ?」
「こっちのはなしです……」
よいしょ、と葉はつぐみを潰さないように身体をすこし横にずらした。
枕元に寝そべっていた柴犬の抱き枕を持ってきて、つぐみのそばにぽすんと置く。
「柴犬です」
「えと、柴犬、ですね」
「これからもし、つぐちゃんが嫌だなってことされたら、この子で俺の頭叩いて」
「た、叩くの?」
「一回でだめだったら三回くらい叩いてくださいお願いします……がんばる……」
男女の営みってそんな叩いたり、三回くらい叩いたりするようなことだっただろうか。つぐみは当然経験なんてないのでよくわからない。若干びくついていると、つぐみの手を葉が丁寧に持ち上げた。折りたたまれた指先に唇が触れる。
「ね、なまえ呼んで」
「えっ」
「さっきの、もっかい聞かせて」
「えと、葉くん……」
ふにゃりと葉の相好が崩れた。
「ふふっ、もっかい」
甘えるような声がして、ひとがつくる薄闇とぬくもりの帳が下りてきた。
「……葉くん」
「うん。もっかい」
いったい何度呼ばせるつもりなんだろう。つられてわらってしまって、つぐみは短いあいだで慣れてきたなまえをもう一度呼ぶ。
「葉くん」
「はい。――……はい、つぐみさん」
今日いちばん甘くてしあわせそうな声が返ってきた。
・
・
結局その夜、柴犬は一度も出番がなく、空気を読んで、さいごまで寝たふりをしていた。
《2nd season》 is END !!!
to be continued …
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