第246話 ビビビと来ない遭遇

 チームすこやかが訪れたのはセレクトセール二日目。当歳馬274頭によるパトロン探しの地。悪い言い方をすれば奴隷売買の現場であるが、馬を奴隷だと思っているような金にガメツい馬主はまずいない。なら馬主は何のために馬を買うか。それは簡単だ。


「右側の方、一億入りました。一億五百まーん一億五百まーん」

「アーイ!」

「一億五百入りました。続いて一億一千まーん一億一千——」

「アーイ!」

「一億一千万入りました。一億一千五百万の方いらっしゃいませんでしょうか。いらっしゃらなければハンマー下ります。一億一千——」

「アーイ!!!」


 オークショニアが声を上げるたびに、会場のどこかしこから声が上がる。本当は手をあげるなりアイコンタクトなりで充分であり、わざわざ声をあげる必要はない——志穂は去年学んだ——のだが、高額になってくると誰とは言わず叫ぶようになるから不思議だ。きっとなんとしても競り落とすという気合いの表れだろう。

 だが、オークション参加者はみんなわかっている。

 高額落札馬だからといって走るとは限らない。むしろ億を超えると走らないとさえ言われるジンクスがある。それでも馬に大金を注ぎ込むのは、目先の利益にこだわるようなせせこましい人間は、馬主になろうなどとは思わないからだろう。


 彼らはみな、夢を買っている。

 そして愛すべき競馬文化を守るため、愛情を込めて競走馬を送り出す馬産界へ、現金という名の最大級のラブレターを送っているとも言えるのだが——


「億超え連発すぎて全然面白くない……」


 ——夏のセレクトセールは、数いる馬主の中でもテッペンにいる者達の戦いの場。現金だけでなく相馬眼まで持ち合わせたトップ層の前では、その辺の雑魚馬主にできることなど指を咥えて見ているだけであった。


「さすがに一流馬主には太刀打ちできんな……」


 志穂の隣では、五所川原が「申し訳ない」と深々と頭を下げていた。「謝ることないから」と志穂は即座に否定するも、五所川原の言う通り個人では億越えホースはまず無理である。

 だからこそ、チームすこやかは団結することにした。

 すこやかファームも五所川原も零細馬主。頼みの綱の財前も、基本は自分と縁のあるダイナナホウシュウの血脈だけを買ってきた物好きだ。

 そんな月とスッポンの弱小馬主だろうとも、寄せて集めれば話は変わる。

 太古の人類だって、巨大なマンモスを狩るために力を合わせたのだ。スッポンだって三匹集まれば月を落とせるかもしれない。


「ウチから一千マネーパワー、財前のじいちゃんから五千マネーパワー。五所川原さんの四千マネーパワー。合わせて一億マネーパワー! これだけあれば大抵落とせる——」


 言いかけた志穂は、最終的にハンマーが下りた当歳馬の価格を見てげんなりした。

 その額、一億五千万。先ほどから五頭連続で億越え。もはや意地の張り合いの様相で価格は釣り上がり続けている。


「——と思ってる時期が私にもありました……」

「三匹集まってもスッポンはスッポンだったねー」


 上場番号325番、母は名牝系出身のアメリカG1馬、父は四年前の年度代表馬である《エフフォーリア》産駒が志穂達の前を通り過ぎていった。

 そう、血統に裏打ちされた馬はとにかく高いのだ。


「なんでこんな釣り上がるん!? 当歳馬なんて走るかどころか何が起こるかすらわかんないんだよ?」

「オークションはある意味、疑心暗鬼の場でもあるんだよ。たとえば志穂ちゃん、あそこ見て」


 茜音が指した方向——会場最前列の席に、何とも見覚えのある脂ぎったおじさんがいた。すこやかファームとハルのある意味パトロンである石崎だ。今日はギャルの愛人は同伴ではないらしい。


「あ、石崎大先生じゃん。どうしたん?」

「石崎さんはね、マークしてる馬主がいるって噂。その人が入札したら自分も入札してる」

「なんで? 嫌がらせ? それともサクラとか?」

「たぶん、自分を信じきれないんじゃない?」


 現れたのは上場番号326番。ヨッコイショウコの2025、話題のインスタ映えホース・ヨッコイショコラの半妹だ。昨年のG2札幌記念、ヨッコイショコラのゴール前差し切り勝ちの映像ののち、入札は三千万円から始まる。


「志穂ちゃん、石崎さんの方見てみ? すっごいチラチラ様子伺ってるから」

「うわ、マジだ」


 茜音は石崎がマークしている馬主が手を挙げたのを見逃さなかった。そして「石崎さんが手挙げるよ」と志穂に耳打ちした数秒後、石崎は実際に入札に加わる。


「ね?」

「人任せかよ、大先生ダっセえ!」

「まあ気持ちはわかるよね。みんななるべく強い馬を手に入れたいけど、結果は相馬眼や運次第。だったら見る目ある人に乗っかったり、長いものには巻かれたいって思うもの」

「有名人が推してるからいいものに違いないってこと?」

「ハロー効果というヤツだな。よかったじゃないか志穂君、生きた心理学を学べているぞ!」


 一流馬主が入札しているから手を挙げるということは——紳士的ではないが——往々にしてある。誰しも行動を起こすときは、自分の背を押してくれるような都合のいい情報が欲しいのだ。石崎の場合は「一流馬主が入札した」という情報が判断を狂わせる。「あの馬主が入札するくらいなのだから、それはそれはいい馬に違いない。なんか俺にもいい馬に思えてきた」と、一流馬主の発する後光ハローに目が眩み、自己洗脳されてしまうという訳だ。


「あれ? でも大先生が落札しそうじゃん。有名馬主諦めちゃったん?」

「諦めてもいいと思える程度の馬だった、ということだろうな」

「オークション怖ッ……」


 そうなってくると、何より怖いのが競りを下りたときだ。

 欲しい馬は必ず手に入れる、金に糸目をつけないのが一流馬主。そんな彼らが「やっぱい〜らない!」と手のひらを返すときは、完全に損切りのタイミングに入っている。資産家とは本質的に、損切りが異常に上手いがゆえに生き残っている人間だ。そんな彼らの損切りは、まず間違いなく的中するのである。


「あは、石崎さんちょっと迷ってる。価値観が庶民だなあ、人間臭すぎる〜」

「こっちとしてはあんま高い馬落札してほしくないんだよね。ハルのご祝儀減っちゃうし」

「あ、手挙がった。で、石崎さんもベタ降りだね〜」

「やっぱダセえ……」

「経営者としては、場当たり的に目標を変える風見鶏的な柔軟さも大事なのだよ」

「やっぱ経営は無理だな、私には……」


 経営だけは父親と義徳と任せようと腹に決めて、志穂は上場馬のブラックタイプを見定める。

 探したいのは、ルナの友達になってくれる同い年の牝馬だ。


「牝馬が欲しいってことは、ゆくゆくは繁殖に上げるってことだよね?」

「あ、考えてなかった。けどそうね。本人が産みたいなら手配したいと思ってる」

「志穂ちゃんらしい言い方だね」


 茜音は笑いつつ、「そういうことなら」とブラックタイプの中から牝馬を見繕い始める。百頭近い牝馬はものの数秒で半分以下に減っていた。そこから茜音はさらに絞っていく。


「どういう候補の絞り方してんの?」

「志穂ちゃんインブリード嫌いって言ってたでしょ? だからまずサンデーサイレンスが入ってない肌馬を探してるワケ」


 日本馬産を変えた輸入種牡馬、サンデーサイレンス。

 サンデーサイレンスだけのせいではないものの、その血の塗り替えっぷりはサンデー輸入以前の名種牡馬の血がほぼ途絶えた現状から容易に理解できる。《グランプリボス》や《ビッグアーサー》を輩出した《サクラバクシンオー》の血統——いわゆるテスコボーイ系——以外は、一部の例外を除き競争の世界から淘汰されてしまっているのだ。

 ゆえに日本にはそれだけ、サンデーサイレンスの血を引く者が牡馬にも牝馬にも多い。


「サンデーフリーの肌馬の時点で、だいぶ種牡馬の選択肢が広がるからね。あとはクリスやその子孫がロベルト系だから、もうロベルト系は要らないとしてー」

「ふむふむ……」


 そうしてサンデーフリーの牝馬の中から、クリスに含まれるロベルトの血を持つ候補を外していく。似たような血統ばかり確保しておくのはリスクだそうだ。五所川原が経済学に絡めて説明してくれたが、そちらの説明はさっぱりわからなかった。


「……うん、血統的にはこの子とかいいと思う。キンカメ入ってるし《ラストタイクーン》の3×4のインブリードがあるけど、気にしなきゃいけないのキンカメだけだから」

「カメ……」

「《キングカメハメハ》ね」


 そうして選び出されたブラックタイプに、志穂は目を通す。


「……ファイングレイスの2025か」

「紙やウェブ上の資料だけじゃどんな子かわかんないから、志穂ちゃんのイマジナリーウマトーク次第。どう? ビビビっときた?」

「ん〜……」


 志穂にはわからなかった。なんせこれまで出会ってきた馬は、志穂が能動的に出会いに行った馬ではない。偶然知り合った馬達ばかりで選択権もなかった。だが今回は、落とせるかどうかわからないものの、選ぶ権利がある。


「私はもう、会って喋る以外ないから!」


 両隣の茜音と五所川原には笑われてしまったが、かくして志穂はお目当ての馬を決める。

 チームすこやかの狙いは、ファイングレイスの2025。いよいよ彼女が舞台に現れたところで、志穂は姿勢を低くして最前列へ近づいていった。ちょうどいいところに石崎がいるので、石崎と挨拶するという体裁でもある。

 顔を引きつらせる石崎を無視し、志穂はさっそく馬に大して話しかける。


 彼女が話の通じる馬か。何かビビビとくるものがあるか。


 そんな期待に胸躍らせる志穂の後方、斜め上。

 VIP席の高みから、白い民族衣装を纏った男性が興味深そうに志穂の様子を見下ろしていた。


「あの、背中に背負った馬のぬいぐるみ。彼女がロンシャンに現れたというクレイジーホースガールか。面白い……!」


 男性は即座に手を挙げた。激しい競り合いの幕が上がる。


 〜〜〜

 前話のあとがきにて募集させていただいた命名企画、ふるってご参加いただきありがとうございます。

 実際にこの登録馬名で呼ばれるのはかなりあとでして、募集するにもタイミング早かった感は否めません笑

 現在も募集はしておりますので、のんびりお考えいただければ幸いです。

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