第244話 白熱セレクトセール

 競走馬を購入する方法は、主に二つある。ひとつは懇意の牧場と直接売買契約を結ぶ庭先取引。

 そしてもうひとつは、特別なコネクションがなくとも素質馬を購入する手段、競りである。

 この競り自体は、ほぼ毎月のように馬産地周辺で行われている。競りにかけられるのはデビュー前の当歳馬から二歳馬、繁殖牝馬やスタッドが放出した種牡馬など。オンライン上も含めればその数は膨大だ。成績不振や馬主の引退等で中央を登録抹消された元気な馬が、地方に活路を見出すためにサラブレッドオークションにかけられている。

 その競りでもっとも開催規模が大きく、いまや世界中から注目を集めるのが、初夏に開催される当歳馬と一歳馬の大セール。二日間に渡って開催される未来の優駿たちの祭典であり、見栄と欲望と夢を札束の形に変えて殴り合う、馬主達による戦いの舞台。

 セレクトセール。

 令和七年の今年も超一流牧場の巨大施設を間借りして、各牧場から指折りの名馬達が出品される。


 *


「志穂ちゃんホント誘ってくれてありがとう! 今年も家でオンライン中継見ようと思ってたから現地来れて最高! あ、これブラックタイプね! 上場馬472頭分全部あるからざっと読んでおいて!」

「茜音ちゃんがいてよかったよ。あと資料は見てもわかんないからいい」


 両面印刷しても二百ページ強の分厚いカタログを誰より熱心に眺めているのが夏休み中の茜音だ。

 ちなみにブラックタイプとは、要は血統表と家系図の繁栄具合が一枚にまとまった身分証明書のようなもの。国際競争を勝ったり好走した馬名は濃い太字ブラックタイプで印刷されているので、ざっくり言えば濃い太字で書かれた馬名が牝系の中に多いほど、強い一族の子孫だと手に取るようにわかる。

 そして——


「日本でもセール会場で高級車売ってるんですね。志穂さんおひとつどうですか?」

「買わないから。てかアシュリン屋台メシ食べ過ぎでしょ!?」

「美味しいので仕方ないですよ」


 ——日本に競馬を学びに来て津々浦々の地方競馬場を回っているアシュリンも、志穂は後学のためにとセールに誘っている。品川のみくるの家を出た今は、各地で馬券を代理購入してくれる大人と仲良くなっては万馬券予想を提供し、その報酬として競馬場グルメをご馳走してもらって過ごしているという。法的にどうなのかわからないので、志穂は何も言わずそっとしておいた。


「カカカッ! 壮健そうよの、小娘!」

「ん、財前のじいちゃんも元気そうでよかった。宏樹くんも」

「ああ、おかげさまでね」


 着流し姿で扇子を仰いている財前とその秘書。さらには孫の宏樹も来ている。宏樹は少しやつれているようだったが、今は歌舞伎町と新橋の店を任されていて踏ん張りどころだそうだ。

 ついでに五所川原と寧々、香元厩舎から調教師の香元と羽柴姉妹も誘ってみたら日程を合わせてくれた。


 セール開始前。

 牧場内の広場で会場への案内を待っていた中学の制服にドンナ様を背負って正装としている志穂に、スラっとしたスーツ姿の五所川原が問いかける。


「それで志穂君。狙っている馬はいるのかね?」

「特定の誰ってワケじゃないけど、ルナと友達になれる仔がいたらいいなと思ってさ。ハルの時に思ったけど仔馬ひとりだけだと寂しいっぽいし」

「ルナの友達となると当歳の牝馬か。五所川原さん、ブラックタイプの読み方はわかります?」

「もちろん、去年読み方を覚えたぞ! すっかり忘れてしまったがな!」


 相変わらず馬はさっぱりな五所川原ごと、宏樹に資料の読み方を改めて教えてもらい志穂も検討に入る。

 今回のセレクトセールで志穂は馬主ではなく外厩厩務員の立場での参加だ。なんせ夏のセレクトセールは億超えが多発する馬主同士のインフレバトル。先がまるで読めない当歳馬ですら平均落札価格が五千万円を超えてくるほどである。そんな向こうみずなカネがすこやかファームにあるはずもない。


「いちおう爺ちゃんは小娘のためなら出そうって言ってたな。問題は興が乗らないと競らないことだけど」

「知ってるよ。おかげで去年えらい恥ずかしい目に遭ったから……」

「ああ、まさにプリンちゃんを奪い合う一大感動巨編だった! ハハハハハッ!!!」

「香元先生的にはどうかな? もし競り落とせたら、ルナと一緒に預けると思うけど」

「現物を見ないことには分からんかな。まあ見てわかるなら苦労はしないが」


 馬を鑑定する目利き——相馬眼とは、もはやオカルトの域に片足を突っ込んでいると言っていいだろう。

 馬体の長さ、前足や後ろ足の筋肉の発達度合い。蹄の薄さやその角度などなど馬を判定する部位は数あれど、当歳馬や一歳馬の場合は成長にしたがって何が起こるかまるで予想がつかない。それでも目利きを発揮する馬主はもちろんいて、中には「瞳を見て決める」なんてエピソードもあるほどだ。実は馬と喋れるどころか心を通わせているのに黙っている馬主だっているかもしれない、なんて志穂は思うばかりである。


「まあいいや。賢いかどうか判定する方法はあるから」

「どうやって?」

「当歳馬なのに私と喋れたら賢い!」


 周囲の大人達は苦笑いや高笑いなどそれぞれの反応を見せていたが、これは志穂にしかできない目利き。なんせまだ言葉や自我すらおぼつかない当歳の時点でコミュニケーションができたら賢い証拠である。人間に慣れるのが早ければ、その分馴致もスムーズだ。

 かくして、志穂を含めて総勢十一名の大所帯。チームすこやかの戦いが始まるのだが——


「ラストコール! 二億八千万でハンマー下りました!」


 ——セレクトセールは大インフレ。

 一頭目から億超えホースが生まれる波乱の幕開けとなった。出し惜しみも様子見もない最初からクライマックスの様相で価格が釣り上がったのは、VIP席から馬を眺める、濃い顔立ちの馬主のせいだろう。


「志穂ちゃん見て。あれたぶん本物の石油王……」

「ホントにあの格好してる……」

「殿下ですね。それどころか欧州のオーナーもそこそこ来てます。あ、パパもいた」


 白い布のようなものを全身にまとった民族衣装の正装。海外生活で見慣れているらしいアシュリンだけは平常運行だったものの、志穂には衝撃のマネーパワーだ。

 超絶VIPの現地参戦でセレクトセールは例年以上に熱く燃え上がっている。

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