第89話 うるさくてしつこい

「どうか! この私、五所川原慎二に売ってはいただけないだろうか!!!」


 耳をつんざくほどの大声に、志穂はこの男の口に牧草でも詰めてやろうかと考えていた。


 ——遡ること数分前。

 すこやかファームの駐車場に、重厚なエンジン音を響かせて真っ赤なスポーツカーが停まった。様子を伺いに出てきた志穂は、男と父親がなにやら口論になっている姿を目撃する。

 いかにも成金趣味の車に、ロン毛で高そうなスーツ。訪ねてきたのは借金取りか何かだろうと思ったが、なぜか男は土下座していた。そしてそのまま父親に片足にすがりついている。


『ねーシホ、あの人もシホの知り合い?』

「シッ。見ちゃいけません」


 気になって様子を見にきたハルを追い払おうとすると、土下座男と目が合った。瞬間、土下座男は志穂のところへ猛然とダッシュ。そのままジャンピング土下座を決めて、今に至る。


「不肖、この私、五所川原慎二は! 私に相応しい、一流の馬を探している! お嬢さんからもどうかお父上を説得していただきたい!!!」

「親父、このヘンな人はなんなの?」

「言ったろ、ハルを売ってくれってしつこく電話してくるヤツがいるって。そのうちのひとりだ」


 仮にも来客ではあるのに、父親の対応はずいぶんおざなりだった。いちおうはアポを取ってはいたようだが、断っても何度となく電話をかけてくる上に、こちらを零細牧場だとナメて足元を見てくるような相手である。冷ややかな反応も無理からぬことだ。

 それでも懲りずに土下座男——五所川原は額を大地にこすりつけたまま言った。


「しつこさは重々承知している! たしかに私はしつこい! そしてうるさいとよく言われる! だがそれは全身からあふれ出す熱意と誠意の証! どうか考え直してはいただけないだろうか!!!」

「本当にしつこくてうるさいな!?」

「褒め言葉だ、ありがとう!!!」


 このままでは収集がつかない。それに、馬の近くで大声で叫ぶのはよくない。

 馬は本来、臆病で繊細な生き物だ。

 のんびり屋のクリスや元気いっぱいなハルでも、見慣れぬ人間や聞き慣れない音、特に大きな声にはそわそわしてストレスがたまってしまう。これは馬に関わる者なら誰もが知っていて当然の常識だ。

 おそらく五所川原は新人馬主なのだろう。


「ハルは売らない。あとうるさいから静かにして」

「そこをどうにか! どうにかお願いしたい!!! 靴でも舐めよう!!!」

「じょッ……!? 女子中学生の足に触るなヴォケェ!!!」

「ゴハァッ!?」

「あ、ごめん!? 蹴りすぎた!」


 足にすがりついてきそうだった五所川原を反射的に足蹴にすると、綺麗に顔面にクリーンヒットした。

 静かにはなったが、このまま永遠に静かになってしまうとそれはそれで困る。

 結局、志穂はこのうるさい変人を、すこやかファームの事務所兼住居に招き入れることにしたのだった。


「……すまない。念願のすこやかファームを訪れたことで、興奮して我を失っていたようだ。だが安心していただきたい。これでも私は鍛えている。次はどれだけの蹴りであろうと受け止めてみせよう!」


 今度はハルに蹴らせよう、なんてことを考えつつ、志穂は恭しく手渡された名刺を一瞥する。


「しかし、お父上には同席いただけないか。私としたことが、とんだ失礼を働いてしまったな……」

「ウチの馬産担当は私だからだよ。親父は馬ぜんぜん関係ないから」

「なに!? であれば君が牧場長ということか! これは失礼した! では改めて自己紹介を! 私の名前は——」

「五所川原慎二でしょ! もう聞いたからちょっと黙って!」

「了解だ! 黙る!」


 五所川原慎二。ベンチャー企業、《ニューロリンクス》の代表取締役。

 もらった会社資料の長ったらしい社長挨拶のページをすっ飛ばすと、大量の義手や義足の写真が並んでいた。『本物の手足と変わらない新たな手足で、悩める人々をなくしたい』と書いてある。


「へえ。ベンチャー企業って半分詐欺だと思ってたけど、しっかりした会社もあんだね」


 一目見て怪しい男だが、彼は詐欺師ではないだろうと志穂は判断した。本当の詐欺師は、レインの元馬主のように嫌味な笑顔を貼り付けているものである。


「……喋ってもいいかな?」

「五割引でお願い」


 告げると、五所川原は得意げにバッグから人間の脚を取り出した。一瞬ギョッとした志穂だったが、機械部品が見えてすぐにそれが義足だと気づく。

 話を聞くに、五所川原の義足は装着者の動作や行動パターンを学習して、より体に馴染むよう進化していくAI搭載義足だという。ユーザーのご意見と銘打たれたコラムには、既存の義足とはまるで違う使い心地に、感謝の声が並んでいた。

 「だが」とそれまで饒舌に本業を語っていた五所川原は、急に神妙な面持ちに変わる。 


「私の作る義足は、我が子とさえ思う自慢の商品だが、ゆえに値が張る。金持ちにしか買えない保険適用外の道楽品なのだが、これが私は実に情けない……!」

「気にしなくていいんじゃない? 馬だって金持ちの道楽だし」

「違うのだ、志穂君。私はこの地球上すべての悩める人々に、新たな手足を授けたいのだよ。ゆえにカネをはたいて成功を勝ち取ってきた! 私はただの成金ではない。崇高な理念に基づいて行動しているのだ!」

「自分で崇高とか言い出さないほうがいいと思う」


 バカではあるが、五所川原は悪い人間ではないのだろう。

 実際、この義足が普及すれば、多くの人々の救いにはなるのだ。


「そんな人がなんでハルを売ってほしいワケ? カネが余ってんなら本業に使った方が、遥かにみんなの救いになると思うけど」

「ああ、その話だな? よくぞ尋ねてくれた! あれはそう、一目惚れだったのだよ! 君もきっと見ていただろう。いいかね、あれは——!」


 志穂はさっぱり聞き流したが、かい摘むとこうだ。

 五所川原は、とある女性客に義足を作ってあげたという。彼女は競馬好きで、初めて義足をつけて競馬場へ向かうことになった。みじんも馬に興味がなかった五所川原が同行したのは京都競馬場。折しもプレミエトワールとスランネージュが冠を分け合った秋華賞だったのだ。


「そこで私は目の当たりにしたのだ! 馬の力強さを、その気高さを! 私は、自由に走り回るその姿に胸を打たれた! 希望をもらったのだ! そしてすぐさま馬主資格を取った! この気持ちはまさしく恋だ!!!」

「うるさいなあ……」

「だから私は、三冠牝馬の妹が欲しい! 彼女の存在は私の希望なのだ! わかってくれるかね!!!」

「それにしつこい……」


 あの秋華賞での激戦は、素人目に見てもド派手な競馬史に残る名レース。初めて観に行った競馬であんなものを見せられたら、恋でもしていまいそうな気持ちはわからなくもない。

 事実、志穂もオークスの日には気持ちが昂ったのだ。

 そこで、はたと気づく。


「待って? 元気に走ってる馬が好きなら別にハルじゃなくてもよくない?」

「いいや、一流の馬でなければ! 三冠牝馬の妹であることが大事なのだよ!」

「じゃあ牝馬三冠って何を指すか全部言ってみて?」

「……ヒントをくれないか?」


 これはダメだ。知らなさすぎる。


「ならヒント。《桜花賞》、《毎日王冠》、《有馬記念》。どれが牝馬三冠のレースだと思う?」

「ハハハ! 簡単だな、毎日王冠だ! なぜならとついている!」


 志穂は半年前の自分を思い出してため息をついた。

 とりあえず五所川原に必要なのは、静かになることと競馬についての知識だ。


「とりあえずついてきて。ハルに会わせてあげる」

「本当かね!? ありがたい! 実は馬と会うこと自体初めてなのだよ! 馬だけにウマが合えばいいな!!! おっと、これはホースマンたちの間では鉄板ギャグだったか!? ハハハハハーッ!!!」


 すべて聞き流して、志穂は五所川原を簡易厩舎に連れて行くことにした。


 *


「この子がハル。売らないけどね」

『ヘンな人間さん、こんにちわ〜』

「おお……! この子が妹君か!」


 「静かに」と注意して、ハルを近づける。すると五所川原は、なぜか距離を取ろうと遠ざかっていた。どうやら本当に、馬に近づくこと自体初めてなのだろう。無視してハルを撫でていると、彼も恐る恐る近づいてくる。


「な、撫でてもいいかね? 噛まれたりしないか……?」

「うるさくしなかったら平気。ハルはそこそこいい子だから」

『そこそこってなにー!? ボクいい子だよ!?』

「では記念すべきファーストタッチを……! ひぃッん!?」


 五所川原はハルの鼻先にちょんと触れたとたん、やけに可愛らしい悲鳴をあげて飛び退いた。


「アンタ動物苦手なの……?」

「あれは私が小学生のときだ。黒々とした恐ろしいドーベルマンを飼っている隣人がいて学校の行き帰りのたびに——」

「自分語りはもういいって。苦手なら馬主になんてなんない方が身のためだよ」

「クッ……! どうだ触れたぞ! これで馬主と認めてくれたかね!?」


 認めるのは志穂ではなくJRAである。そのJRAも、馬の知識ゼロの五所川原を馬主と認めてしまったことを恥じていることだろう。


『シホの知り合いってヘンな人ばかりだね?』

「それな」


 ただ、ハルは売れない。それには理由がいくつもある。


「残念だけど、ハルは売れないよ。百億円積んだって売らない」

「なぜだ! 私が馬主として不適格だからか!? たしかに私は知識もない! だが知識など後からいくらでも——」

「ハルには持って生まれた事情があるんだよ」

「それはもしや……障がいを抱えているということかね?」


 五所川原は一転、真剣な面持ちになる。仕事柄、思うところがあるのだろう。

 ハルの抱えた大きな問題を、かつて教わったときのことを思い出しながら説明する。早生まれ。ゆえに不利。姉のように世代戦で活躍できる確率は限りなく低いこと。


「ハルは成長が遅れてる。姉は一流だけど、この子は違うんだよ」

『それー。はやく大きくなりたーい!』


 一方で、静かに説明を聞いていた五所川原は、得心したようにため息を吐いた。


「であれば問題はない。成長が遅れているだけなら私は待てる。仮に障がいや病気を抱えていたとしても、それも縁だ。構わないさ」


 志穂は少しだけ、五所川原のことを見直した。

 ハルは早生まれのワケあり馬だ。そんな馬でも「成長を待てる」と言えるのは、欲に目が眩んでいない証だろう。


「ありがたい申し出だけどダメ。ハルは私の家族だからさ」

『そうそう! シホはボクの大事なお姉ちゃんで妹でお母ちゃんだからね!』

「産んだ覚えはないけど」


 半年前より大きくたくましくなった黒鹿毛の馬体を撫でると、鼓動とぬくもりが伝わった。それに合わせて寄り添ってくるハルが志穂には嬉しい。


「ハルとは二人三脚でがんばってきたんだよ。だから一番近くで見届けたいし、夢を叶えてあげたい」

「なるほど、そうか……」


 五所川原は広大な放牧地を見渡した。手作り内ラチの偽ロンシャン。その手前にある簡易厩舎の窓から、クリスが顔を出して生牧草の味わいを楽しんでいる。

 のどかで平和な光景に、五所川原は嘆息する。


「やはり思った通りだ。すこやかファームは素晴らしい。広大な敷地に、優秀な馬。そして誇り高きホースマンがいる。私に相応しい、一流の牧場だ」

「零細牧場扱いしてナメてた人間の言葉とは思えないね」

「それは聞き捨てならないぞ、志穂君。誓って言うが、私は一度たりともこの牧場を侮ったことはない。たとえ君が女子中学生であろうとも、敬意を払っているつもりだ」


 父親は「五所川原はしつこく連絡してくるうちのひとり」だと言っていた。すこやかファームをナメている馬主は、五所川原とは別にいるのだろう。


「志穂君の想いは理解した。家族を引き裂くようなマネは私としても心が傷む。妹君は諦めよう!」

「話が通じてよかったよ」

「だが、それでは馬探しも振り出しだな。はたして何を手掛かりに探せばいいものか……」


 勝手にやってきて途方に暮れる五所川原のことなど、本来は知ったことではない。

 だが、彼はわざわざ洞爺のド田舎までアポと手土産片手にやってきたのだ。うるさくてしつこいし馬に触れるのもやっとだが誠意はある。それに命を大切にする姿勢はたしかだろう。

 馬を引き合わせてあげたい。だが懇意にしている洞爺温泉牧場の馬はすべて売約済み。ひだまりファームも同じような状況である。


「オークション行ってみたら? ビビっとくる馬いるかもよ?」

「なるほど、それはありがたい! 誇り高きホースマンが同行してくれるなら百人力だ! さっそく日程を決めようじゃないか!」

「ついて行くなんてひと言も言ってねーよ!?」


 そうは言ったものの、セールへの参加は決まってしまったのだった。

 行き先は、新千歳空港近く。日本を代表する、あの巨大牧場である。

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