第51話 かがやく北の一番星
***
個性豊かな馬産家を取材してきた当コーナーだが、今回の主役はなんと女子中学生。
流行りにひっかけて、ついたあだ名は《ウマ娘》。加賀屋志穂さん、十四歳だ。
東京都出身。今年の三月まではまったく馬産と縁のない生活を送ってきた普通の中学生だったという志穂。誕生翌日に母を亡くし、叔母に育てられていた志穂の転機は、父が経営する《すこやかファーム》が馬産を開始したことだ。
「まさか自分が馬を育てるなんて思わなかった」
取材を行った六月末時点での志穂の馬産歴は、なんとたったの三ヶ月。当初は馬房すら犬小屋のようにみすぼらしいものだった。慣れない馬産に気苦労の絶えない日々を送りながらも徐々に馬の魅力に惹かれていき、現在は二冠牝馬、プレミエトワールの母クリスエトワールと、クリスエトワールの2022(幼名:ハル)の世話を続けている。
「たくさんの師匠に恵まれている」
熱心に馬産に励む志穂の取材中、何度も口にしたのは頼りになる師匠たちのことだ。実家の隣には老舗の《洞爺温泉牧場》があり、従業員や関係者から非常に多くを学んでいるという。以前当コーナーでも紹介した大村は、志穂の師匠。すでにメモ帳を三冊みっちり埋めてしまったほどで、父親よりも頼りになるとは本人談。
そのほか、志穂は「馬も師匠だ」と語る。様子を観察するだけで学ぶところが多い。現在は自牧場だけではなく、洞爺温泉牧場の育成馬、繁殖牝馬。さらには外厩業務の手伝いもしているというから驚きだ。
「すべての馬に幸せであってほしい」
師・大村の教えである『幸せな人間が幸せな馬を作る』を実践する志穂だが、馬産家はやはり生き物の命を預かる業務。難しいこともある。なかでも志穂が現在気を揉んでいるのが、外厩で面倒を見ている三歳の未出走牡馬。預託当時、左前脚に重度の屈腱炎を抱えていたという。懸命な世話の甲斐あってか、現在では屈腱炎も二十パーセントまで落ち着きを見せてはいるものの、出走ができるとは言い難い状況だ。
志穂は語る。
「これだけがんばってきたのだから、どうかすこやかに馬生を全うしてほしい。競走馬としては難しいかもしれないが、三歳牡馬の第二、第三の馬生が幸せなものとなるように祈っている」
女子中学生、加賀屋志穂。輝く北の一番星。
彼女は今、戦っている。
***
花村から送られてきたURLを開いて、志穂は記者の仕事の早さに感心したやら気恥ずかしいやらだった。
花村いわくの「戦争」は、電撃戦だ。
クリスの取材直後から志穂の仕事に密着した花村は、その日の夜には《月刊馬事》の公式SNSに記事をアップロードしていたという。
「この記事は猛毒よ。クラブにとってはね」
花村によれば、このなんてことない志穂のコラムが武器になるという。すでにアップされてはいるが反響はほぼない、カケラもバズっていない記事だ。こんなものがマニーレインを救うことになるのだろうか。
「よくわからんけど、信じるよ。花村さん」
「私の仕事は種を蒔いただけ。花を咲かせるのは志穂さんの仕事。がんばってね」
「ん。がんばる」
花村に言われるがまま、志穂はクラブ会員だけが書き込みできる掲示板にアクセス可能な古谷先生に猛毒を転送した。
はたして毒は、強烈なほどの猛毒だった。
*
「うわ……。すごいことになってる……」
翌日。馬事研部室で志穂は、剣よりも強いペンの力を思い知るのだった。
「いい記事書いてもらったね、加賀屋さん。おかげで掲示板は阿鼻叫喚の地獄絵図だよ!」
ゲラゲラ笑っている古谷先生が見せてきたのは、クラブの会員専用ページだ。出資馬ごとに存在するひと口馬主たちのだんらん掲示板は、今やクラブを蝕む猛毒のるつぼとなっていた。
「あれは単なるコラムでしょ? マニーレインの名前だって出てないのに」
「何か訴えるときにはね、あえて情報を省いた方がいいんだよ。推理や考察の余地があるからね」
国語教師の古谷先生によれば、あのコラムにはいくつか推理の鍵が紛れていた。妄想の元ネタとも呼べるものだ。
「洞爺温泉牧場の外厩」、「三歳の未出走牡馬」、そして「屈腱炎」。この三つの情報だけで、馬主たちの創造力はあらゆる可能性を導き出す。
「まず、先生は掲示板にこう書き込んだワケ」
古谷先生はいちばん最初の書き込みを見せてくれた。
記事のURLを添付した上で、たったひと言。
——これ、マニーレインのことじゃね?
その、たったひと言が馬主たちを突き動かしたのだ。
「この直後に、特定班が動き出した。外厩で預かってる子は今三頭だけ、なかでも三歳牡馬はマニーレインしかいない。だから記事の三歳牡馬がマニーレインだとみんなすぐにわかったの」
「それで?」
「でも、マニーレインだったとしたらおかしいでしょ? だってクラブは屈腱炎だなんていっさい公表してなかったんだから。となるとあとは陰謀論。みんなあることないこと妄想し始めるワケ」
たしかに先生の書き込み以降、掲示板の流れが大きく変わっていた。
それまでのほのぼのした流れはどこへやら。マニーレインの健康を気遣うものや、他の出資馬でも同じようなことがあったんじゃないかと訝しがるもの、クラブへの説明を求めて問い合わせをしたと称する書き込みまで一気呵成に描き込まれている。
ずらり並んだ罵声まじりの長文は見るに絶えなかったが、それでも志穂は、彼ら特定班の背を押したくなった。
こんな書き込みがあったからだ。
——経営側がマニーレインの未出走保険金をケチってるんじゃないか?
志穂と同じ結論に辿り着いた者がいる。書き込みをしたのがどこの誰かはわからない。「そんなワケない」だとか「アルミホイル巻いとけ」だとか、批判的な意見も飛んでいたが、それでも主張は続き、賛同者も少しずつ現れてくる。
流れは大きく変わった。
馬事研部室に晴翔が飛び込んできて、志穂は事態の速さを実感する。
「いま実家から連絡がありました! 獣医師が緊急で向かっているそうです!」
「よし、行くよ会長。先生もついでに来て。馬主がいた方が話が早いから」
すぐさま志穂は帰り支度を整えて、もたつく古谷先生を煽った。
花村が蒔いた毒で、クラブが動いた。これだけの過剰反応を見せたのだ、明らかに毒は効いている。
だが、敵の思惑はまだわからない。もしかしたら屈腱炎を認めつつも、この程度なら出走できると判断させる可能性だってある。
それではマニーレインを救えない。場末のネット掲示板をちょっと騒がせただけに終わってしまう。
急がなければならない。
志穂はいの一番に馬事研部室を駆け出した。
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