第50話 戦争する覚悟ある?

 マニーレインを馬主から守る。

 そう宣言したはいいものの、志穂には何をなすべきかわからなかった。

 となれば、有識者の意見を聞く他ない。志穂の行動は早かった。


「つーわけで、マニーレインを守る会緊急会議です。なんか意見求む」


 翌日。志穂は馬事研部室に緊急対策本部を打ち立てた。

 その口火を切ったのは頼みの有識者、茜音だ。


「要はアリバイ出走を止めたいってことだよね?」

「よくあることなの?」

「まあ、未出走引退だとクラブの実績に傷がつくから、ムリヤリ出走させるっていう陰謀論だよ。レインの話を聞く限りはあるのかもって思っちゃうけどね」


 実際、クラブの広告には出走率百パーセントの文言が踊っていた。この輝かしい実績もマニーレインのような無茶な出走を繰り返してきたからなのかと疑ってしまう。

 それに合わせるように、古谷先生が口を開いた。


「買う方としてはわかりやすいよ? 明らかに状態悪いからすぐ切れるし」

「会長はなんかある?」

「無視しないで!?」


 「何かと言われても」頼りなさげな声とともに、晴翔は腕組みして椅子に腰を沈めた。何か妙案はないかと尋ねてみても、口にする方法はどれもリスキーだ。


「可能性があるのは買い戻しですが、言い値になる。三億円ホースとなれば吹っかけてくるでしょうね」

「他は?」

「訴訟……ですが、まず勝ち目はない。最悪、逆訴訟もあり得ます。名誉毀損、業務妨害」

「詰みじゃん……」

「だから言ったんですよ。超高額馬がなぜウチみたいな小さな外厩に預けられるのか、って」


 結果論じみた物言いにはイラつくが、ひと目見た瞬間から志穂もワケアリだとわかっていた。ここまでおぞましいものが潜んでいるとは思わなかったが。

 万策尽きた。そう思われたとき、古谷先生が声を上げた。


「マニーレインってあの子だ! やっと思い出した!」

「どうせ大したことじゃないよね?」

「実は先生、出資してたわ。忘れてた!」

「「「はあ!?」」」


 一同が声を揃えて古谷先生をにらみつけた。「怖い!」なんて怯えながらも、古谷先生は証拠とばかりにクラブ会員専用ページにログインしてみせる。

 マイページには出資馬、マニーレインの情報が表示されていた。確認した茜音の開いた口は塞がらない。


「こんな偶然あるんだねー……」

「実は三年前バカ勝ちしてね! 酔った勢いで会員登録したら、メチャクチャ血統のいい子いるでしょ? そんなの絶対運命だって即ポチしたんだけど、すっかり忘れてたわ」

「どんだけツイてないの先生」

「ねー。全然マニーレインなんて降らないじゃない! って感じね。あはは!」


 先生のスマホを貸してもらって、志穂はマニーレインの週報に目を通した。

 内容は目を疑うほど度し難いものだった。

 外厩での調整メニューは、やった覚えのない坂路と追い切り、プール調教。担当厩務員・大村のコメントは「状態はいい。すぐにでも出走できる」。挙句、屈腱炎のくの字も書かれていない。例のかわいいバケツブーツ写真もなしだ。

 真実がすべて握り潰されてしまっている。


「改竄されてる。こんな週報送ってない!」

「悪質ですね……」

「ふッつーに詐欺罪でしょ。先生訴えたら? 集団訴訟起こせばワンチャン儲かるよ」

「えー面倒くさい藤峰さんやってよ法学部生でしょ?」

「無駄です。規約で対策されているはず」

「つまり確信犯ってこと!?」

「加賀屋さんそれ誤用ね。わかっててわざと悪事を成すのは確信犯じゃなくて故意犯」

「うるさいな国語教師!」


 マニーレインを取り巻く状況は最悪だ。

 数日後には迎えの馬運車が到着する。そこから先は羽柴たち香元厩舎が踏ん張るしかない。

 羽柴はきっと無理はさせないと思う。香元も同じだ。だけれどクラブは物言う馬主。厩舎の手抜きなどあっさり見抜いてしまうに違いない。

 彼を守るには、ここで持ちこたえなければいけない。


「加賀屋さん。あなたは出走に反対の立場ですよね」

「今さら何?」

「俺も手伝います。ヤツらは外厩ウチに屈腱炎を見抜けなかった責任をなすりつける気かもしれない。そんなもん黙って見過ごせるか」


 冷静な晴翔にしては珍しく、まなじりを決して立ち上がる。瞳の奥には怒りと、頼もしいまでのホースマンとしての誇りが見えた。

 次いで、茜音も拳を高く突き上げる。


「私も過去の判例調べてみる! 先生も教え子のためにほらほら!」

「いや、できることある? 悪事を暴くったって刑事や記者じゃないんだからさあ」


 若者たちと違って臆病風を吹かせる古谷先生だったが、おかげで閃いた。

 志穂は急いで帰り支度を整える。頼れる相手はあの人しかいない。


「みんなあんがと! 私もワンチャンやってみる!」


 *


「一同! 集合!」


 学校から飛んで帰った志穂の仕事は《月間馬事》の取材対応だった。

 揃いのツナギを着て——結局これまでと同じブルーデニムが一番いいねという話になった——、父親以下農業部門とウマ娘志穂は、すこやかファームの玄関前に顔を揃える。

 そして取材班が到着するや否や、体育会系そのものの暑苦しいノリで頭を下げ、腹の底から声を上げた。


「ようこそ! すこやかファームへ!」


 熱烈すぎる歓迎に、花村は微妙な反応だった。だからあれほど恥ずかしいからやめろと言ったのに、と志穂は斜め上を見上げていたのだった。


 九月末に発売予定の《月刊馬事》。今回の取材テーマは、秋華賞での三冠がかかるプレミエトワールを産んだ名牝、クリスエトワールの現在に迫るというもの。ただ、話は大村から聞いていたようで、実際のところは撮影がメインだ。

 花村はすぐさまクリスにカメラを向けた。この日のために毛並みを整えてあげたので馬体はツヤツヤ。栄養のあるエサもたくさん食べさせて栄養斑点もバッチリだ。


『ねえシホ? 立ってるだけだと眠いんだけどお〜』

「もうちょっとじっとしてて。立ち姿すっごい綺麗だよ」

『あらあ〜そうなのねえ〜♪』


 「いいねー」とブツブツ呟きながら撮影しながらも、花村は周囲をキョロキョロと見渡していた。たぶん、ハルとセットの写真を撮りたいのだろう。


「あれ、ハルちゃんは?」

「花村さんメガネ外して。ハルはメガネ女子恐怖症だから」

「……そんなことある?」

「いいから。ハル、おいでー」


 しぶしぶ花村がメガネを外すと、ハルは馬房の影からひょっこり姿を現した。どうやら花村が怖くて隠れていたらしい。


『もうメガネ女子いない……?』

「大丈夫、私が倒したから」

『倒したの!? シホ強い! さっすがー!』

「ぐぬ……! よく見えないけど私も記者! 心の眼でシャッターを切る!」


 撮れた写真を見せてもらうと、やっぱりプロだけあって仕上がりは見事。ハルやクリスの力強さや愛らしさが強調されていた。あとで何枚か写真をもらってSNSに上げよう。

 撮影も佳境に差し掛かったところで、志穂は本題を切り出すことにした。


「花村さん。取材とは関係ないんだけど、相談したいことがあってさ。いい?」

「ええ、何?」


 志穂は花村を信じ、すべてを話すことにした。

 外厩で世話しているマニーレインの置かれた現状。屈腱炎とアリバイ出走のこと、クラブと牧場との確執。そして、志穂自身の切なる願い。


「レインには、まずは屈腱炎を治してほしい。あんなにがんばってる子が保険金目的で潰されるなんて絶対にイヤ。居残って中央でも地方移籍でも、乗馬でもいい。とにかく生きていてほしい……」


 花村は、志穂の想いを途中メモを取りながらも真摯に聞いていた。そこにいたのは、真剣な記者としての花村の姿。ただの馬好きメガネ女子ではない。

 「ここだけの話だけど」と短く嘆息して、花村は切り出した。


「あのクラブ、評判がよくないのよ。厩舎からも嫌われてて、田端先生も義理で預かってるだけだったって噂。代替わりしたご長男がマニーレインを転厩させたのは絶縁宣言だって言われてる」

「うん、聞いてもわかんない。今は羽柴さんの香元厩舎でしょ?」

「ええ。その点、香元先生は無茶しない。だから小規模の個人馬主に好評なの。あの厩舎は馬を大事にしてくれる、そんな理由で預ける人が多いから」


 少なくとも、調教師たちの考えは読み取れた。

 跡を継いだ田端が香元に託したのは、単なる厄介払いだけではない。クラブからマニーレインを守るためだ。

 香元厩舎は無茶をしない。志穂が思う羽柴と、軽く挨拶しただけの香元のイメージともぴたりと合致する。マニーレインには少なくとも味方がいる。それが少しだけ頼もしい。

 だが、その香元厩舎ですらクラブの暴走を止められない。


「なんとかならないかな、花村さん。考えたんだけど、私じゃもう詰んでて……」

「そうね……」


 嘆息して、花村は大きく伸びをした。そして首や肩、指の関節をボキボキと鳴らす。まるで今からひと仕事するぞと気合を入れるように、腰骨をこきりと鳴らして振り返った。


「ねえ、戦争する覚悟ある?」


 花村は微笑んでいた。その笑みの奥に、強大な感情が宿っていることは、威圧的な単語から十二分に伝わった。わずかに鳥肌が立った腕を押さえながら、志穂も喉から気を吐く。


「戦争でもなんでもやってやるよ」

「いい返事。じゃ、こうしよう」


 花村の提案に、志穂は思わず頭を抱えたくなった。

 だが、それなら確かにワンチャンある。それにすがりつける藁はもう、これしかない。


「……いいよ、やったろうじゃん!」


 志穂を突き動かしたのは、クラブへの怒りでもチンケな綺麗事や正義感でもない。

 ただ馬の幸せを純粋に願う、ホースマンとしてのプライドからだった。

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