第34話 ツナギと毛と子作り

「じゃ、会議を始めるぞー」


 「うーい」と従業員たちの気だるい声が、すこやかファームの事務所に響いた。


 珍しく父親から呼び出された志穂は、はじめて家業の会議に参加することになった

 だが、肝心の呼ばれた理由が志穂はわからない。すこやかファームのウマ娘である志穂は馬の世話以外の家業を免除されているので、農作物のことはさっぱりだ。馬とは話ができても、ニンジンやジャガイモは何も答えてはくれないのである。試したからわかる。


「ねえ私いる意味ある?」

「そりゃそうだ、志穂は家族! そして従業員も家族! 家族バンザイ!」


 「暑苦しい!」「前時代的だぞー」と従業員からヤジが飛ぶ。それに対して父親は豪快に笑う。ゆるみきっている。まるで会議とも思えない。

 居眠りを決めこもうとした志穂だったが、議題は農業の話ではなかった。


「今日集まってもらったのは他でもない。志穂に取材の申し出が届いたからだ!」

「は?」


 寝ている場合じゃなかった。

 何を取材する気だろう。考えたところで思い当たったのは、例のイカれた能力だ。

 なんと、普通の中二の加賀屋志穂は、馬と話せるイカれた女なのである。


 マズい。取材なんてどう考えても馬と喋れることに決まっている。

 隠し通そうにもマスコミはしぶとい。きっと盗聴なりなんなりして確固たる証拠を見つけ出し、ニュースサイトに書かれて全世界に拡散されてネットのおもちゃにされてしまう。


「断固拒否!」

「いや、取材されんのはクリスだぞ?」

「あ……ああなるほどそういうこと……」


 違った。自分が取材されるものだと信じて疑わなかったことが恥ずかしい。

 ひと呼吸おいて、情報を整理する。

 たしかに取材するならクリスだろう。なんせ娘のG1二冠の大活躍で、一躍時の人ならぬ時の母馬になったのだから。


「二冠馬の母を訪ねる的な感じね?」

「察しがいいな。そんで取材はどうする? 受けるか?」


 受けたところで、話せることなど何もない。プレミエトワールの仔馬時代のエピソードも知らないし、クリスが来たのだってつい最近だ。


「来たって話せることないよ。大村のじいちゃんに聞いた方がよくない?」

「洞爺温泉牧場も取材するそうだ。ウチにはクリスに会いにくるだけだな」

「ふーん……」


 取材の全容はなんとなく掴めた。クリスに会うだけなら、志穂がいなくてもどうにかなるだろう。

 それより志穂が気になったのは、父親がわざわざ取材の可否を確認してきたことだ。

 この無責任かつ身勝手で、悪い意味で適当な男なら、オファーの時点で快諾して事後報告になるか、あるいは報告もなく記者が押し寄せてくるはずだ。

 つまり、何か裏がある。


「受けるって言ったらどうすんの?」

「そりゃあお前……」


 父親は、急に深刻そうな顔をした。とたん、従業員たちも一斉に黙り込む。酒なしで盛り上がっている宴会場みたいだった事務所に、急に静寂が訪れた。

 やっぱり裏があった。いったい何を企んでいるのか。固唾を飲んで見つめていると、父親は段ボール箱の中身を天高く掲げた。


「どうせならカッチョいいツナギで取材されたいだろうがッ!!!」

「「「「「オオオオー!!!」」」」」


 従業員一同が大いに沸いた。なぜなら父親が掲げたのは農家の勝負服、真っ赤なツナギだった。それも一着ではない。よくあるデニムの青。ストリートアーティスト感ある白にペンキを飛ばしたもの。黒。金ピカ。ドラゴンの絵が描かれたもの。その他もろもろ全部デザインが違っている。


「よーしみんな、どの作業服がいいか話し合おう! 今日はすこやかファームの新ユニフォーム検討会議だ!」

「クラT作ってんじゃねーんだぞ!?」


 ツナギより先にやることがある。馬房を新築したり放牧地の整備の他山積みだ。

 そう志穂が苦言を呈しまくっても、従業員一同はツナギ選びに夢中なのだった。


 *


「で、取材が来るらしいんだけど」

『あ〜、そこ。気持ちいいわあ〜♪』


 二週間後に取材を控えた志穂は、時の母馬クリスに話を聞くことにした。

 せっかくだからついでに毛並みをツヤツヤにしてあげようとヘアブラシで馬体を撫でているのだが、おかげでまるで取材にならない。心ここにあらずだ。


「ねえ、話聞いてた?」

『だって気持ちいいんだものお〜。あとでハルにもやってあげてねえ〜』

「はいはい」


 ヘアブラシは見映えを整えるためだけではない。ちょうど換毛期だからだ。

 他の動物と同じように、馬も冬場は冬毛で寒さ対策をする。それゆえ冬はもこもこ。春先で暖かくなると毛は自然と抜けていくのだが、この生え変わりの時期というのはどうも『かゆい』らしい。

 それゆえ、抜いてあげると馬は喜ぶ。目詰まりしにくいヘアブラシでひと撫ですると、面白いように毛玉が取れる。まるで内手の小槌だ。


「見て。毛玉こんな取れた!」

『暑かったから助かるわ〜♪』

「でもこれ腕が痛え……」


 もこもこ取りが楽しいのは最初の数回だけで、あとは筋肉痛との戦いである。冬毛が抜け切るのが先か、志穂の腕がパンパンになるのが先かのデッドヒートだ。


『あの子も毛を取ってもらうの好きだったわねえ〜』

「お姉ちゃんのこと?」

『そうよお〜。この季節だけは人間によく懐いてたわあ〜』


 プレミエトワールの幼少期——マリーの頃の話だろう。オークスの際に見かけたクールな印象通り、あまり人間に懐くタイプではないのかもしれない。先ほどから背中に鼻先スピアを食らわせてくる妹とは大違いだ。


『シホ! お姉ちゃんボクになんて言ってたんだっけ!?』

「さっき話してあげたばっかじゃん……」

『何度でも聞ーきーたーいーッ!』


 そしてオークスが終わって以来、ハルはこの調子で姉の話をせがんでくる。

 志穂が例の『テッペンで待ってる』をモノマネしてあげると、キャッキャと跳ね回るわ鼻先をざくざく刺してくるわの大暴れだ。

 元気なのはいいことだと大村からは言われているけれど、暴れ回ってケガでもしないかと志穂はヒヤヒヤだ。自分のケガはどうにでもなるけれど、馬のケガはどうにもならない。


「はい、終わり。ハル、冬毛抜くから動かないで」


 志穂は腕をプルプルさせながら今度はハルの体をブラシがけした。

 まだ実質一歳馬といえど、ハルの黒い馬体は出会った頃より大きくなっている。馬の成長は人間より遥かに早いのだ。


「もっと早く大きくなれたらいいんだけどね〜」

『うん! ボクご飯たくさん食べるよ! だよね、おかーちゃん!』

『そうねえ〜。たくさん食べて遊んで寝たら大きくなれるわよお〜』

『ボクぜんぶやってるよ! 大きくなってる!?』

『そうねえ〜』


 たしかに、と志穂も思わなくもなかった。順調にすくすく育ってくれている。やっぱり二冠馬を出すくらいだから、お母さんが優秀なのかもしれない。

 そう、お母さん。

 志穂はずっと話すに話せなかったことを尋ねることにした。どう聞けばいいのか迷ったので、もう直球である。父親にデリカシーがないように、志穂にもまたデリカシーなどない。


「ね、クリス。子ども作る気ある?」

『あら〜♪ シホはおませさんねえ〜♪ うれしいけどお、人間と馬じゃ子どもは作れないわよお〜?』


 まさか自分がクリスに種付けするなんて話に受け取られるとは思わず、志穂はがくっと項垂れた。まずクリスの勘違いを解くところからだ。志穂は現状を本人に話すことにしたのだった。

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