第25話
☆
近鉄京都線の終点、京都駅。JRの京都駅と接するその駅を出て、歩いて向かうは京都水族館である。
午前中から利用客でごった返すコンコースを通って北口駅前広場に出ると、バスには乗らずに塩小路通りを西へと進む。十分ほどかけて到着したそこは、白亜のきれいな外観の東西に長い建物であった。
飛鳥学院大高のeスポーツ部を見学した翌日の日曜日、今度は京都くんだりまで一時間ほどかけてやって来た。同じぐらい遠い海遊館には行ったことがあったが、京都水族館には初めて来た。それも父親と入堂家といっしょに。
どういうことだろうかとおれは訝っていた。
おれの叔父、母親の弟が誰なのか、おれは入堂に話した。その結果、どうなったのか――。
そんなこと、確かめるまでもない。
入堂からそのことを聞いて、入堂母はおれの父親との再婚を断念した。殺人犯の親戚になど誰がなりたいものか。
再婚話が解消されたことで、入堂の態度も明るくなった。それほど親しくもなかったおれなんかと家族にならなくてすんで、ほっとすると同時に喜び爆発だ。
父親ががっかりした様子を見せなかったことに違和感はなかった。息子の前でそんな姿は見せられないのだろう。破談になったと言ってくれなかったのは、いつものことだとおれは気にもしていなかった。
なのに――。
(なんで、全員で京都水族館に遊びに行くことになっているのだろう?)
おれはそのことに合点がいかない。しかも今回は入堂も来ている。いやいや参加しているわけではないのは、その顔を見ればわかる。
USJのときは静奈ちゃんは来られなかったからな、と父親は陽気に言う。
(いったい全体、どうなってるんだ?)
しかしおれはその疑問を隠し、空気を読んで卒なく振る舞う。
父親かぶっている緑色のハンチング帽がやたらとなにかを思い出させようとするけれども、思い出せなくて歯がゆいというのもあって落ち着かない。
ファミリーとカップルで混み合う入場口から入ると、ショップでヌイグルミが一番人気だという、オオサンショウウオのコーナー。やや照明を落とした館内に大きく長い水槽があって、ひざまずくとオオサンショウウオが水のなかに折り重なるようにしてじっとしているのがわかる。入堂妹の花音が、他の子供たちにまじってじっと興味深そうに見ている。
おれは父親と入堂母の様子をうかがう。談笑していて、結婚が破談になったといった悲壮感は見られない。もっとも、もしそうだったら、京都水族館に来たりはしないだろう。
(ということは、破談になっていない?)
今日の遠出は、互いの家族の親睦を深めるためだ。破談になっていたら、そもそもそんなことにはなっていない。
入堂はおれの話を母親にしていないのかと思ったが、それはないだろうと思いなおした。
(ならば、なぜ……?)
おれの目にはこの雰囲気が異様に映る。
直接入堂に確かめたかったが、できれば会話を聞かれたくなかったから、一言も切り出せずにいた。ニコニコしている入堂は、そんなおれの気持ちがわかっていないようで。
二メートルぐらいのエイが泳ぐ大水槽には飼育員のダイバーが入って魚たちにエサをあげていた。腰につけたケースからエサを取り出すと、集まってきた魚たちが飼育員の手からエサをもらっている。
その様子をスマホで写真を撮ったりしながらみんなで眺めている。
――破談になっていない、となると、ここ数日の入堂のおれへの態度がわからなくなる。
おれと家族になる可能性がなくなったから明るく振る舞えるようになった、と思っていた。それはおれの勝手な想像なのだが、それ以外に考えられなかった。そして、犯罪者の甥っ子であるというおれの立場を憐れみ、元気づけようとして彗星観測会に誘ってくれた……。
けっこうなことではないか。入堂にとって、それは願ってもないことで。
ところが、その前提となる「破談」が決まっていないとなると不可解であった。
(それとも……たとえ所帯をいっしょにしなくても、今後も家族ぐるみの付き合いをしていこう、ということで決着したのか……)
おれはもやもやした感情を持て余して、イルカショーも楽しめなかった。トレーナーの手の動きに合わせ、三頭のイルカがいっせいにジャンプすると、水しぶきが観客席の最前列のシートにまで飛んできた。
手を叩いて喜ぶ香音と入堂。
水族館内のカフェでオットセイを見ながら昼食をとった。
外光の入る明るいスペースに、二つの水槽が並んでいて、オットセイとアザラシがすいすいと泳いでいた。
カフェには、オオサンショウウオまんとかペンギンおにぎりとか(ペンギンコーナーには、三十羽を超えるケープペンギンが飼われている)、京都水族館の生き物を模したメニューがあったりして、入堂姉妹は仲良くそれを頬張っていた。
USJに来なかった入堂は家族仲が悪いわけではなく、これが本来の姿なんだなとおれは感じ、だからこそ家族構成が変わってしまうことに神経質だったのだと、彼女の気持ちを推し量った。
テーブルについていると、屋根が一部ないせいで外からやってきたスズメがおこぼれにありつこうと近づいてくるのに目がいく。香音が椅子をおりて顔をよせると逃げていった。
照明を落とされた二階のクラゲの部屋には、さまざまなクラゲがふわふわとライトに照らされ漂っていた。
(こんなにたくさん、クラゲばっかり……)
暗くて、水槽だけが照らされているのを見て、まるで無重力の宇宙を漂っているような印象を受けた。その途端、おれはまさしく自分が宇宙に浮かんでいるような感覚になる。しかもそれはやけにリアルで、体がここにはない気がした。巨大な宇宙船の外にいて、船外活動でもしているのが脳裏に浮かぶ。
(クラゲを見てたら、こんな感覚を味わうものなのか……?)
だが目を転ずると、だれも普通に見えて興味深そうにクラゲを眺めている。
その奇妙な感じはクラゲエリアを抜けるとすっと消え、そんな記憶も曖昧になった。
ひととおり展示されている生き物を見てきて、歩き疲れた大人二人は二階のカフェで休憩。
おれと入堂姉妹は外のデッキに出た。曇り空に日差しがさえぎられ、梅雨もまもなくだと感じさせる。
「おねぇちゃん、あっち見に行っていい?」
香音が指差す眼下に庭園があった。田んぼや畑が作られていて、里山の風景が作られていた。そこにも当然、生き物がいる。
「池に落ちないよう、気をつけなよ」
「うん、わかった」
姉の言葉にうなずき、香音は身軽に階段を駆け下りていく。
「いっしょに行かないの?」
おれが訊くと、入堂はデッキの手すりに体を預け、
「なにか言いたいことがあるんじゃない?」
「え?」
「朝からずっとそんな顔してる……」
見透かされているとは思わなかった。そんなにわかりやすい顔をしていたのだろうか。
うん、とうなずき、入堂と並んでデッキからの景色を眺める。
水族館は梅小路公園内に建っており、南側には芝生広場が大きく青々と梅雨空の下でやや曇った日差しを浴びていた。その向こうにはJR線が通っていて、高架を走る新幹線も見える。
「電話で伝えたこと、憶えてるだろ? その……おれの叔父が殺人犯だってこと……」
「うん……。すぐに母にも確認したわ。母も知ってた。なのになんで結婚しようなんて思うのかと訊いた……」
そうだ。家族になったりしたら、そのあとどんなことになるか。いまのところ直接おれに火の粉がふりかかってはきていない。しかしいつどんなときに事件のことが掘り返され、世間の耳目を集めるかわかったものではないのだ。過去は消せない。知らなかった、ではすまない重大な事件。おれや父親ともに、そんな重い十字架をわざわざ背負うリスクを犯す意味がわからない。それで得るものはなんだ? なにも得られない。損しかしないのに。
「縣さん……、縣さんは、身内が犯罪者だからといって、その家族や親戚まで悪人だと断じるのをどう思う?」
入堂はおれをまっすぐに見て問うた。はぐらかすような答えを許さないという目をしていた。
「悪人ではないだろうけど、迫害されるのは仕方ないと思う……」
「仕方ない、じゃなくて、悪人かと思うかどうかよ。殺人犯を産んだ親は悪いのか、殺人犯の子供も悪人なのか……。縣さんは、自分が悪人だと思うの?」
「いや、おれはなんの犯罪もやらかしてないし、後ろ指をさされるようなことはしていない」
でも。
世間はそうは見てくれない。犯罪者の一族はもろとも断罪さるべきだ、というのが一般の風潮だ。犯罪者の家族が幸せになるなど、あってはならない。被害者の遺族の気持ちを考えたことがあるのか! それを思えば関係ないですむはずがない。笑顔ひとつ見せることなく一生その罪を背負っていろ。
遺族感情は無視できない。犯罪被害者はいつまでも苦しんでいるのだから。
それはわかる。理不尽な殺人によって家族を奪われた悲しみは想像にあまりある。
「じゃあ、会ったこともない親戚が犯罪者だといって、自分はなにもしていないのに責められるのに納得できるの?」
「それは……」
「母にそう言われたのよ。大事なのはその人個人であって、血の繋がりじゃないって。そんな不当がまかり通ることに断固抵抗する。だから縣さんのお父さんを支えたいんだって。母の決意を聞いたら、わたしはなにも言えなかった。それに、そういう母を立派だと強く思ったし、わたしもそんな強い大人になりたいと思った」
入堂は、ちょっと熱く語りすぎたと悟ったか、顔をそむけて庭園に視線を落とす。
「そこまでの決意を知って母が選んだ人なんだから、縣さんのお父さんはきっと誠実な人なんだろうな、と思ったの……」
おれは入堂の横顔に清々しさを感じた。
「おれを彗星観測会に誘ったのも……」
「決して哀れんでいるわけじゃない。わたしは犯罪者の家族だからといって個人を偏見するような人間じゃない。そんなふうに思われたくない」
「入堂……」
そんな真相だったとは。
おれは自分の想像力の貧困さに呆れてしまう。破談になってせいせいしている、とおれは入堂の気持ちを誤解していたのだ。勘違いも甚だしい。そして自分がすごく恥ずかしくなった。入堂のことを自分のことしか頭にない人間だと判じていたのだ。
それはとりもなおさず、おれ自身がそんな考えであり、だから入堂を自分の基準で決めつけていた。鏡で己が醜い姿を見ているようであった。
「わたしは母を尊敬するわ。だから再婚も応援するし、縣さんと家族になるのも決心できた。……って、縣さん……だいじょうぶ?」
入堂はあわててポシェットから白いハンカチを取り出すと、おれに差し出す。それまで、おれは泣いていることに気づかなかった。
「そろそろ帰るぞー。最後にミュージアム・ショップでなにか買うか」
父親と、入堂母が屋内のカフェから出てきた。
ハンカチで涙をぬぐうと、泣いていたのを悟られないよう、わざとらしいほどのつくり笑顔で、
「よし、行くか」
と声を出した。すっきりした気持ちで――。
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