第8話
☆
久しぶりに遊びに行ったUSJは楽しかった。翌日の朝、ハリウッドの宇宙映画に出てくるようなところへ行って仕事をしている夢を見たぐらいに。
ただひとつだけ、魚の小骨がのどに引っかかったかのように、おれの心は快晴というわけにはいかなかった。
おれはまだ戸惑っている。近い将来、というか、もう秒読み段階にまできているのだが、家族になるのだからなんらかの交流は必要だろうと理性では承知していても、どこかによそよそしさがぬぐえないのだ。もちろん、その距離感を縮めるために、こういったレクリエーションは必要だとわかっているのだが、おれはそもそも入堂と親しくなりたいのか? そこがまだ自分自身、整理がついていない。カノジョにしたいのならもっとシンプルに考えられただろうが……。入堂もおれと同じ気持ちなのかもしれない。もっとも、それを確認したいとは思っていない。心の中へ土足で遠慮なく踏みこむようなマネをしては迷惑がるだろう。
家を出て、いつものように富雄駅から奈良駅行きの電車に乗る。
隣の学園前駅が入堂の家の最寄り駅だ。そのことを知ったのはつい数日前だ。これまで朝夕、通学で顔を合わせたことは一度もない。富雄駅からは各駅停車しか乗れないのに対して、学園前からは快速急行に乗れるわけだから、同じ電車に乗ることはなさそうだ。もっとも、快速急行に乗ったところで、止まらない駅は
と思って、それほど混雑していない各駅停車内のドアの横で立っていたら、学園前駅で入堂が乗り込んできた。
「おはよ」
と声をかけられて、おれは不意をつかれてしまった。
スマホから顔を上げ、
「おはっ、おはよう……」
噛んでしまった。
「奇遇ね……。昨日はありがとう。妹がすごく喜んでいたわ」
優等生的な挨拶だった。
「そうなんだ……それはよかった」
あの一日だけで
それよりも……おれと入堂だ。まだまだ距離があるのは否めない。それをどうするべきか……。
「今度はみんなそろって行けたらいいよな」
「おねえちゃんも行けばよかったのに、って言われたわ」
「USJはたいがい誰でも楽しめるだろうからね」
おれは微笑む。
電車は菖蒲池駅に停車。その次は
「そういや、いつも決まった電車に乗ってるの?」
早々に会話が途切れてしまって、おれはそう訊いた。
「無理に話さなくてもいいよ」
入堂に見透かされてしまっているようだ。
新大宮駅に着いた。ドアが開くと高校生たちが降りていく。この近くにはおれの通う私立
さっさと先に歩いていく入堂。おれといっしょに登校する気はさらさらないようだった。
(そういえば……)
おれは思いついた。もしかしたら入堂には彼氏がいるのかもしれない。全然、その可能性を考えていなかったし、そんな気配も見せていなかったが、必要以上におれに近づこうとしないのは、そのせいかもしれないと考えられた。
(なるほど……)
彼氏は同じ高校だとは限らない。だからそれが誰かはまったく知る手がかりはないのだが、しかし、彼氏がいるから入堂の感情も複雑になるのだろうと想像するとしっくりくるような気がするのだった。
でもそうなると、おれはかえって気が楽になった。入堂に接する態度も、男女を超えて、きょうだいとして振る舞えるのではないか――。
(おれは、あくまで入堂とは家族になるのだから彼氏の邪魔にはならない。いや、今回の親の再婚をきっかけに、入堂は家族のもとを離れるかもしれない。彼氏が同級生とは限らない。社会人なら結婚も視野に入れて……いや、それは妄想がすぎるか……)
「よぉ、
道端でいきなり肩を叩かれて、おれは我に返る。
「おお、牛岡か……」
友人の顔を見て、おれは何事もなかったかのように微笑んだ。
その日の放課後、eスポーツ部にまたも激震が走った。四人もの部員が退部を申し出てきたのだ。顧問の
「部員が四人になってしまい、この状態だと部としての存続は難しい」
規定では五人以上となっていた。同好会に格下げされると、部室の使用許可も取り消されてしまう。
渋い顔をする栄田先生であったが、退部の理由がなんであるかは明らかで、こんなはずではなかった、というのが透けて見えた。
クラブ活動――とりわけ運動部は全国大会を目指す傾向が、私立高校ゆえある。知名度をあげて受験者数を増やしたいのだ。そうすれば偏差値もあがって上位大学への進学率もあがる。
しかし、そのやり方をすべてのクラブ活動に対して適応すればいいかといえば、そうではない。勉強の合間に楽しめるクラブ活動だって必要だ。eスポーツ部は、まさにそんなクラブだった。
ただのテレビゲーム同好会では格好がつかないという、もう卒業した初代部長の主張で「eスポーツ部」というたいそうな名称が決まっただけで、まだ黎明期で他のスポーツに比べて社会的認知後が低いのをいいことに、eスポーツを模索するのだという名目は最初から有名無実であり、そんな確信犯的な部の活動方針を部員全員が承知していた。
が、ここにきて、いい加減本気で取り組まなければならない事態となってしまったわけだ。
沖下部長以下、新入部員のおれと牛岡、それと二年生の部員の四人が顧問とともに、大会出場を目指すことになったわけだが、部員が足りないとなればそれも難しい。
「部員が減ったぶん、なんとか補充できないものかな……」
そう言う先生も、もう六月で、この時期から新入部員を獲得しようにも簡単ではないと理解している。
「誰か入部してもいいって
栄田先生は両手を腰にあてて、パイプ椅子に座っている部員たちを睥睨する。
一同、沈黙。心当たりがぜんぜんない。ノーアイデアの停滞した空気がその場に淀む。
「そういやおまえ……最近、入堂と仲がいいだろ?」
突然、牛岡がそんなことを言って、おれは仰天する。
「な、なにを言い出すんだ?」
「いや、だって……」
「言っておくが、気安く話せるような間柄じゃないぞ。そこまで親しくはない」
断言した。まさか牛岡にそんなふうに思われていたとは、まったくもって意外であった。だがそうなると牛岡だけではなく、周囲からもそう見られている、ということなのか――。
それに気づいたとき、入堂も迷惑しているだろうな、と少し反省する。
「まぁ、本人にゲームに興味がなければ、それまでだしな……」
おれの勢いに気圧されたのか、牛岡はそう言いつくろった。
「ともかく、部員集めも大事だが――」
すると、栄田が話題を切り替えた。
「しかし部員が集まらないといって、部活をおろそかにはできないぞ。まずは、どのゲームで挑戦するかをしぼっていこうじゃないか。まずは公式種目として選ばれているタイトルを実際にプレイしてみて、みんなから意見を聞こう。まず、これだ」
ポケットから取り出したのはスマホだった。
そしてその画面には、見慣れぬゲームが映し出されていた。
(スマホゲームでeスポーツ……?)
ゲームといえば据え置き型であったおれたち部員は、毒気を抜かれたようにその画面を見ていた。
実際の大会ではパソコンで、大きな画面を見ながらプレイするそのゲームをとりあえずスマホにダウンロードしてみた。無料で遊べるので、登録人数は世界中ですごい数だということらしい。
それはともかく、外国製のそのゲームは、普段暇つぶしに電車の中や待ち時間なんかで遊んでいるパズルゲームとは比べ物にならないぐらい作りこまれたクオリティで、この世界に慣れるのには簡単ではないぞ、と思わせた。
(こんなゲームに夢中になれるのか……?)
正直、このゲームの腕を上げて公式戦を戦えるイメージが思い浮かばなかった。高校に入学して初めて野球を覚えた初心者が甲子園に出場できるか、というのに近いかもしれない。部員が少ないからレギュラーにはなれるだろうが、その実力は下の下もいいところで、今から特訓したところで、eスポーツを本気で取り組んでいる高校のチームと対戦してもコテンパンにのされて勝負にならないのが目に見えている。
(部員たちと笑いながら自由に遊べたあの気楽なクラブはもはや存在しなくなってしまったんだな……)
もう少し危機感をもって、そんなガチなクラブにならないよう抵抗することはできたかもしれないが、沖下部長をはじめ部員たちにそんな気負いはなく、新顧問の栄田先生の暑苦しい情熱に飲み込まれてしまっていた。その波を変えようとしても、いまさらもう遅い感が否めない。
がっくりと疲れて肩を落として家に帰って来たら、父親はもう帰宅していてテレビのバラエティー番組を観ていた。べつに好きで見ているわけではないだろう。手持ち無沙汰で、静まり返った家のなかが辛気臭いのが嫌でチャンネルを合わせているだけだ。
「よ、今日は遅かったな。食事にするか」
父親はテレビの前のソファから立ち上がり、
「今日は餃子を作ったんだ。もちろん、冷凍だけどな」
そう言ってキッチンに入り、ラップをかけた大皿をリビングテーブルに持ってきた。
(もちろん冷凍だろうよ。手作りの餃子なんて出されたらおったまげる)
「それでも焼いたりする手間はかかったろう。そこまでしなくてもいいのに」
「おれが食べたかったんだよ」
「ビールでも飲みたい気分なのかい?」
「いや。そういうんじゃない」
おれが椅子に落ち着くと、テーブルにはもう今日の晩ごはんは全部並べられていて、餃子の他にはカボチャの煮っころがし、ほうれん草の炒め物などの冷凍食品が解凍されていた。近ごろ父親が当番のときはメニューに野菜が多くなっている気がするが、それは歳をとるとそういう食べ物が欲しくなってくるのか、それとも、家族が増えることで健康に気を遣うように言われたからなのかはわからないが、おれはこの地味なおかずにテンションがあがらない。正直、餃子だけ食べたかったが、そんな品のない食べ方をするほど子供ではない。
「いただきます」
二人だけで囲むには広いテーブルで食事が始まる。
「今日、入堂さんと話をしたんだが……」
と、父親が話し始めた。一日の出来事を話すのは、この家のルールとして定着していた。それをやらないと家に会話がなくなってしまう。それはよくないだろうという父親の提案で。
おれは父親の言葉を待った。
「静奈ちゃんとは、どんな感じなんだ?」
「えっ……?」
ちょっと予想外の問いかけに、餃子をつまもうとした箸が止まってしまう。静奈ちゃん、という呼び方にすさまじいほどの違和感を覚える。
「ほら……USJに行かなかったろ。そのことで少し気まずいんじゃないかって……」
「ああ、そういうことか……べつにそんなに悪いようには思ってなかったんじゃないか」
「よく話すようになったのか?」
「いや……学校ではあんまりしゃべらないんだ」
「仲良くしたほうがいいぞ。その……」
「まぁ、そうだろうけど……」
必要なこと以外は話せていないのが現状だ。社交辞令感がどうにも払拭できない。おれもそうだが、入堂も、おれとどう接するべきか模索しているのだろう。
「おやじは結婚するって決めるぐらいだからお互い親しくしてるだろうけど、おれはいきなりだからな。そんな簡単にできるかよ……」
「そうだよな……」
父親は、おれの言い分に納得した様子で、カボチャの煮つけをお茶で流し込む。どうやら大好きなおかずというわけでもないらしい。
「だけど、せっかく同じクラスなんだから、しゃべる機会はいくらでもあるだろ。なんとか……」
「入堂の母親からなにか言われたな?」
おれは察した。父親がこんなにおれになにかを求めてくることなんかなかった。
「ごちそうさま」
黙り込んだ父親を置いて、おれは食器を片づける。キッチンのビルドイン食洗器に放り込んだ。
「宿題をしてくるよ」
進学校は宿題が多かった。それを口実に、そのまま自室へと引き上げた。
自室のドアを後ろ手で閉めたとほぼ同時にスマホが鳴り出した。この音は通話の呼び出し音だ。おれに電話をかけてくるなんて、誰だ? そう思って画面を見ると、『入堂』の文字。
入堂とは数えるほどしか電話をしていない。たいがいは短文のやりとりだ。電話をかけてくるのはよほどのこととみた。
一度深呼吸して画面をタップした。
「はい……」
「いま……いいかな?」
「いいよ。なんだい?」
「今日、お母さんから言われてね……コミュニケーションはとっておきなさいって」
「こっちも言われた……」
「そうなんだ……」
おれは苦笑する。USJに入堂が来なかったことを気にして、親同士が話をしたのだろう。同じ職場ならそれもありえる。クラスメートなんだからフォローできるだろうとかなんとか。そうやって
「わたしはお母さんの再婚には反対したくはない……。ただ……」
「おれもそうさ。でも気持ちがついていかないんだよな。もっと分かり合うための時間が欲しいじゃないか」
「時間もそうなんだけど……それよりも……」
奥歯に物が挟まっているかのように入堂の言葉が途切れる。
「わたしは、縣さんには悪いんだけど、男の人が信用できないんだ」
「これまたきついな……」
おれは驚いた。入堂がそんなことを思っているとは、ぜんぜん想像もしていなかった。
「その男の人には、おれも入るのかな?」
おれは訊いた。大人の男はともかく、未成年のおれもその対象になるのかどうか。
「わたしの親が離婚した理由を話してなかったね」
入堂はおれの問いを無視して語りだした。
「実は……お父さんは、わたしたちを捨てたの。三年前……わたしが中学に上がったときに、よそに女を作って出て行ってしまった……。暴力も振るわない、わたしたち姉妹には優しかったお父さんが、裏では平気な顔で浮気して家族の信頼を裏切った……、だから男の人は信用できない……」
珍しくはない話だが、当人にとっては切実な事情だった。確かにそんなことがあれば、男性不信におちいってもおかしくはない。
「世の中にはそんな男ばかりじゃないよ」
おれはそんな一般的な意見しか言えなかった。ちゃんと家族を守っている男性も多いし、それは入堂もわかっているだろう。一度の失敗で、すべての男性がろくでなしだと決めつけるのはどうかと思う。とはいえ、入堂の気持ちは理解できた。母親の再婚相手を怪しむのも無理からぬことだろう。
「縣さんのお父さんはどうして離婚したの? なにが原因? お父さんになにも問題はなかったの?」
おれは言葉に詰まった。母親が出ていった理由は知らない。父親に訊いてもいない。訊いてはいけないような気がして。
「奥さんに出て行かれてしまうなんて、なにかよっぽどのことがないと、そんなことにはならないよね?」
「う……」
おれは言葉に詰まった。離婚には必ず理由はある。だがそれはあまり口外したくない類いのものだ。どちらか、あるいは双方に非があるのだろうし、恋人と別れる、とかいうのではなく、もう家族でなくなってしまうというのは、すごく重い。
言葉に詰まっているおれに、
「ごめんなさい。困らせるつもりはなかった……。でも……」
「ああ、わかるよ……」
おれは反省した。父親の態度に、なにも不足はなかった。よい父親だと思っていたが、だからきっと母親のほうに離婚の原因があるのだろうと思っていた。しかし第三者はそうは思っていないのだ。そこをはっきりさせないといけない。でなければ、この再婚はきっとうまくいかない。
「わかった。訊いてみるよ……」
「つらいことをさせちゃうけど……。でもわかってほしい」
訊いた結果、ひどく落ち込むかもしれない。それはおれにとって恐怖だ。これまで訊いてこなかったのは、無意識にその恐怖から逃れるためだったのかもしれない。
おれはそう思い、母親が出て行った理由をあれこれと想像する。だが真実は、どんな想像とも違っていたことを、おれは後に知ることになる。
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