第7話

   ☆


 翌朝――といっても、現地時間ではすでに昼を過ぎていたが、おれは不思議な感覚で目覚めた。昨夜のことが頭に残っていた。

 初めてのアリウスで、ただのテストパイロットというだけではない、大使の役割まで負わされて、精神的にも思っていた以上の疲労が体にこたえていた。そのうえ……昨夜は……。

 おれは頭を振り、ベッドから起き上がる。

 体の感覚に違和感があるのは、たぶん疲労とか、それだけの理由ではないだろう。

 アリウスの自転周期は十三時間で地球のそれよりも早い。早いといえば公転周期も短く、十一日程度で主星を一周してしまう。

 おひつじ座ティーガーン星は赤色矮星である。地球の主星である太陽よりもずっと小さく、温度も低い。したがって液体の水が存在できるハビタブルゾーンも主星に近く、アリウスの公転周期が早くなるもの当然なのだ。

 そんな環境の違いを体は感じているのだろう。それはここへ来る前から聞いていたし、そのための適応訓練もしていたから、違和感程度ですんでいるようだ。

 昼過ぎといっても、一日が地球の半分ほどであるため、地球人にはこのサイクルに合わせるのはほぼ不可能であり、こんな時間に起床してしまうのもやむを得なかった。もちろんそこはアリウス側も承知していて無理に起こそうとはしなかった。

(それにしても、ゆうべのはなんだったんだ……?)

 せっかくのアリウス政府の「おもてなし」でやってきたアリウス人を追い返すわけにもいかず、そのルームサービスを受けることにしたが、二度とご免であった。テクニックがどうこうという以前の問題だった。

 カーテンを開けて庭園を眺める。地上から見上げる赤っぽい主星ティーガーデンに照らされたアリウス庭園は、夜とはまた違った趣を醸し出し、奇妙な木々や造形から成るその風情は新鮮だった。改めて、異星に来たのだな、と思わせた。

 冷蔵庫に入っていたミネラルウォーターを飲むと、地球人向けにつくられたバスルームでシャワーを浴び、用意してくれていた服に着替えた。無難なスーツであった。上着には地球宇宙開発機構のエンブレムが入っていた。

 テーブルの上にメモがあり、

『お目覚めになられたら、一階のロビーにお越しください。お食事をご用意しています』

 と、あった。なにからなにまで、たいした気の遣いようである。

 おれはドアを開け、勝手に一階ロビーへと向かう。通路の壁はシンプルだが上品な装飾が施されてあり、廊下には絨毯が敷かれていて、ここが地球ではないとは信じられないぐらいである。

 重力は一・一Gで、地球とさほど変わりない。そのことも、ここがアリウスであるのを忘れさせてしまう。

 このホテルはおれたちだけのために貸し切られているため、誰にも――アリウス人はもとより地球人さえも会わずにロビーに着いた。

 だだっ広いロビーにも誰一人おらずキョロキョロしていると、おれを見つけてくれた背の低い車輪駆動の案内ロボが、すぐに駆け寄ってきて、

縣浩仁郎あがたこうじろうサマ、こちらへどうぞ」

 と言って案内してくれる。

 ロビーのすぐ横にレストランが併設されており、そこへ通された。五十人ばかりが座れるレストランのテーブル席に、唯一いたのが、ガリン・カネバ航宙士とムデス・ハムザ機関士だった。二人ともちょうど食事をとっていたところだった。二人が向かい合っているテーブルの上には、いくつもの皿が置かれていた。

「よぉ」

 おれを見つけたガリンが手をあげて、おれを手招きする。おれはガリンの隣に座る。

 すぐさまアリウス人の給仕がやって来た。

「朝食ぅでこざぃます」

 馴れていないイントネーションの地球語で言った。

 メニューもなく、これを食べろと言わんばかりに、いきなり料理の乗った皿を、押してきたワゴンからテーブルの上に置いていく。べつになにが食べたいと希望を言うつもりもなかったので、

「ありがとう」

 おれは素直に礼を言って、パンを手に取った。昨夜のかしこまった食事と違い、リラックスして食べるメシはいい。

 パンを一口かじった。地球で食べるパンとは違った風味に違和感があった。

「このパン……見た目は普通のロールパンだが……」

 おれがそう感想を述べると、ガリンとムデスは苦笑する。

「パンだけじゃないぜ。どの料理も、なんか違うんだ……」

 ガリンが皿を指さす。

「それは地球でもそれはよくあることだろ? 火星旅行に行ったとき、寿司レストランで出てきたネタの味が、なんか違うんだよ。材料は同じはずなんだが」

 そう言ったのはムデスである。地球で育ったムデスにとっては、火星や月は外国と同じだ。

 そういや昨夜ゆうべは……、と言いかけて、おれはとっさに頭のなかで台詞を切り替えた。

「よく眠れたか?」

 一瞬、ガリンとムデスは得も言われぬ表情を見せた。が、

「ああ、まぁな……」

「異星のベッドだが、よく眠れたよ」

 二人はそう言った。

 そこへ、腕の携帯端末がアラームを鳴らした。

『おはようございます、ベンジャミンです。本日のスケジュールをあらためて確認します。一時間後にお迎えが参ります。アリウス天文交通局において、地球の宇宙開発機構アリウス支部への赴任式に臨みます。その後、ワープ宇宙船開発運用部で現地スタッフとの会議と今後の予定についての詳細を打ち合わせします』

 音声と文字で通知される。

「一時間後か……。せわしないな……」

 おれはつぶやく。

「おれたち地球人だけのスタッフだと二十四時間サイクルで動くからまだいいよ。現地のアリウス人につき合わされると、たぶんきついぜ」

 先に食事を終えていたムデスはそう言って、席を立つ。

「出る用意をしてくるよ。今日も忙しくなりそうだな」

「ああ、そのようだ」

 おれは食事を続ける。ゆっくり食べている場合ではなさそうだった。

 スケジュールはもちろんあらかじめ知らされている。昨日はどちらかというと、仕事というよりイベントが主であったが、今日からは実質的な業務となる。ワープテストは無事に終わったが後処理がある。乗って来た宇宙船からさまざまなデータを集め、検証し、問題点を探し出し、それの対策を講じる。こうやって何度もテストをしたうえで、実用化の目処が立つのだ。それをクリアしないことには民生利用はできない。安全に使えるようになって初めて一般人の利用が可能になるのだ。そこまではまだ遠い。



 きっかり一時間後、アリウス天文交通局のクルマが迎えに来てくれた。ホテルの正面玄関に横づけされたクルマには、昨日、宇宙船から降りてきたおれたちを最初に出迎えてくれた宇宙開発機構の現地駐在員のベンジャミンが昨日と同じスーツを着て乗っていた。

 おはようございます、昨夜はぐっすり休まれましたか? と、ベンジャミンは改めて挨拶する。

 乗り込んだおれたちは向かい合わせの座席に着く。

 静かにクルマが発進すると、

「いま、ちょっとアリウス天文交通局てんこうきょくではちょっとごたごたとしていましてね……。地球側こちらに派遣されている技術スタッフが削られて、予定がスムーズに進まないかもしれないんです」

 などと話し始めた。

「どういうことだい?」

 おれは訊いた。ただでさえアリウスの国内情報は地球には入ってきにくい。情報統制が取られているせいもあるが、ベンジャミンが言うのはそんなレベルではなかった。

「アリウスも、いま、地球と同じ状況にあるってことですよ。つまり、より高度なレベルの異星文明との接触を模索しているところなんです」

 おれたち三人は、あまりに意外なことを知らされて反応できなかった。錦鯉のように口を開けて、しばし声が出なかった。

「異星文明って……アリウスより高度なって、本当か?」

 やっと言葉を発したのはガリン・カネバである。青い瞳が疑い深げに細くなる。

 はい、とベンジャミンはうなずく。

「アリウスに異星文明からの呼びかけがあったんです。それでその調査のために直接そこへ向かうことになると、そのために派遣する宇宙船の準備も始まっています」

「呼びかけがあったからって、わざわざ行くのか? 通信だけで交流はできないのか?」

「それができないのは、わかってますでしょ?」

 そうだった。地球とアリウスも、通信では交流できないのだ。なにせ電波では片道十一年もかかってしまう。宇宙船を使って直接行くしかないのだ。

 ただ……と、ベンジャミンは言葉を濁した。

「そこへ乗り込む人員について、地球側に要請がありそうなんです……」

「地球側に? なんで?」

「どうも、アリウス側では、地球人と共同でこの派遣を行いたいという思いがあるようなんですよ。異星文明と接触コンタクトするわけですから、自分たちとは違う種族がいたほうが多様性に対応できるという判断なんでしょう」

 そんな大きな話がアリウスにあったとは、まったく知らなかった。これもひとつの驚きであった。

「まさか、その人員ってのは……」

 ムデス・ハムザの声が渇いていた。浅黒い肌の額に汗が浮いている。宇宙船のパイロットが必要だと言われたら、当然、その候補にはおれたちが入るだろう、そこへ思考がつながった。

 が、ベンジャミンは先走らない。

「宇宙開発機構は人員を派遣したい考えなんですが、なにせ急な話になりそうなんで、要請が来たらどうするか困るだろうと思いますね……」

 おれたち三人は顔を見合わせる。困惑していた。

「もしも……仮に行くとなったら、帰ってくるまでどれぐらいかかるんだ?」

 おれは訊いた。

「さぁ……」

 ベンジャミンは肩をすくめ、開いた両手のひらを上に向けた。

「アンドロメダ銀河らしいから、二度と地球には帰ってこられないかもしれない」

「そんないい加減なプロジェクトなんか、あるものか」

 ムデスは、ばからしい、とそっぽを向く。

「いや、ですから、たぶん、最終的には地球側にはその要請には応じないでしょうね」

 ベンジャミンはそう言って、この話を結んだ。

 だが、それで忘れてしまえるわけもなかった。

(アンドロメダ銀河だと? しれっと言ったけど、天の川銀河の外……二百五十万光年も離れているではないか……。そんな遠いところから呼びかけ?)

 にわかには信じがたかった。地球とアリウスの距離などはないも同然ぐらい近いと思えるぐらい、それは途方もない彼方であった。



 クルマはアリウス天文交通局の建物に着いた。

 十二階建ての高層建築だが、垂直な壁が立ち上がっているのではなく、ピラミッドのように上層にいくほど細くなっていた。アリウスの建築物はどれもこれもデザインが凝っていた。都市の建造物のすべてが美術的意匠を競い合っているようであった。まるで、テーマパークのように。

(テーマパーク?)

 おれはその連想に違和感を覚える。

(テーマパークって、なんだ?)

 馴染みのない単語が急に頭に浮かんで、戸惑う。どこからそんな言葉が出てきたのか、しばし黙考する。最近、そこへ行ったかのような生々しい記憶があるような。

「どうしたんだ? 縣、行くぞ」

 建物を見上げているおれに、ガリンが声をかける。

 おれは我に返り、ガリンの背中を追って建物のなかに入っていった。

 ここに、地球の宇宙開発機構のアリウス支部が間借りしていた。たった一フロアだけであったが、床面積はかなり広く、多くの職員が詰めていた。今回のワープテストでは職員が連日作業に追われた。成功したときの歓声は、おれたちの乗るテスト宇宙船内にも響きわたった。

 建物一階に講堂があり、各種セレモニーや行事に使用されていた。式典など、わざわざ参加者の時間を合わせて一か所に集めてまでして執り行うというのは非効率であったが、職員の士気をあげるのには必要だった。そこは地球もアリウスも同じであった。

 宇宙開発機構のほぼ全部の職員がそこへ集合し、今回の赴任式が大げさに行われた。就任ごときで式典まですることもなかろうに、とおれは思うが、ワープ実験船の乗組員は英雄扱いなのだった。そして、ひとつの区切りとして、この式典は必要なのだろう。

 おれとガリン、ムデスの三人は、職員の前で訓辞をたれ、昨日よりはずっと楽な気分で会見をした。そこは同じ開発機構の人間ということもあって。

 その後、今後の予定についての詳細を打ち合わせた。これから二ヶ月ほどアリウスに滞在して働くことになっている。当分の間は、ホテル住まいとなる――。

「その予定なんだが……」

 しかし、宇宙開発機構のアリウス支部長は、最後の最後でひとつ付け加えた。

「もしかしたら、そうはならないかもしれない」

「と、言いますと?」

 おれは予感がした。

 が、

「いや、なんでもない。ともかく、今日からともに頑張ろう」

 と、それ以上はなにも言わなかった。

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